「赦し」と「和解」の物語である。中国映画が描く個人史のスパンは長い。スターリンの死から文化大革命までを描き、高い評価を得たが中国での上映禁止となった「青い凧」(田壮壮監督 1993)、レスリー・チャンが美しかった陳凱歌監督の「さらば、わが愛/覇王別姫」(1993)、個人史とは言い難いが、時代はそれらより古く中国ではなく香港・日本合作の「宗家の三姉妹」(メイベル・チャン 1997)もある。「青い凧」のように有名人ではない一介の市民の目から通して中国という巨大な帝国、その歴史的変転の目撃者足り得たのが本作だが、本筋はそこにはない。あくまで組織の論理と時代の変化、都会と地方、貧しいままの人と成功して裕福になる者、の人生のタームを描いたところに3時間の長尺を感じさせない魅力がある。人は厳しく、ときに非道で、また忘れ得ない存在で優しいものだと。
1980年代、北方の町の国有企業で働くヤオジュンとリーユンの夫婦に子どもが授かる。全く同じ日に子どもが生まれたインミンとハイイエンの夫婦も工場の仲間。家族ぐるみで皆が楽しく、助け合っていた時代。しかし、「一人っ子政策」の時。リーユンの妊娠が分かると工場の計画出産委員会の幹部になっていたハイイエンにより強制的に中絶させられ、しかも医師のミスでリーユンは2度と妊娠できない体となってしまう。そしてリーユンらの子シンシンとハイイエンらの子ハオが危ない沼遊びをしていてシンシンは溺死してしまう。市場経済が勃興する90年代、工場の縮小化でリストラされたリーユン夫婦は遠い南の小さな海辺の町に居を移し、養子を取り、シンシンと名付けて育てていたが、自分に死んだ息子を重ねる養親に反発し、成長したシンシン(本名はヨンフー)は家を出て行く。その頃、工場時代にヤオジュンを兄のように慕っていたインミンの妹モーリーが海外に行くからとヤオジュンにわざわざ会いに来る。夫婦の関係にヒビを感じるリーユン。好調な経済で海外膨張を続ける中国では先進国に渡る者が急増した2000年代。そして成功し、富裕層となったインミンとハイイエン、立派に医師となった息子ハオはもうすぐ子どもができる。しかし余命を自覚したハイイエンはリーユンとヤオジュンに会いたいと言う。死の床にあるハイイエンの元をリーユンとヤオジュンが20年ぶりに会いに来る。時はもう世界第二の経済大国となった2010年代。
自己を振り返っても悔いが残り、きちんと謝っておけばよかった、償っておけばよかったと思い出す出来事や人間関係はある。あるいはそもそもそういった悔恨が生じるような関係性、生き方をその時選んだ自分を恥じる思いもある。しかし、起こったこと、なしたことは取り消せないし、その上で未来の自分がいかに生きるか、他者との関係性を持って行くかが大事と問われる以上、人はその存在が消えるまで抱え込まないといけない業みたいなものだと理屈では分かる。リーユンとヤオジュンの夫婦もハイイエンとインミンの夫婦も、そしてハオもその葛藤と20年以上並走してきたのだ。物語はリーユンとヤオジュンの生き方を時空を超えてオムニバス風に描かれるが、その行きつ戻りつする彼らの姿に違和感はない。いや、20年を超える彼らの心情を描くには時系列ではかえって現実感がない。
息絶え絶えのハイイエンは、手を握るリーユンに最後「ごめんね」。この時分かった。もうリーユンは赦していたのだと。中国語の原題「地久天長」はスコットランド民謡の「オールド・ラング・サイン」のこと。日本では「蛍の光」で卒業式の歌として定着しているが、本来は永久の友情のために酒を酌み交わそうとの意。効果的に流れるメロディをバックに「友情は天地の如く長久(とわ)に変わらず、古き友よ、良き時代をいかに忘れられようか」と歌われる。国家に翻弄されても人と人の繋がりこそ断ち難いものであると。
私は忘れないつもりだけれども、私が傷つけた人たちはもう赦してくれるだろうか。