kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

出会いは名作と相克を生む シャネルとストランヴィスキー

2010-03-17 | 映画
ココ・シャネルをめぐる映画が最近多い。往年の大女優シャーリー・マクレ-ンの「ココ・シャネル」、フランスの売れっ子オドレイ・トトウの「ココ・アヴァン・シャネル」。晩年のシャネルを描いた「ココ・シャネル」とお針子から成功していく時代を描いた「ココ・アヴァン・シャネル」、そしてシャネルがパトロンであり、愛人であった「ボーイ」を失った直後にストランヴィスキーとの出会いを描いた本作。洋服屋であったシャネルが斬新な女性のモード全体を描く道具として開発した香水「シャネル No.5」が生まれた同じ頃にストランヴィスキーが「春の祭典」を完成させたという、雌雄の天才が互いに惹かれる中でそれら後世に残る名品を生みだした歴史的、人間的状況に肉薄した映像が本作である。
とここまで書きながら、実は、シャネルのことは全然知らないというか興味もなかったし、シャネルがもともとは洋服の仕立屋であることさえ知らなかった。ブランドバッグなどのメーカー(もちろんシャネルさんという人がいるのは知っていたが)だと思っていたのだ、恥ずかしながら。で、なぜ、本作を見たいと思ったのか? ストランヴィスキーである。
ロシア革命時にフランスへ亡命したロシア人の一人、ストランヴィスキーはバレエ・リュス(ロシア・バレエ)とともにフランスで成功を納めた。が、当初から成功したわけではない。
映画はロシア革命前、ストランヴィスキーがパリのシャンゼリゼ劇場で初演するバレエ「春の祭典」から始まる。観客の中にシャネルの姿もあった。セルゲイ・ディアギレフのプロデュース、ヴァーツラフ・ニジンスキーの振り付け、そしてイゴール・ストランヴィスキーの音楽。すべてフランスへロシアバレエの実力を見せつけるための進出だったが、散々だった。ニジンスキーの振り付けはクラシック・バレエの「美しい」基本とはかけ離れたもので、腕や足を内側に曲げ、ときにだらりと下げる不安定この上ない群舞はダンサーたちこそ意外ではなかったか。ストランヴィスキーの不協和音は「騒音」と中座されるほど理解に苦しむ流れであったに違いない。
しかし前衛とは常に前衛たるが故はじめから受け入れられることはない。自立した女性として男性産業社会に、男性視線の女性像に果敢に挑むシャネルにはストランヴィスキーの斬新は非難囂々の中十分に彼女を惹きつけるものであった。ロシア革命を経、フランスに亡命してきたストランヴィスキーに支援の手をさしだすのは当然のことであっただろう。ところが、パリ郊外の別荘を提供することから、たまに帰ってくるシャネルとストランヴィスキーのあやしい関係が始まる。すぐ近くの部屋でストランヴィスキーの妻カーチャが病の床に伏せっていることを承知で。二入の関係は多分にシャネルが誘っているように見えるが、「ボーイ」亡きあと、シャネルもまだ30代後半から40歳くらい、年の近いストランヴィスキーも病床の妻とあって、性的に枯渇していたとしても不思議ではないし、そのパワーが新たな創造の源になることもあるだろう。現にストランヴィスキーの手稿の訂正や清書をして彼を支えていたカーチャに「あなたの曲は情熱的になったわ」と言わしめるあたり、二人の関係は妻や子どもらも知ることとなり、全体の関係自体が危ういものとなっていく。しかし、シャネルNo.5の発表と時を近くしてストランヴィスキーの「春の祭典」は改稿版が上演され、拍手喝采を受ける。
芸術家の奔放や逸脱は、ときに家族や周りの人間を不幸に陥れるが、シャネルとストランヴィスキーも例外ではない。ただ、ピカソをはじめとする芸術家の異性遍歴に比して、シャネルやストランヴィスキーのそれはまだかわいい。シャネルとはともかく、ストランヴィスキーにあってはロシア正教の道徳律が強かったのかもしれない。いずれにしても、二入の天才が出会うとき、よき方向でその才が花開く一方で、その「犠牲」になる係累もいて、同時に出会いはやはり別れを必然とし(もっとも、シャネルもストランヴィスキーも晩年は同じニューヨークで暮らしたという)、別れのあと帰る先はやはり係累たる家族であるのかもしれない。
「春の祭典」の古典を脱した戦慄と大地の歓声たるダンス。クラッシックからモダンへと息づく階段を駆け上がったシャネルとストランヴィスキー、二人の歴史は今見てもやはり作品と同様に「古典」ではありえない。

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少しでも長く現役でいてほしい  熊川哲也「海賊」

2010-03-07 | 舞台
「海賊」は熊哲のオハコで、数年前行ったところ熊哲が直前に足を負傷し、急遽代役で公演されたことがあり、とても残念だったことを覚えている。
 今回初めて会う熊哲の「海賊」はさて。
 イギリスの詩人バイロンによるロマン主義物語の原作とは大分違うようであるが、もともとイギリス、西欧のアラブ観、ユダヤ観がかいま見えるオリエンタリズム性は致し方ない面もある。そしてDVDで見たキーロフ・バレエ団のそれはその特徴が強く出ていたが、熊哲の「海賊」はそれがかなり薄められていて、かつコンパクトである。キーロフ版が3幕であるのに対し、2幕構成である。ただし上演時間は熊哲版の方が長いようである。
本演のもっとも面白いところは男性ダンサーによる群舞。コール・ド・バレエといえば、女性ダンサーが定番でその美しさがウリの作品も多い中で、海賊は男性集団であるから男性による群舞。当たり前と言えば当たり前であるが、意外なうれしさと言ったらいいだろうか、通常の女性コールドのようなアラベスクが延々と続いたりせず、コミカルかつアグレシッブである。これら振り付けを考えるのが熊哲の仕事。バレエの基本的動きに加え、側転や相方を乗せるような動作までするまるでアスリートさながらである。
 開演当初おとなしい振り付けだなと思っていたら、どんどん激しくなってくる。そしてメドーラを演じた荒井祐子とアリ役の熊哲の超絶技巧も楽しめる。クラシックを引退した草刈民代がビルエット(回転)する時、音楽に合わせて速さを保とうとすると軸足が大きくずれてしまい、己の体力的限界を感じたからとテレビでしていた。荒井の軸足はもちろんずれない、すばらしい速さだ。そして熊哲。男性の場合はグランド・ビルエットと言うらしいが、足を大きく水平に上げたままコマのように回る様は熊哲ももちろん超絶技巧の持ち主で、かつ38歳とは思えぬ動きだ。しかし、望遠鏡でよく見ると踊った後の熊哲の肩が震えていた。それはそうだろう、この熊哲の回転をいつまで見られるか。
 知人の熊哲ファンが、ジャンプしたとき、後ろの男性ダンサーの誰より高さが足りなかったと指摘していたが、それでもよい。美しかったから。
 そしてダンサーとしては決して大きくない熊哲が、イギリスで大きな西洋人バレリーナを持ち上げてきたことを思えば、日本人バレリーナのリフトなどそれほどでもないのかもしれない。しかし、現役を続ける限りはまた見てみたいと思う。
 
 
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