岸田首相が中身はよく分からないが、「新しい資本主義」を打ち出し、一昨年出版され、現在もよく売れているという斎藤幸平の『人新世の「資本論」』(集英社新書)。「資本主義」がかつてないほど見直され、検討されるのにはSDGs「狂騒」をはじめとした現代社会が今のままでは継続し得ないという危機感もあるだろう。しかし、大量生産・大量消費といった資本主義を象徴する工業社会のあり方はここ数年で伸長したのではなく、産業革命以降綿々と続いてきて、特に日本では高度経済成長期の「成熟」や「発展」が大きく寄与していると言えるだろう。そして、その時期、日本では4大公害病など深刻な人的、あるいは後世に続く被害をもたらした。では、排出物規制などその頃より法整備が整った現在では、先進国では公害は過去のものと言えるであろうか。
アメリカの巨大企業デュポンは、まだ規制対象外だった化学物質を含んだ廃棄物を大量に廃棄していた。その現場では牛が大量に死んでいる。農場主が訴えに行った先は企業弁護士のロブ・ビロット。祖母の紹介ということで渋々引き受けたロブは、膨大な証拠書類の中からその廃棄物がPFOA(C8)という未知の物質を含んでいることを突き止め、デュポン社内で既に有害、有毒であることを認識した板野に垂れ流していたことを突き止める。巨大企業は金に物言わせるかのように、政府委員会に圧力をかけ、つかませ金で被害住民を黙らせようとする。ロブのロー・ファームもバックアップして、デュポンは将来に渡り、住民の健康被害の調査と賠償を受け入れることになり、それは現在進行形でもある。
PFOA(ヘルフルオロオクタン酸)とは、フライパンのテフロン加工など調理器具にも使用されているフッ素化合物の一種で、その残留程度により危険が伴うとされる。事実、ロブら住民側の提案により設置された科学者からなる委員会で、住民の高いがん発症率が証明されている。同様の化合物PFOS(ペルフルオロオクタンスルホン酸)は、沖縄の駐留米軍が住民の居住地近くに廃棄し、現在大問題となっているので聞き覚えがある。そしてロブがデュポン社と戦った(ている)のは、1998年から現在まで、そして沖縄の問題は、21世紀の現在の話である。決して公害は過去のことではない。
デュポン社のような巨大企業の利権は莫大であり、それを支えるのが資本主義の宿痾であるとするなら、資本主義を脱しない限り、公害もなくならないのであろうか。多分そうだろう。そして、それを修正して、いかに「持続可能な社会」を公正に構築しようという試みがSDGsなのであろうが、道のりは当然厳しく、『人新世』では完全な脱成長を奨める。
人の健康や希望の未来と社会「全体」の発展の併存というアポリアは、工業社会、公害社会、高度経済社会につきもので、それは個人の自由を追求すれば、全員が納得するまで話し合いを重視するという民主主義とは相矛盾するのと似ている。むしろロブのような元々企業法務出身の弁護士が、住民の側に立ち、徹底的に戦うことができるのは民主主義の証との見方もあるだろう。
企業(資本、雇用側)の自由度が高まれば、個人の選択の自由度は下がると指摘したのは斎藤貴男だった。斎藤は、経済誌記者出身ながら、後に権力の専横を批判し続ける。言葉だけの「新しい資本主義」は、大企業への課税も強化せず、中小企業への優遇税制は効果も、実効性もないと早くも化けの皮が剥がれている。政府や巨大企業にSDGsの効果を期待していては、公害は起こり続け(核廃棄物を排出し続ける原発政策はその最たるもの)、現状は変わらないだろう。権力を持たない市民の側こそ資本主義を問いなさなければならない。