一時、旧ユーゴスラビア発の映画がよく公開されていた。1991年からおよそ10年に及ぶ紛争の実相やそこに住まう人々の心を描く作品が多く、すぐれたものも多い。そこで、共通して描かれたのは紛争前にはさまざまな民族、宗教、言語が入り混じる地域で融和的に共存した姿であった。それがソ連崩壊後の民族主義の台頭で分断、憎悪が広がり、隣人が敵になり、時に殺し合う姿であった。ユーゴは現在6つの国に分かれ(コソボを独立国として数えると7つ)、戦火は止んだが民族間には今も大きなわだかまりがあるとされる。
単純な色分けかもしれないが、カトリックとプロテスタントとの違いだけであった北アイルランドの民を分つのは宗教以外にあったのか。あれほどの敵対、憎悪の理由は何か。そして、ユーゴ紛争とまさに同じ頃の1998年に北アイルランドは和平合意に達し、それまでの地で血を洗う紛争は一応終結、その後大きな対立は起こっていないという事実も見逃せない。紛争が激しくなってきたベルファストで少年時代を過ごし、家族でロンドンに逃れたケネス・ブラナー自身の体験が本作の骨子である。彼自身が脚本、監督を努める。
ブラナー自身を投影している9歳のバディはロンドンに出稼ぎに出てたまに帰ってくる父と気丈な母、無口な兄、近所に住む父方の祖父母、そして町中が皆顔見知りのコミュニティで暮らす。一家はプロテスタントだが、カトリックが多い地区だ。「カトリックは出ていけ」とプロテスタントの暴徒がカトリックの家や商店を襲い、危うく巻きまれそうになる。しかし、元々両者が先鋭に対立していたわけでもない。祖父の言葉が染みる。「(主張が完全に)一致していれば争いなんて起こらないさ」
しかし、争いは激化し、父はプロテスタント過激派に帯同するよう迫られる。平日はほとんど家にいない彼は家族を守ることができるのか。ベルファストを出ようと考えるが、コミュティで生まれ育ち、何よりもその土地を愛する妻はうんと言わない。そしてバディが思いを寄せるクラスメートのキャサリンはカトリックだ。そんな中、祖父が倒れる。
争いが激化するとはいえ、破壊や暴力のシーンは少ない。9歳のバディにとっては、大人の争いはよく分からない。彼の世界は家族と学校とコミュティの友だちだけだ。それでも街がどんどん息苦しく、ギスギスしてくる雰囲気は彼にも分かる。バリケードを抜けなければ学校に行けなしし、両親は金銭や移住について言い争っている。そう、戦争に至る日常とは、このような平穏と不穏とのパッチワークで、その限界点を超えたところに日常の戦火となる。バディ一家はIRA(アイルランド共和国軍)によるプロテスタントに対するテロルなど本格的な戦火となる70年代を前にロンドンに移住する。だから、ブラナー自身、戦闘の激化を経験してはいないが、北アイルランド出身者はロンドンでも差別されたという。だから、バディのベルファストへ時代の追想とその後の人生は、ベルファスト出身者として地続きで考えるべきだ。そして、孫に優しく、時に機知に富んだ言い回しでバディに「人生」を教えた祖父の言葉にこそ、違いを持ったまま生きていく術を身をもって教えようとしたのだろう。
冒頭、北アイルランドの紛争はカトリックとプロテスタントの違いと表現した。そういう面はあるけれど、この地の連邦共和国たる英国(ウエールズ)の他地域への支配と、アイルランドの独立という19世紀からの歴史を引きずっていることに目を向けなければいけない。あれほどEU離脱で揉めた時、最後まで離脱に反対派が優勢であったスコットランドは、現在も独立の機運に揺れている。
バディ=ブラナーは、成長し王立演劇学校を首席で卒業、シェークスピアの舞台で第一線の俳優、そして脚本家、監督となった。幼い頃得た屈託を彼は現在も直視し続けているのだだろう。