国立西洋美術館の次は新国立美術館。常設展がなく、特別展だけの新国立美術館は「印象派を超えて 点描の画家たち」と「アメリカン・ポップ・アート」展。「点描の…」はオランダはクレラー=ミュラー美術館の収蔵品を中心に、従来新印象派として「バンチスト(点描)」の代表たるスーラの業績を紹介されることが多かったものに対して、改めて「分割主義」(スーラの盟友ポールシ・ニャックが普及させた理念)を再考する意欲的な展覧会である。
「Divisionism(分割主義)」は、印象主義、新印象主義、フォービズム、キュビズムなどにくらべると馴染みのない用語だが、美術史的には確立された概念で、新印象主義以降分割主義をとおった画家こそが後世に遺る仕事を成し遂げたという。今でこそ展覧会で長い行列のできるゴッホも生前1点しか売れなかったのは有名だが、分割主義の技法に挑戦、試したという。たしかにゴッホはフォービズムの画家としてくくられることが多いが、その作品群は点描の影響が大きいというのは明らかだ。
分割主義は画壇での寿命は短いように見えるが、スーラ以前、印象主義のピサロやシスレー、シニャック、レイセルベルヘ、ゴッホ、ナビ派のドニ、そしてピカソ、レジェ、モンドリアンと確実に近代絵画の主要系譜を跡付けている。恥ずかしながら、ピサロとシスレーの画風の違いがよく分からなかったことと、点描の偉大な貢献者ベルギーのレイセルベルヘの名は知らなかった。まずピサロの細かな緑、その上で流れるような筆致とシスレーの点描に忠実な、それでいて森林の緑にこだわらない広い色彩感は、見比べるとその違いがよく分かる。が、これは「分割主義」という切り口ではじめて分かったこと。そして、分割主義こそが、近代絵画の成熟=フォービズム、キュビズムを通り、モンドリアンに代表される近現代デザインの萌芽=を方向付ける出発点となったことを理解できるのである。
分割主義は単なる色彩理論でも、画法の一亜流でもない。それは32歳で夭逝したスーラの理論的に絵画の構成を解明しようとした、そして、それを実践しようとした人間の眼に対する期待と探索の旅に思える。セザンヌはモネを「モネは眼だけだ。だがその眼がすごい」と言ったとか。原色に近い点で描かれた集合体を大きな景色として美しいととらえる人間の眼。スーラの探求はしっかりと後世の画家に受け継がれている。
同じ新国立美術館で開催されていたのはアメリカン・ポップ・アート展。さすがに美術館自体が広いので、2階の展示場もいつ終わりになるのかと言うほどの規模。アメリカン・ポップ・アートといえばアンディ・ウォホール。しかし、ポップ・アート自体がお家芸のアメリカでは、ポップ・アートこそアメリカなのである。ウォホールはキャンベルのスープ缶に代表されるように商業主義を逆手に取りアートをマーケティングに近づけたが、一方、ジャスパー・ジョーンズは星条旗というナショナリズムを商業主義に近づけ、反対にロバート・ラウシェンバーグは日常のつまらないものをアートや社会性につなげた。
かようにアメリカのポップはアートになり、同時にその時代のアメリカそのものであった。1950年代、アメリカではミニマリズムの旋風の中でコンセプチュアルアート全盛で、ポップ・アートはまだ大きな力とはなっていなかった。しかし、占領した日本にモノ的アメリカ文化を注入し終えたアメリカではむしろいきついた商業主義への批判がポップ・アートを生んだとも言える。と同時に大量生産、大量消費の、それも選択肢のない同じ商品を消費し続ける大多数のアメリカ国民の姿は「アメリカン・ポップ・アート展」として「消費」する日本の笑えない現実を象徴しているようでもある。
ウォホールの代表作に故ケネディ大統領の夫人像「ジャッキー」がある。その娘が今や駐日大使として赴任する。日本はやはりアメリカが好きなだ、ということをアメリカはよく知っていると思えてならない。(「キャンベルのスープ缶」アンディ・ウォホール)
「Divisionism(分割主義)」は、印象主義、新印象主義、フォービズム、キュビズムなどにくらべると馴染みのない用語だが、美術史的には確立された概念で、新印象主義以降分割主義をとおった画家こそが後世に遺る仕事を成し遂げたという。今でこそ展覧会で長い行列のできるゴッホも生前1点しか売れなかったのは有名だが、分割主義の技法に挑戦、試したという。たしかにゴッホはフォービズムの画家としてくくられることが多いが、その作品群は点描の影響が大きいというのは明らかだ。
分割主義は画壇での寿命は短いように見えるが、スーラ以前、印象主義のピサロやシスレー、シニャック、レイセルベルヘ、ゴッホ、ナビ派のドニ、そしてピカソ、レジェ、モンドリアンと確実に近代絵画の主要系譜を跡付けている。恥ずかしながら、ピサロとシスレーの画風の違いがよく分からなかったことと、点描の偉大な貢献者ベルギーのレイセルベルヘの名は知らなかった。まずピサロの細かな緑、その上で流れるような筆致とシスレーの点描に忠実な、それでいて森林の緑にこだわらない広い色彩感は、見比べるとその違いがよく分かる。が、これは「分割主義」という切り口ではじめて分かったこと。そして、分割主義こそが、近代絵画の成熟=フォービズム、キュビズムを通り、モンドリアンに代表される近現代デザインの萌芽=を方向付ける出発点となったことを理解できるのである。
分割主義は単なる色彩理論でも、画法の一亜流でもない。それは32歳で夭逝したスーラの理論的に絵画の構成を解明しようとした、そして、それを実践しようとした人間の眼に対する期待と探索の旅に思える。セザンヌはモネを「モネは眼だけだ。だがその眼がすごい」と言ったとか。原色に近い点で描かれた集合体を大きな景色として美しいととらえる人間の眼。スーラの探求はしっかりと後世の画家に受け継がれている。
同じ新国立美術館で開催されていたのはアメリカン・ポップ・アート展。さすがに美術館自体が広いので、2階の展示場もいつ終わりになるのかと言うほどの規模。アメリカン・ポップ・アートといえばアンディ・ウォホール。しかし、ポップ・アート自体がお家芸のアメリカでは、ポップ・アートこそアメリカなのである。ウォホールはキャンベルのスープ缶に代表されるように商業主義を逆手に取りアートをマーケティングに近づけたが、一方、ジャスパー・ジョーンズは星条旗というナショナリズムを商業主義に近づけ、反対にロバート・ラウシェンバーグは日常のつまらないものをアートや社会性につなげた。
かようにアメリカのポップはアートになり、同時にその時代のアメリカそのものであった。1950年代、アメリカではミニマリズムの旋風の中でコンセプチュアルアート全盛で、ポップ・アートはまだ大きな力とはなっていなかった。しかし、占領した日本にモノ的アメリカ文化を注入し終えたアメリカではむしろいきついた商業主義への批判がポップ・アートを生んだとも言える。と同時に大量生産、大量消費の、それも選択肢のない同じ商品を消費し続ける大多数のアメリカ国民の姿は「アメリカン・ポップ・アート展」として「消費」する日本の笑えない現実を象徴しているようでもある。
ウォホールの代表作に故ケネディ大統領の夫人像「ジャッキー」がある。その娘が今や駐日大使として赴任する。日本はやはりアメリカが好きなだ、ということをアメリカはよく知っていると思えてならない。(「キャンベルのスープ缶」アンディ・ウォホール)