ずいぶん以前、田中伸尚さんに講演をお願いしたことがある。その時、話されたのは大逆事件で収監され、獄中で縊死した高木顕明僧侶と高木僧侶の名誉回復に時間のかかった真宗大谷派の歩みについてであった。
『飾らず、偽らず、欺かず 管野須賀子と伊藤野枝』(岩波書店 2016年10月)は、その大逆事件でただ一人の女性で捕えられ刑死した管野須賀子と、その13年後関東大震災の折に甘粕正彦大尉らによって大杉栄、子どもとともに虐殺された伊藤野枝の評伝である。田中さんの二人に対するあふれるような思慕、敬愛とその理由を余すことなく伝える二人の生き様。魅力の塊であった二人は、愛に生き、社会主義や無政府主義という差別のない 特に女性が虐げられる社会の改革の日を見た 社会の構築を目指し活動した。しかし、須賀子は29歳、野枝は28歳の若さでその希いを国家権力によって絶たれたのだ。
田中さんがなした二人の行道追いは仔細を究める。大阪出身の須賀子と福岡出身の野枝は生年にして14年ほどの差があるが、いずれも文を認める才に秀でていたようだ。須賀子は大阪で新聞記者を経験しているし、野枝は「青鞜」に執筆し、小説を書いた。二人の書いたものは多く残っているのに、その実像が描かれるのに困難が多かったのは、権力側の書類が遺棄されたことと、二人の係累がながくその係累であることを秘してきたことにある。
しかし、田中さんは両事件にかかわる戦前・戦後資料、著作にあたり、そして遺児親族らを訪ね、丹念に聞き取りを続ける。浮かび上がってくるのは、二人の魅力もさることながら、二入を支えた社会主義、無政府主義の運動にかかわった人たち、あるいは、そういった思想に同調運動をしなかったが、陰に陽に二人とその夫、幸徳秋水や大杉栄ら家族を支えた人たちの姿である。須賀子も野枝もずっと貧乏であった。度重なる転居、そう、驚くほどの回数引っ越しをしている。福岡出身の野枝は、福岡に戻ったり、東京に居を定めてからもあちらこちらと。須賀子も同じである。病弱であった須賀子は療養で箱根に移ったり、東京を転々としたり。現代のように家財道具にあふれている時代と違うとはいえ、引っ越しは大変だ。それも大概、知り合い、伝手を頼っての新居確保。不安定なことこの上ない。しかし、何かしらの解決策を見出す。とても問題解決能力が高い。そしてすぐに活動を始める。それができたのは須賀子、野枝の並外れたバイタリティーはもちろんのこと、困難な時代に彼女ら、彼らを支えた仲間があったからに違いない。
田中さんの前著『大逆事件 死と生の群像』(岩波書店 2010年)では、事件では難を逃れた社会主義者の堺利彦が、刑死した者の遺族を慰問にまわる姿も描かれる。堺以外にも、事件で前途を絶たれる須賀子や野枝の生前、彼女らの遺族らを支えた多くの人がいたに違いない。野枝は、無政府主義の理想のあり方を国家権力やあらゆる上からの支配に与しない郷土の「組合」に見たようだが、そことて他者からの干渉をゆるす「自治」の実相は個にとって窮屈にちがいないことは田中さんも指摘するとおりであろう。
歴史に「たら」「れば」が通用しない。須賀子も野枝も生き永らえていたら、は想像できない。須賀子は大逆事件で囚われたときすでに自己の死期と権力による殉死も覚悟していたようである。天皇制軍国主義が貫徹した1930年代のこの国のはるか20年前、10年前にすでに国体は、有形の暴力を用いて、女性が平等に生きていくこと、一人の人間として解放されることを社会主義や無政府主義に見出し、筆の力で切り開こうとした二人を抹殺した。その罪は未だ裁かれていない、明らかにされてはいない。
トランプ大統領の出現後、オルタナティブ・ファクトだの、ポスト・トゥルースだの実際の事実と違う言説が権力側から平気に流される現在。いや、「新しい判断」などとのたまった安倍晋三首相こそトランプ大統領の先達かもしれない。大逆事件も甘粕事件もなんの故もない権力犯罪であった。壮烈に生きた須賀子と野枝。軽薄ながら二入に対する田中さんの記す「ラブレター」に乗っかりたいと思う。そして「飾らず、偽らず、欺かず」に「阿らず」も加えたいと思う。