kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

サバイバーの光  ハーレムの「プレシャス」

2010-04-26 | 映画
インセスト・サバイバーの穂積純さんが『甦える魂』を著したのが1994年。そして1995年には『解き放たれる魂』、2004年に『拡がりゆく魂』を上梓した(いずれも高文研)。穂積さんにはその間別の著書もあるが、自己の性虐待体験を語り、その上で他のサバイバーの力になりたいとその間の活動を記すのに10年、いやそれ以上かかったということだ。穂積さんは、自分を虐待した兄と同じ姓は耐えられないと家庭裁判所に氏の変更を申し立て認められている。インセストを理由に氏の変更が認められた例はないと思う。それほどまでに穂積さんにとっては家族の同一性、共同性を現す記号としての姓さえも厳しいスティグマであったのだろう。
プレシャスは16歳。2度目の妊娠の相手も父親。12歳の時産んだ子どもはダウン症で祖母のところに預けている。行方知れずの父のいない家では、働きもせず生活保護の申請も、家事もプレシャスに全部負わせるニコチン中毒の母と二人暮らし。その母は何かというと暴力を振るい、暴言は茶飯事。妊娠を理由に学校をやめさせられるが、代替校=フリースクールを紹介され勉強と自立に目覚めてゆく。16歳というのに読み書きもろくできないが、数学は得意だったから。プレシャスは年頃の女の子だというのに100キロは優に超える巨体。ハーレムに住む黒人貧困層でどのような生活習慣だったかが測られる。EOTO(Each One Teach One 誰でも教育を)という民間団体が運営するスクールにはプレシャスと同じように何らかの事情で学校をドロップアウトした子ばかりが通う。読み書きはできないが、スラングを発し、卑猥な話題ばかり、集中力を欠く子たちだが、これもワケありそうな先生レインによって自信と尊厳を取り戻していく。そしてプレシャスも自分におこったことを話し、母から自立の道を模索しはじめるが現実は厳しく、自分を襲った父がAIDSで死んだと聞いた後、自分もHIV陽性の診断が。
小学校レベルの読み書きもできなかったプレシャスが、拙いながらも詩を書き始めたのは、「つらい。書けない」と訴えるのにレイン先生が書くようすすめたから。文字の力を、自己表現の可能性を信じるレイン先生はレズビアンで自分の母親とうまくいかず何年も会っていないらしい。高等教育を受け、教育の現場にもいたようだが、「なぜここにいるの?」と生徒に聞かれて「教えることが好きだから」と返すレイン先生だけではない、ソーシャルワーカーのミセス・ワイス(マライア・キャリーが演じている!)もプレシャスの味方である。そう、母親や父、貧しい街中の悪ガキどもや級友は誰もプレシャスの味方ではなかった。それが肌の色の違う賢そうな人たちが自分の味方であるなんて。
サバイバーの物語はサバイブにそれこそ何年もかかるであろうし、どこまで行けば助かったなんてことは周囲にはもちろん本人にも分からないことが多いのではないか。そして、その条件としてサバイバーを支える人たちの存在、プレシャスの場合は先生、ソーシャルワーカー、そして新しいクラスメイトたちがいる。いろんな人に出会い、助けられ、そして助けていく過程で自分に非がないこと、自分の尊厳を認めることができるようになるのではないだろうか。プレシャスは今は読み書きも下手でそれ以外に自己表現も乏しいが、虐げられていた時、成功しスポットを浴びる自分の姿を夢想して現実の痛みから逃避していたが、今や「大学に行く。子どもたちは自分で育てる」ときっぱり。HIVのこともあり、その後プレシャスが本当に自立、幸せの道を切り拓けるかどうか分からないが、「私は誰にも愛されていない」と言うプレシャスにレインが言う「あなたのことを、あなたの赤ちゃんや私も愛している」。
いい意味でのアメリカンドリームという希望を小さく点したシーンに本作のねがいが現されているように思える。

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闇は天才をつくり、天才は闇を好む  カラヴァッジョ「天才画家の光と影」

2010-04-04 | 映画
イタリア語はさっぱり分からないが、14世紀の画家ジョットの活躍後ジョットを真似て、あるいは影響を受けて多くのジョッテスキが誕生し、後のイタリアルネサンスを牽引する画家たちに連なっていく。そして16世紀末から17世紀初頭波瀾万丈の人生とともに大きな足跡を残したカラヴァッジョに影響を受けた画家たちもカラヴァッジェスキと呼ばれたという。そのカラヴァッジェスキの系譜にレンブラントやルーベンス、ベラスケスなどバロック絵画の巨匠たちがいる。どうやらイタリア語の「スキ」は追随者、マニア、英語のイアンくらいの意味らしい。日本語の「好き」とも通じるということはないだろうが。
美術の世界というのは流行り廃りがあって、カラヴァッジョの時代は教会や富裕層がある画家の作品をこぞって買いあさり、それでその画家が最も流行の先端となるという様相であった。しかし、テレビやインターネットのメディアの現代、テレビ番組が近年出た著作をもとに、あるいは近々公開される美術展、映画とタイアップしてその画家を取り上げるということがよくある。近年のダ・ヴィンチ人気やフェルメール人気を見ればそれがよく見て取れる。そして今回はカラヴァッジョ人気である。
美術好きでもない限り、カラヴァッジョはダ・ヴィンチやフェルメールほど有名ではない。しかもその作品は必ずしも多くはないし、日本でも紹介されることも少なかった。それが、2001年東京都庭園美術館で開催された「カラヴァッジョ 光と影の巨匠-バロック絵画の先駆者たち」展により徐々にその画業が知られるようになったらしい。筆者も訪れたが、日本の美術展によくあるように「先駆者たち」の作品も多く、カラヴァッジョだけの展覧会ではなかったし、当時キリスト教絵画について今ほど知らなかったため、それほど長い時間を過ごさなかったように思う。
さて、映画ではその才能とあわせて放蕩ぶりに焦点があてられ、のたれ死にのような最期を迎えるまでを劇的な撮影効果で表している。「劇的」であるのはそれもそのはずで、「ラスト・エンペラー」や「地獄の黙示録」などアカデミー賞を3度受賞したヴィットリオ・ストラーロが撮影を担当しているからだ。
カラヴァッジョを指すときいつも使われる表現「光と影」。カラヴァッジョの作品はその大胆な構図と光と影の使い方にあるのは周知の事実。しかし、それを映像で現すとなると。ストラーロの撮すカラヴァッジョの世界は、まさに光と影。17世紀の陽光は現代より明るかったかもしれないが、同時に室内灯などない世界。画家は劇的を目指すとすれば陽光に頼らざるを得ない。同時に、それは実際の光を宗教画というフィクションの世界に生かす画家の技量が問われる場でもある。
カラヴァッジョの描く世界は、当時宗教改革の波が押し寄せてくるのに対抗し、教会、ローマ教皇の権威を民衆に見せつける時代背景を持ち、肖像画を描きたいと希っていたカラヴァッジョも枢機卿などパトロンの注文に応じ、多くの宗教画を描いた時代。ただ、聖マリアもユーディットも娼婦をモデルとしてであるが。
映画で描かれる17世紀のイタリアは残酷だ。父殺しのベアトリーテ・チェンチは首を切り落とされ、宗教改革派の神父は火刑に。いずれも公開の場で。それらを凝視したカラヴァッジョは「死」をおそろしく立体的にキャンバスに現した。宗教画という纏をもって。
カラヴァッジョはおそらく「死」と遠くなかったのであろう。カラヴァッジョは子どもの頃性虐待を受けたとの話もあり、それがもとで「普通」の結婚生活や生活設計ができなかったともされる。真偽は不明であるが、生を光とするならば死を指すのは「影」。カラヴァッジョは光より「影」あるいは、「闇」と言ってもいいかもしれない、「闇」に憑かれていたのではなかったか。そう、十字軍やペストで多くの命が失われた中世をルネサンスという陽光で越えた西洋であっても、カラヴァッジョを苛んだ「闇」。
暗い力の源泉は時に天才を生む。主題が聖書のものであっても、描いた現実は現世そのもの。カラヴァッジョの迫力に近づくためにも本作と南欧に散らばるカラヴァッジョの作品との逢瀬は必要である。
(アレクサンドリアの聖カタリナ マドリード、ティッセン=ボルネミッサ・コレクション)
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