kenroのミニコミ

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近代美術史の結節点 「キュビスム展 美の革命」を愉しむ

2024-03-29 | 美術

美術作品を分かりやすさのためにとても大雑把に分類すると、具象か抽象か、写実的かそうではないか(表現主義的か)と分けることができるだろう。もちろん作者の意図として、作者にはそう見えたから描いたが、鑑賞するものにはどう見てもその通りには見えないということもあるだろう。

西洋絵画中心の話にはなるが、印象派が生まれたのは19世紀前半に登場した写真技術に対し、画家が対象の再現性という点では写真に敵わないと感じ、新たな表現方法を模索し始めたからというのも理由の一つだろう。後期印象派の代表格とされるセザンヌは客体の解体を推し進め、キュビスムへの道を開いた。有名な言葉「球と円筒、円錐で描く」はその表現主義的精神を余すことなく伝えている。セザンヌに傾倒したピカソがブラックとともに試みたのがキュビスムであり、3次元の対象を如何に2次元で表現するかの格闘の末、多視点にたどり着いた。

「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展 美の革命」は、50年ぶりの大キュビスム展とうつ。これは、1976年に東京と京都で開催された「キュービズム展」以来だからだ。そしてポンピドゥー・センターが来年末から5年間改修休館することから徐々にその準備として、収蔵品を世界中に貸し出していることで実現した大企画である。50点を超える初来日作品等もある。

展示の章立てが粋だ。セザンヌがキュビスムへの嚆矢とわかる「キュビスム以前」、ピカソがアフリカ美術に傾倒していた「プリミティヴィスム」、ブラックがセザンヌへのオマージュとして描いたレスタックの地で始まる「キュビスムの誕生」、ピカソとブラックの邂逅による「ザイルで結ばれた二人」、キュビスムを新様式として評価、ピカソを後押しした画商のカーンヴァイラーが認めたキュビスト「フェルナン・レジェとファン・グリス」。憎いのはキュビスム好き?には、たまらないセレクトであるドローネー(ロベール、ソフィア)やデュシャン兄弟(ピュトー・グループ)、リプシッツの彫刻、あまり知られていない東欧のキュビストや立体未来主義にも触れられていて圧巻の14章だった。

東京展ではブランクーシの彫刻作品もあったようで京都展にはなかったのが残念だ。しかし、ピカソとブラックがはじめてわずか数年で他の展開へとつながっていったキュビスムの役割がいかに大きく、歴史的画期であったかがよく分かる流れとなっていることは否定できない。第1次世界大戦前夜にパリに集ったピカソはじめ異邦人ら、グリスも、ブランクーシも、シャガール、モディリアーニ、アーキペンコ、リプシッツらが切磋琢磨した技と試みはやがて大戦中に生まれたダダ、その後の抽象、シュルレアリスムへ、さらにアンフォルメルまでにつながっていく表現主義の門戸を開いたのだ。

ところで、キュビスムは作者にそう見えたこととそう表したいことの結節点としての表現であり、作品名は「座る女」など具体的であって、抽象画のような「作品」や「無題」はあり得ない。具象そのものだったのだ。しかし、たとえば東京展のチラシに採用されているロベール・ドローネーの《パリ市》(1910-1912)は、割れた鏡に映った像のようで一見「具象」には見えないかもしれない。しかし、中央の裸体像は明らかにギリシア神話の「三美神」である。キュビストも前近代の画題に敬意を表し、かつ逃れられない部分もあったのだ。だからキュビスムは面白い。(「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展 美の革命」7月7日まで 京都市京セラ美術館)

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ガザこそホロコーストである  岡真理『ガザとは何か』

2024-03-06 | 書籍

ちょうど、大阪府堺市にて毎月主要駅前でイスラエルのガザへの侵攻を抗議するスタンディング・アクションをしている地元の市民グループが岡真理さんをお呼びしての講演会を開催した。岡さんは、いくら時間があっても足りないように熱く語られた。強調されたことは、いくつかあるが昨年(2023)10月7日のハマースによるイスラエル攻撃だけをフィーチャーして語るメディアが信用ならないこと、ホロコーストによってドイツなどから逃れたユダヤ人がイスラエルを建国したという神話の誤りなどだ。そして、反イスラエル=反ユダヤの淵源が、ユダヤ教を排除するという宗教的観念が、ユダヤ人排除という血、人種の問題にされたことにあるという歴史的文脈だ。

講演は、本書に沿う内容だが、ガザでの犠牲者が3万人を超える現在(講演の3月3日時点)、恐ろしい意味でアップデートされている。しかし、古代から流浪の民として言及されたユダヤ民族のお話と、第2次世界大戦後に建国されたイスラエルの歴史とはほとんど関連性がないし、その事実は変わらない。ディアスポラであることと、パレスチナの地からアラブ人を抹殺しようとする国があるという現実は併存するのだ。ドイツのようにホロコーストの加害者の歴史ゆえに現在のイスラエルの蛮行を黙認することは許されないということでもある。

岡さんが本書であげる要点は「1 現在起きていることは、ジェノサイド(大量虐殺)にほかならないということ。2 今日的、中期的、長期的な歴史的文脈を捨象した報道をすることによって、今起きているジェノサイドに加担しているということ、3 イスラエルという国家が入植者による植民地国家であり、パレスチナ人に対するアパルトヘイト国家(特定の人種の至上主義に基づく、人種差別を基礎とする国家)である。4 何十年にもわたる、国際社会の二重基準があり、それを私たちが許してしまっている。」ということ。

少し解説が必要だろう。2は、前述のユダヤ人の歴史に関わることだ。キリスト教がヨーロッパ(ローマ)で「国教」となった以降、ユダヤ教が迫害されてきたのは事実だ。そして第1次世界大戦中、イギリスがシオニズム(ユダヤ人国家建設)を支持し、パレスチナをユダヤ人居住地と認めたこと(1917 バルフォア宣言)、ホロコースト、第2次大戦後の1948年国際連合によるパレスチナ分割決議によりイスラエルが建国されたこと。さらに、イスラエルが建国後早い段階からパレスチナ先住民を滅殺しようとしてきたこととそれに対抗するパレスチ人との戦い(第1次〜第4次中東戦争)と、イスラエルによるヨルダン川西岸への入植と、それらに対する抵抗(第1次インティファーダ(1987)、第2次インティファーダ(2000〜2005)とイスラエルがガザを「天井のない監獄」と化したガザ封鎖(2007)の歴史がある。これが「今日的、中期的、長期的な歴史的文脈」の一部である。そして4はアメリカの他国侵略を筆頭に、例えばアフガニスタンのタリバン政権やイラクのフセイン政権は民衆を抑圧しているからと瓦解にまで追い込んだが、イスラエルがパレスチナ人に対する殲滅政策には一貫して目をつぶってきたことに明らかだろう。

「ガザとは何か」。それはイスラルによるホロコーストである。ホロコーストはナチスドイツの被害者としてのユダヤ人(国家としてのイスラエル)の専売特許ではない。ジェノサイドもホロコースト決して許してはならないはずだ。と、岡さん講演および、著作の感想をまとめてみたが、日本政府による沖縄に対する仕打ちも心理的にはホロコーストやジェノサイドに値する。「蹂躙」では生やさしすぎると思えたのだがどうだろうか。

(『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』2023 大和書房)

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