kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

東京美術展ぶらり2

2013-10-17 | 美術
国立西洋美術館の次は新国立美術館。常設展がなく、特別展だけの新国立美術館は「印象派を超えて 点描の画家たち」と「アメリカン・ポップ・アート」展。「点描の…」はオランダはクレラー=ミュラー美術館の収蔵品を中心に、従来新印象派として「バンチスト(点描)」の代表たるスーラの業績を紹介されることが多かったものに対して、改めて「分割主義」(スーラの盟友ポールシ・ニャックが普及させた理念)を再考する意欲的な展覧会である。
「Divisionism(分割主義)」は、印象主義、新印象主義、フォービズム、キュビズムなどにくらべると馴染みのない用語だが、美術史的には確立された概念で、新印象主義以降分割主義をとおった画家こそが後世に遺る仕事を成し遂げたという。今でこそ展覧会で長い行列のできるゴッホも生前1点しか売れなかったのは有名だが、分割主義の技法に挑戦、試したという。たしかにゴッホはフォービズムの画家としてくくられることが多いが、その作品群は点描の影響が大きいというのは明らかだ。
分割主義は画壇での寿命は短いように見えるが、スーラ以前、印象主義のピサロやシスレー、シニャック、レイセルベルヘ、ゴッホ、ナビ派のドニ、そしてピカソ、レジェ、モンドリアンと確実に近代絵画の主要系譜を跡付けている。恥ずかしながら、ピサロとシスレーの画風の違いがよく分からなかったことと、点描の偉大な貢献者ベルギーのレイセルベルヘの名は知らなかった。まずピサロの細かな緑、その上で流れるような筆致とシスレーの点描に忠実な、それでいて森林の緑にこだわらない広い色彩感は、見比べるとその違いがよく分かる。が、これは「分割主義」という切り口ではじめて分かったこと。そして、分割主義こそが、近代絵画の成熟=フォービズム、キュビズムを通り、モンドリアンに代表される近現代デザインの萌芽=を方向付ける出発点となったことを理解できるのである。
分割主義は単なる色彩理論でも、画法の一亜流でもない。それは32歳で夭逝したスーラの理論的に絵画の構成を解明しようとした、そして、それを実践しようとした人間の眼に対する期待と探索の旅に思える。セザンヌはモネを「モネは眼だけだ。だがその眼がすごい」と言ったとか。原色に近い点で描かれた集合体を大きな景色として美しいととらえる人間の眼。スーラの探求はしっかりと後世の画家に受け継がれている。
同じ新国立美術館で開催されていたのはアメリカン・ポップ・アート展。さすがに美術館自体が広いので、2階の展示場もいつ終わりになるのかと言うほどの規模。アメリカン・ポップ・アートといえばアンディ・ウォホール。しかし、ポップ・アート自体がお家芸のアメリカでは、ポップ・アートこそアメリカなのである。ウォホールはキャンベルのスープ缶に代表されるように商業主義を逆手に取りアートをマーケティングに近づけたが、一方、ジャスパー・ジョーンズは星条旗というナショナリズムを商業主義に近づけ、反対にロバート・ラウシェンバーグは日常のつまらないものをアートや社会性につなげた。
かようにアメリカのポップはアートになり、同時にその時代のアメリカそのものであった。1950年代、アメリカではミニマリズムの旋風の中でコンセプチュアルアート全盛で、ポップ・アートはまだ大きな力とはなっていなかった。しかし、占領した日本にモノ的アメリカ文化を注入し終えたアメリカではむしろいきついた商業主義への批判がポップ・アートを生んだとも言える。と同時に大量生産、大量消費の、それも選択肢のない同じ商品を消費し続ける大多数のアメリカ国民の姿は「アメリカン・ポップ・アート展」として「消費」する日本の笑えない現実を象徴しているようでもある。
ウォホールの代表作に故ケネディ大統領の夫人像「ジャッキー」がある。その娘が今や駐日大使として赴任する。日本はやはりアメリカが好きなだ、ということをアメリカはよく知っていると思えてならない。(「キャンベルのスープ缶」アンディ・ウォホール)
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東京美術展ぶらり1

2013-10-12 | 美術
あざみ野市で開催されたWeフォーラム(Weの会・フェミックス主催)に参加するため東京に行ったのでいくつか美術展も回ってきた。
国立西洋美術館に新館ができたのは知っていたが、なかなか訪れる機会がなかった。一応西洋美術を擁する日本最大の美術館なので、ル・コルビュジェ作とはいえ本館だけでは淋しい規模であったから、日の目を見なかった収蔵品が展示されるのは喜ばしいことだ。もちろんヨーロッパの名だたる美術館が、中世(以前)のキリスト教美術から押さえているのに比べると「西洋」を語るには貧相なのはいたしかたない。けれど、おもに印象派以降の近代美術に特化して、日本人の印象派好きになるよう多大な貢献をしてきた功績?は評価されてしかるべきだと思う。 
本館で開催されていたのは、印象派ではなく「ミケランジェロ展 天才の軌跡」。イタリアルネサンス3巨匠のうち彫刻と絵画の両面で名をなし、システィーナ礼拝堂の天井画をはじめ、日本人にもなじみ深い作品も多い。ただ、ダ・ヴィンチの作品が海外へも持ってこられるのに対し(「モナ・リザ」も西洋美術館に来たことがある)、ミケランジェロの作品が海外にでることは難しい。ミケランジェロがなぜ天才であるのか。それは、「神のごとき」観察眼と技で天井画を完成させ(教皇から依頼された礼拝堂天井画と壁画(最後の審判)を依頼されたときミケランジェロは30歳、制作に40年の歳月を費やした)、その地位を揺るぎなきものにしただけではない。ルネサンス絵画で飛躍的に技術が向上した遠近法を大胆に取り入れ、タブーであった裸体を多用、肉体を究極まで追求した技巧の技はピエタやダヴィデで十分に証明されている。しかし、教皇に依頼され、慣れない天井画に挑んだ巨匠。神は細部に宿るとの言はミケランジェロより大分後の時代だが、ミケランジェロの仕事の粋はまさに細部に宿った。天井画は、見上げることが前提で、また物語も壁に飾る絵画より一覧性に秀でていなければならない。それを成し遂げたのが神の手所以。
ダ・ヴィンチはもちろんのこと、バロックの巨匠レンブラント、19世紀ではゴヤ、印象派のドガ、20世紀のピカソ、モディリアーニなど素描展をいくつか見たことがあるが、いずれも感嘆の技量であった。そしてミケランジェロ、本展はその素描もいくつか展示されているが、妥協を許さない完成作たるシスティーナの天井画と壁画がそれら驚嘆の素描の集大成であることがよく分かる。「神のごとき」ミケランジェロなのである。
同じく西洋美術館で今回もっとも惹かれた展示が「ル・コルビュジエと20世紀美術」展。この西洋美術館を設計したコルビュジエは、建築以前というか、並行して絵画、彫刻、版画、タピスリーな多岐にわたって作品を遺していた。その全容に迫るとの意気込みで本当に多くの作品群。建築でキュビズム的構成を現出させたコルビュジエが、20世紀の構成主義、キュビズムに惹かれたのはよく分かる。その作品群はフェルナン・レジェの影響が大きく、その色彩、フォルムともレジェ本体よりレジェらしい。
19世紀末印象主義からフォービズム、キュビズムへとより抽象主義に変化したのは理由がある。勝手な解釈だけれども印象主義以前、キリスト教を中心とした画題に縛られていた美術界は、印象主義に出会うことによって、宗教や神話を取り上げないで絵画が成り立つということを知った。そして、再び宗教や神話を描かない証として、画家は物語がなくても見る眼そのものによって物語がつくられる、あるいは物語自体を必要としない絵画に出会ったのだ。
コルビュジエの絵は建築に行かなければ、ピカソやレジェなどキュビズムの極致を達成したかもしれない。それくらい、後の建築作品の萌芽が、コルビュジエの絵画に読みとれるのである。しかし、コルビュジエはそれで終わらなかった。そう、キュビズムの非人間性を3次元では親人間性に還元して見せたのだ。その代表作があのロンシャン礼拝堂であると筆者は思っている。いや、そう思ってみれば、レジェなど2次元の世界もかなり親人間的であるではないか。コルビュジエの世界はまだまだ広がっていく。
(ル・コルビュジエ「円卓の前の女性と蹄鉄」)
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