美術作品を分かりやすさのためにとても大雑把に分類すると、具象か抽象か、写実的かそうではないか(表現主義的か)と分けることができるだろう。もちろん作者の意図として、作者にはそう見えたから描いたが、鑑賞するものにはどう見てもその通りには見えないということもあるだろう。
西洋絵画中心の話にはなるが、印象派が生まれたのは19世紀前半に登場した写真技術に対し、画家が対象の再現性という点では写真に敵わないと感じ、新たな表現方法を模索し始めたからというのも理由の一つだろう。後期印象派の代表格とされるセザンヌは客体の解体を推し進め、キュビスムへの道を開いた。有名な言葉「球と円筒、円錐で描く」はその表現主義的精神を余すことなく伝えている。セザンヌに傾倒したピカソがブラックとともに試みたのがキュビスムであり、3次元の対象を如何に2次元で表現するかの格闘の末、多視点にたどり着いた。
「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展 美の革命」は、50年ぶりの大キュビスム展とうつ。これは、1976年に東京と京都で開催された「キュービズム展」以来だからだ。そしてポンピドゥー・センターが来年末から5年間改修休館することから徐々にその準備として、収蔵品を世界中に貸し出していることで実現した大企画である。50点を超える初来日作品等もある。
展示の章立てが粋だ。セザンヌがキュビスムへの嚆矢とわかる「キュビスム以前」、ピカソがアフリカ美術に傾倒していた「プリミティヴィスム」、ブラックがセザンヌへのオマージュとして描いたレスタックの地で始まる「キュビスムの誕生」、ピカソとブラックの邂逅による「ザイルで結ばれた二人」、キュビスムを新様式として評価、ピカソを後押しした画商のカーンヴァイラーが認めたキュビスト「フェルナン・レジェとファン・グリス」。憎いのはキュビスム好き?には、たまらないセレクトであるドローネー(ロベール、ソフィア)やデュシャン兄弟(ピュトー・グループ)、リプシッツの彫刻、あまり知られていない東欧のキュビストや立体未来主義にも触れられていて圧巻の14章だった。
東京展ではブランクーシの彫刻作品もあったようで京都展にはなかったのが残念だ。しかし、ピカソとブラックがはじめてわずか数年で他の展開へとつながっていったキュビスムの役割がいかに大きく、歴史的画期であったかがよく分かる流れとなっていることは否定できない。第1次世界大戦前夜にパリに集ったピカソはじめ異邦人ら、グリスも、ブランクーシも、シャガール、モディリアーニ、アーキペンコ、リプシッツらが切磋琢磨した技と試みはやがて大戦中に生まれたダダ、その後の抽象、シュルレアリスムへ、さらにアンフォルメルまでにつながっていく表現主義の門戸を開いたのだ。
ところで、キュビスムは作者にそう見えたこととそう表したいことの結節点としての表現であり、作品名は「座る女」など具体的であって、抽象画のような「作品」や「無題」はあり得ない。具象そのものだったのだ。しかし、たとえば東京展のチラシに採用されているロベール・ドローネーの《パリ市》(1910-1912)は、割れた鏡に映った像のようで一見「具象」には見えないかもしれない。しかし、中央の裸体像は明らかにギリシア神話の「三美神」である。キュビストも前近代の画題に敬意を表し、かつ逃れられない部分もあったのだ。だからキュビスムは面白い。(「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展 美の革命」7月7日まで 京都市京セラ美術館)