kenroのミニコミ

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ジャーナリストには気概と「正義」を  スポットライト 世紀のスクープ

2016-05-08 | 映画

アメリカには、ポリティカル・コレクトネス(political  correctness)という用語が幅を利かせている。政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別偏見が含まれていない言葉や用語のことで、職業性別文化人種民族宗教ハンディキャップ年齢婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す。なかでも「宗教」はセンシティヴで大きなファクターだ。

スポットライトで描かれるのは、ボストンのカトリック界で、司祭らが子どもを性虐待していたことをおおい隠そうとしていた事実をボストンのグローブ紙がスクープした実話がもとになっている。おぞましいばかりの性虐待。なかには成人後、その傷に苛まされ、自ら命を絶った被害者もいる。そう、性虐待は、魂の殺人なのだ。

問題は、そのような事件を、カトリック界を敵に回す報道を地元新聞社として全面的にできるかということ。ボストンはアメリカでも有数のカトリックの強い地域で、ボストン・グローブ読者の53%がカトリックと言う。しかし、さきほど「ボストンのカトリック界で」と書いたが、ボストンで起こっていたことは、全米、いや全世界で起こっていたことだ。そうするとヴァチカンを敵に回すことになる。記者ら、特に上層部や、教会とつながりのある弁護士らが事実を明らかにすることに躊躇、反対することは当然だろう。しかし、ジャーナリズムにはポリティカル・コレクトネスではないけれど「正義」は必要だ。少なくとも、この件を明らかにしようとした新任の編集局長バロンと「スポットライト」チームはそう考えた。

被害者の証言は必要だが、聞き出せるのは容易ではない。話せるのは自己の被害を知らせて、加害者をきちんと罰してほしいと思うサバイバーだけだからだ。そして、記者の一人サーシャが偶然会うことのできた司祭は「いたずら」であって「性暴力(行為)」ではないという。それは「満足を得られなかったから」。自分勝手で明らかに倒錯しているが、性暴力加害者とはあながちそういうものかもしれない。「いたずらだった」「合意があった」。そして、元神父で「問題のある」神父が送られてくる療養所で働いていた情報提供者のサイプは性犯罪を研究してきた心理療法士でもあり、加害者の性癖を分析してみせる。加害者は「性的に未熟」あるいは「神父全体の6%が小児性愛者である」と。

サイプの指摘通り、ボストン全体の神父中約6%の87名が関わっていたことが記者らの調査で明らかになる。そして、泣き寝入りさせられていた被害者らに強引に示談を持っていたのにはチームリーダーであるロビンの旧知の友人である弁護士が関わっていたことも。

全編、スリリングでウォータゲート事件を暴いたかの「大統領の陰謀」を彷彿とさせるジャーナリズムの王道。ボストン・グローブ社はこの報道でピュリッツァー賞ほか多くの報道大賞を得、映画はアカデミー作品賞・脚本賞を受賞した。

ジャーナリストは第4の権力足り得るためにどのような取材対象にもひるんではならない。しかし、「正義」のアメリカだからこそ暴かれたのかもしれないし、そこにカタルシスを持つ向きもあろう。翻って、NHK会長が「原発報道は政府・電力会社側の言い分を」といい、報道関係者の重鎮は、度重なる首相との会食をこなしているこの国。報道の自由度ランキングが史上最低の61位になった日本。甘利経済再生相の収賄疑惑もきちんと続報がない。政府の武器輸出を「防衛装備移転」との造語に乗るメディアの姿勢といい、スポットライトチームのような気概も「正義」もないことは明らかだ。

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違いを笑いに、そして理解と友好に  「最高の花婿」

2016-05-03 | 映画

テーマは国際結婚。しかし、デフォエルメされているとは言え、フランスは北部シノン城近郊の由緒ある旧家の娘らの婿は長女がムスリム、次女がユダヤ、三女は中国人。そして四女の彼は…。

フランスで大ヒット、史上最高の興行収入をあげたのにはわけがある。フランスでの国際結婚率は20%。他のEU諸国の平均5%を大きく超える。周囲の5人に1人は国際結婚という割合。そしてドイツが歴史的にトルコなど中東地域からの移民が多かったことに比べて、アルジェリアを植民地として有していたこともあり、対岸のアフリカからの移民が多い。身近な話題かつ、切実な問題なのだ。

大きな枠組みの中で文化の違いと一言で片づけてしまいそうだが、その中身は食習慣であったり、どのような行為を許容あるいは拒否するかという宗教的バックグラウンド、他の民族をどう見てきたか、どう接してきたかという歴史的背景、そして日常の言動・しぐさと言った個人的相違まで。イスラム教徒が豚肉を食さないのは有名だが、長女の夫のように飲酒をする人もいる。最近では日本でもハラル(イスラムで食していいもの、またその加工法)は知られるようになってきたが、フランスではほぼ当たり前。ハラル認証の食品だけを扱うお店は、主人公夫婦が住む比較的古く保守的なシノンの街にもある。そして、次女の夫はコーシャ(ユダヤ教で許された食品の規定)にこだわる。面白いのが、次女の夫はさかんにナチュラルコーシャで商売を起こそうと試みるが「ユダヤ市場は小さい」と相手にしてもらえない。そこで、三女の成功した夫に資金を提供してもらってはじめるのはハラル食品。その頃にはいがみ合っていた、あるいはギクシャクしていた彼らも仲良くなっていたということだ。

四女の彼はカトリックで、両親は喜んだが、連れてきたのはコートジボアール出身の黒人。ショックを受けた母親はうつで倒れ、父は庭中の木を切りまくるという奇行に出る。離婚の危機と心配した長女らを助けようと、長女の夫以下3人自分らのことは棚に上げて、一致団結して四女の中を裂こうとする。そして四女の結婚にもっとも反対したのは彼のコートジボワールの父親。本国ではかなり裕福な層で、その分ナショナリズムの意識も強い。「フランス女(と訳していたが、カトリーヌ・ド・ヌーブと言っていたのが笑える)に大事な息子をやれるか」。二人の結婚(式)を潰そうと画策する両方の父親。しかし、「ドゴール主義者」で意気投合し、結婚を許すことに。そうとは知らず、結婚をあきらめ傷心のまま一人パリに帰ろうとする四女。

本作は最初から最後まで笑いっぱなしで見られる。それも、さきの文化的摩擦や意識、言葉の端々に見られる他者への偏見と皮肉、そして「差別していない」と強調するのに丸見えの差別意識。これらを少しカリカチュアしてはいるが、分かりやすく、おそらく「フランス人」の本当の姿で、また自分らの姿であるからに違いない。これら厳しい世界を笑いで描けるのはすばらしい。

ヨーロッパでは他者を皮肉り、自分を笑うジョークに事欠かない。しかし、長い戦争を経たヨーロッパの国々が再び戦争をしないための知恵であり、揺れていはいるがヨーロッパ統合の理念の証である。不安定な中東や北・西アフリカ情勢のもと多くの移民が再びヨーロッパを目指す現在。移民政策に濃淡があり、テロ事件に見舞われたフランスは対移民強行政策に舵を切りつつある。しかし、自由や平等を旨とするフランスの国是を揺るぎないものだと自覚する矜持をこの映画に見た。

お互いに笑いあうペーソス、余裕を持たずに戦争の危機ばかり煽っているかのように見える東アジア情勢。フランス国民ではなく、東アジアの一員たる私たちこそ見るべき作品かもしれない。

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