kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

平穏と不穏のパッチワーク 争いを客観視するために  「ベルファスト」

2022-03-31 | 映画

一時、旧ユーゴスラビア発の映画がよく公開されていた。1991年からおよそ10年に及ぶ紛争の実相やそこに住まう人々の心を描く作品が多く、すぐれたものも多い。そこで、共通して描かれたのは紛争前にはさまざまな民族、宗教、言語が入り混じる地域で融和的に共存した姿であった。それがソ連崩壊後の民族主義の台頭で分断、憎悪が広がり、隣人が敵になり、時に殺し合う姿であった。ユーゴは現在6つの国に分かれ(コソボを独立国として数えると7つ)、戦火は止んだが民族間には今も大きなわだかまりがあるとされる。

単純な色分けかもしれないが、カトリックとプロテスタントとの違いだけであった北アイルランドの民を分つのは宗教以外にあったのか。あれほどの敵対、憎悪の理由は何か。そして、ユーゴ紛争とまさに同じ頃の1998年に北アイルランドは和平合意に達し、それまでの地で血を洗う紛争は一応終結、その後大きな対立は起こっていないという事実も見逃せない。紛争が激しくなってきたベルファストで少年時代を過ごし、家族でロンドンに逃れたケネス・ブラナー自身の体験が本作の骨子である。彼自身が脚本、監督を努める。

ブラナー自身を投影している9歳のバディはロンドンに出稼ぎに出てたまに帰ってくる父と気丈な母、無口な兄、近所に住む父方の祖父母、そして町中が皆顔見知りのコミュニティで暮らす。一家はプロテスタントだが、カトリックが多い地区だ。「カトリックは出ていけ」とプロテスタントの暴徒がカトリックの家や商店を襲い、危うく巻きまれそうになる。しかし、元々両者が先鋭に対立していたわけでもない。祖父の言葉が染みる。「(主張が完全に)一致していれば争いなんて起こらないさ」

しかし、争いは激化し、父はプロテスタント過激派に帯同するよう迫られる。平日はほとんど家にいない彼は家族を守ることができるのか。ベルファストを出ようと考えるが、コミュティで生まれ育ち、何よりもその土地を愛する妻はうんと言わない。そしてバディが思いを寄せるクラスメートのキャサリンはカトリックだ。そんな中、祖父が倒れる。

争いが激化するとはいえ、破壊や暴力のシーンは少ない。9歳のバディにとっては、大人の争いはよく分からない。彼の世界は家族と学校とコミュティの友だちだけだ。それでも街がどんどん息苦しく、ギスギスしてくる雰囲気は彼にも分かる。バリケードを抜けなければ学校に行けなしし、両親は金銭や移住について言い争っている。そう、戦争に至る日常とは、このような平穏と不穏とのパッチワークで、その限界点を超えたところに日常の戦火となる。バディ一家はIRA(アイルランド共和国軍)によるプロテスタントに対するテロルなど本格的な戦火となる70年代を前にロンドンに移住する。だから、ブラナー自身、戦闘の激化を経験してはいないが、北アイルランド出身者はロンドンでも差別されたという。だから、バディのベルファストへ時代の追想とその後の人生は、ベルファスト出身者として地続きで考えるべきだ。そして、孫に優しく、時に機知に富んだ言い回しでバディに「人生」を教えた祖父の言葉にこそ、違いを持ったまま生きていく術を身をもって教えようとしたのだろう。

冒頭、北アイルランドの紛争はカトリックとプロテスタントの違いと表現した。そういう面はあるけれど、この地の連邦共和国たる英国(ウエールズ)の他地域への支配と、アイルランドの独立という19世紀からの歴史を引きずっていることに目を向けなければいけない。あれほどEU離脱で揉めた時、最後まで離脱に反対派が優勢であったスコットランドは、現在も独立の機運に揺れている。

バディ=ブラナーは、成長し王立演劇学校を首席で卒業、シェークスピアの舞台で第一線の俳優、そして脚本家、監督となった。幼い頃得た屈託を彼は現在も直視し続けているのだだろう。

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この国の入管行政を何とかしたい   「マイスモールランド」

2022-03-26 | 映画

映画は5月公開なので、テレビ用に制作されたバージョンを紹介する。

サーリャは17歳のクルド人の高校生。父マズルム、中学生の妹アーリン、小学生の弟ロビンと埼玉県で暮らす。家族の難民申請が不認定とされたことで、全員ビザを失う。不法滞在状態となったマズルムは、仮放免中に就労したことで入管施設に収容され、サーリャもコンビニのバイトをクビになる。収入を絶たれた一家の明日は。

昨年3月に名古屋入管に収容されていたスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが、重病であったにもかかわらず適切な医療を受けられたなかったことで亡くなった事件は大きく報じられ、日本の入管行政の問題点がクローズアップされた。しかし、ウィシュマさんの死から1年経つのに現状は何も変わっていない。むしろ、日本の難民認定率の低さやその背景といった根本的な問題より、ウィシュマさんが政治難民でなはなくDV被害者だったことから、個別の問題として取り上げられがちのようにも見える。もちろんウィシュマさんへの入管の対応のひどさが明らかになり、それが改善することに越したことはない。しかし、罪を犯したわけでもないのに、ウィシュマさんをはじめ多くの外国人が入管に長期収容されているか、一旦収容を解かれてもすぐに収容される実態など、その反人権政策は追及、改善されていない。

日本に逃れてくる難民は、大人は自己の意志で日本を選び、祖国を出たのかもしれないが、子どもは自己の意志ではない。そうするとサーリャのような祖国の記憶のない者は自己のアイデンティティをどう認識、形成すればよいか。ましてやロビンのように日本で生まれた子どもらは。アイデンティティの形成には自己の居場所が不可欠だ。しかし、ビザを取り上げられ、そのために就労も進学もできず、移動も許されない存在に尊厳など持てるだろうか。尊厳が壊されれば居場所を欲する、得る意欲も失われるのは明らかであるし、そもそも日本は彼らが居場所を持つことを許さない。

国も民間企業もSDGs(持続的な開発目標)への取り組みを盛んに喧伝する。SDGsの中には「誰一人取り残さない世界の実現」もあり、そこには難民の人権保障も当然含まれる。しかし、現在継続中の人権侵害を改善しようともせず、その着手する動きもない。そのような状況であるのに、ウクライナ避難民が日本に来た場合は、入国許可や滞在などについて速やかに便宜を図るという。難民の種類に優劣をつけること自体が人権侵害であり、差別であることは言を俟たない。

本国で反政府デモに参加したことで祖国を追われたマズルムは、帰国すれば刑務所に収監されることは明らかだ。いや、拷問や命さえ奪われかねない。けれど、自分が帰国することで未成年の家族にビザが降りた例があると知り、子どもたちのために帰国を決意する。映画ではもっと詳しく、その後も描かれるかもしれないので必見だ。

イラン・イラク戦争で両親と生き別れ、その後養母と来日した女優のサヘル・ローズがサーリャらを助ける役で出演している。養母につけられた名前であるサヘル・ローズとは「砂漠に咲く薔薇」の意であるそう。薔薇にはイバラがつきもの。しかし、サーリャらに少しでもバラ色の人生を感じてほしいし、微力ながら支援していきたい。

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