kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

生活哲学とジェンダーフリーへジャンプ  『僕が家庭科教師になったわけ』

2016-03-26 | 書籍

家庭科に男子も共修がはじまったのが1994年(中学。高校は95年)。それより前から、であるからこそ家庭科の男女共修をとの運動があり、小平さんも運動を実感していた。化学から家庭科へ。家庭科が生活の科学であると分かった現在となっては、化学教師から家庭科教師への道は、自然に、合理的に見えるが、当時は変人扱い。息子さんからは「お父さん、左遷されたの?」

小平さんが、家庭科教師に変転しようと思ったのには化学(科学)信奉への疑問と、ジェンダーの問題がある。それも、家事ができないのが当たり前から、妻が働きだして、いや応なしにすることになったイクメン生活。小平さん(1950年生まれ)の世代は学生時代に70年安保を経験したが、「デモの男子学生の後ろでおにぎりを握る女子学生」が当たり前。むろん闘う学生ではなかった小平さんは、デモや学校占拠も経験しなかったが、おにぎりを握ることもなかった。しかし、元来のマメさ、フットワークの軽さ、柔軟さから次第に育児・家事に「目覚めていく」。そしてそれが自然に、そして職業にまで。

いい出会い、環境もあった。初任の所沢高校では、後に所沢市議会議員としてフェミニスト議員連盟を牽引した中嶋里美さんが同僚にいた。また、子どもの保育園などの送迎でいつも遅刻、熱を出した子どもの世話で妻とのやりくりがつかず、子どもを保健室に託したり。要するに職場や同僚に理解があり、大らかだったのだ。今なら、教員だけなぜ恵まれているのだと(別に恵まれているわけではないのだけれども)の非難・攻撃が学校に押し寄せるだろう。現代は、それほど余裕のない社会・時代になったということでもある。

小平さんには、今回、本書をしたためる前提として、リタイア後学んでいる大学院での修士論文がある。そこでは、戦後、そして共修になった家庭科をめぐる状況 ― 良妻賢母の育成から、生活技術としての男子をもの必要性、そして、食品添加物や手作業の要、はては原子力発電など「発展社会」への疑問まで - 時代を反映した社会とのつながりの深さなど、受験科目でない分だけ自由に、そして深く突き詰めているという。

学校教育という画一的、包括的な学習機関には何が求められるのか。「国語」や算数、理科・社会など考えられる科目の外に、いや外にこそ、家庭科がある。家庭で、地域で生活科学を学べなくなった現代。生活科学を学べなくなったということは生活の哲学を学べなくなったということだ。そして、文科省の政権忖度姿勢のもとで、社会科などでは現代の生活、そのもとにある政治への批判、批評精神の醸成はほとんど皆無である。であるからこそ家庭科でできることは多い。小平さんが、手仕事の妙と要を生徒に伝えることで、その後ろにある、社会や世界の問題、に気づく機会をつくったことは大きい。そして、その生き方が小平さんにとって心地よいものであったことがもっと大きい。

小平さんら家庭科教員のがんばりにも関わらず、共修家庭科の単位数はどんどん減ってきている。それは、グローバリズムの名のもとに、英語授業を増やしたり、思い付きの学校「経営」ゆえの現在の単位構成の歪さの証でもある。

小平さんの労苦に思いはせ、「家庭科減った。日本死ね!」と書き込みたいと思う。(2016年1月刊 太郎次郎社エディタス)

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イタリア ルネサンスの旅4

2016-03-21 | 美術

ルネサンスの聖地フィレンチェには珍しく近現代彫刻の美術館がある。マリノ・マリーニは未来派の時代からイタリア彫刻界を牽引した巨匠。ファシズムを経験し、戦争、核戦争などの「不安」を荒れ狂う馬に乗る人物で繰り返し表現した。マリーニはいったい、いくつの暴れ馬と人を彫ってきたのだろう。それは、第2次大戦を経、未曾有の殺りくを目のあたりにしたマリーニの現代に対する不安そのものを表しているように思えてならない。近い時代を生きたベラルーシ出身、パリで活動したユダヤ人のオシップ・ザッキンは、「破壊された街」シリーズで戦争を告発した。マリーニも暴れ馬で表現したかったのは、人間の手では制御できない人間の行いだったのではないか。その愚かさ、破滅性、絶望性は、戦争でこそ明らかになる。戦後も同じモチーフで制作し続けたマリーニの作品が、戦乱がない状態=平和ゆえに文化が花開いたとされるフィレンチェ・ルネサンスの地に勢ぞろいしているのは、皮肉で、かつ意義深いものを感じてしまう。

旅の最後の日は、フィレンチェをはなれ、シエナへ赴いた。シエナ派の代表画家であるシモーネ・マルティーニやロレンツェッティ兄弟の作品が目白押しだ。初期ルネサンスがフィレンチェで開花したのは偶然ではない。商業都市として栄えたのは事実だが、同じく繁栄したシエナと競っていたからだ。この対抗は、美術史的にはルネサンスを開花させたフィレンチェの勝利と見えるが、シエナ派の作品は、「人間的」なフィレンチェのそれとは違って魅力にあふれている。13世紀の偉大な画家ジョットの系譜をひきつつ、13~14世紀の国際ゴシック様式を広めたのはシモーネ・マルティーニの功績と言われる。結果的には、フィレンチェ・ルネサンスの躍動感あふれる新様式に、シエナ派の画業は古臭いと駆逐されるのだが、あの厳しい顔立ちのマリアにはなんともいえぬ味がある。例えばドゥオーモ付属美術館にあるドゥッチョの「荘厳の聖母」など、ラファエロが描くような慈悲に満ちた優しい表情より、信仰の厳しさ、イエスの行く末、いや、イエスを生むことになる我が身の厳しさをより的確に表しているのではないかと思えるほど固い。けれどそれが味わい深いのだ。

レオナルドが描いた「最後の晩餐」は、数多の画家が描いてきた「最後の晩餐」スキームを根本から変えたという。それまでの「最後の晩餐」は、誰がイエスか、一人だけ光輪をつけているとかで一目で分かった。あるいは、裏切り者のユダだけこちらに座っている、ユダだけ光輪をつけていないとか、ユダも一目で分かったのにレオナルドのそれはそうではなかったのだ。しかし一方で、そのような形式的、定型的、いわばお決まりの構図もまた大事だったのだ。というのは、グーテンベルクの活版印刷以前、聖書の物語を教会や聖堂の絵画でしか学べなかった人たちにとって、このお決まりの構図が一番重要だったからだ。

逆に言うと、レオナルドなどフィレンチェ・ルネサンスの革新性を理解するためには、シモーネ・マルティーニらシエナ派のそれまでの、布教をより広範囲に、多くの人に、そして同時に勃興しつつある商人層や貴族などに高く評価、庇護されるために描いた業績を無視することはできないのである。

キリスト教美術は多くの場合、13世紀以前のそれは特に絵画の場合、多くは遺っていない。ましてや、教会など建物の壁に直接描かれていた時代、その建物が滅失してしまえば、なおさらのこと遺っていない。しかし、パネルや祭壇画と言う形式で残されたシエナ派の業績はきちんと遺っている。今回の旅で再確認できたことだ。

キリスト教美術は、遡れば遡るほど面白く、興味がつきない。(了)

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イタリア ルネサンスの旅3

2016-03-11 | 美術

バロック美術そして、その後の西洋絵画はミケランジェロ礼賛にあふれていたが、19世紀初頭ごろから、ラファエロへの人気が高まる。19世紀中ごろのラファエロ前派は、そのラファエロを見直し、さらにはイタリア・ルネサンス以前の中世美術への傾斜を志向するものである。レオナルドが盛期ルネサンスの大御所なら、ミケランジェロはそのライバル、そして一番若いラファエロはルネサンスの完成者と目される。そのラファエロを観るならパラティーナ美術館である。

現在、西洋絵画世界で「聖母子」といえば、ラファエロ。あの優しく慈しみ深い表情のマリアと、愛らしさの中にも将来の悲劇的結末を見据えたかのような瞳のイエスを完成、定着させたのはラファエロとされる。パラティーナ美術館ではそのラファエロの秀作が堪能できる。「小椅子の聖母」は若くして亡くなったラファエロ後期の傑作である。その肢体からはずしりと重いであろうのに、イエスのその重さを感じさせない柔らく抱くマリアの表情は優しく、憂いもある。傍らのヨハネはその二人を心配そうに見つめ、イエスよりわずかにませて見える。絶妙かつ細心のタッチ。作品の少ないレオナルドや肉体系のミケランジェロに比べ、その親しみやすさにファンが多いのもうなずける。ウフィッツイ美術館からパラティーナ美術館まで、アルノ川を渡り、地下をとおるヴァザーリの回廊。一度訪れてみたかったが、今回の旅行中は閉鎖と出ていた。しかし、ウフィッツイ美術館でちらっと鑑賞している人たちが見えたので、なにか特別のルートや申し込み方法があるのかもしれない。とても残念。とまれ、パラティーナ美術館では、ラファエロの全時代の作品をそれぞれ網羅しており、レオナルドやミケランジェロに比べて圧倒的に短い画家生活を生きたラファエロの、秀でた若い才能が爛熟していく様が楽しめる。ただ、ルネサンス以降、プロテスタントの勢力が強まり、偶像崇拝の対象としての美しい聖母子像の宗教絵画は廃れていく。ラファエロは完成者であったが、同時に最後の聖母子像画家でもあったのだ。

サン・マルコ美術館は、ラファエロよりもっと古い初期ルネサンス、フラ・アンジェリコと出会う聖域。フィリッポ・リッピもそうであるが、グーテンベルクの活版印刷が人口に膾炙する以前、信仰を伝える修道士など教会関係者は絵によって民衆に伝道する画家でもあった。サン・マルコ修道院の壁画はフラ・アンジェリコによる伝道であるとともに、そこで修行する修道士たちの信仰を深める言わば修験図であった。ここにも中世の華やかさ、きらびやかさとは正反対の禁欲的構図が並ぶ中で、色彩は鮮やかだ。最も有名な、修道院2階の階段を登り切ったところに見えるフラ・アンジェリコの「受胎告知」はとても静謐。ほんのりと紅みがかったマリアの頬は、重大な「告知」を伝える大天使ガブリエルにときめいているかのような証だ。しかし、もちろんそれは処女のマリアがありえない懐胎に驚き、かつ、それを受け入れる宿命に希望をも抱いているからである。

フラ・アンジェリコの同じ構図での「受胎告知」は、壁画ではなく板絵判として、プラド美術館にもっと色鮮やかな作品があるが、やはり、修道士が修行の糧として、あるいはフィレンチェの市民が崇めたであろう壁画のそれは、跪いたほど見とれる美しさと、神々しさである。(フラ・アンジェリコ「受胎告知」)

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イタリア ルネサンスの旅2

2016-03-04 | Weblog

街全体が美術館と言われるフィレンツェは、大きな美術館があるわけではない。ウフィッツイ美術館は有名であるが、規模はそれほど大きくはない。ピッティ宮内のパラティ-ナ美術館、近代美術館もしかり。もちろん街並み全体が美術館と言えるのだが、教会が多く、そのどれもが貴重、すばらしいからである。

駅の名前にもなっているサンタ・マリア・ノヴェッラ教会はドゥーモより古い1246年に建造が始まったという。ゴシックの時代である。しかし今ある建物は、ルネサンス様式を取り入れた特徴的なもので、ゴシック建築に関心のある筆者などからはどこがゴシック様式かと思わずにはいられない。であるから、逆にフィレンツェ独特のスタイルが保持されていて誠に美しい。内部は15世紀にアルベルティによって設計されたそうだが、大きなファサードを抜けて、内陣に至るとゴシック様式の教会とは正反対にとてもシンプルな内装。ルネサンス様式のそれはゴシックの「ゴテゴテした」装飾は一切ない。フィレンツェの教会はどこもそうであるが、「大聖堂」ではないのである。その分、ルネサンス時代の彫刻や壁画で飾られている祭壇は、幾分おとなしく感じるが大仰でない分味もある。と言うのは、ゴシックの大聖堂に比べて明るい堂内は、それも明るい彫像や絵画に似合うからだ。小さなキリストの彫像も、出来栄えの当否は別としてもあの空間では似つかわしいし、キリスト像やマリア以外の浮彫も分かりやすい。

今回訪れることができたサンタ・クローチェ教会も内陣の広さの割には、内装はシンプルで、むしろサンタ・マリア・ノヴェッラ教会もそうであるが、聖堂隣の回廊がすばらしい。サンタ・クローチェ教会も美しい回廊が広がる。フィレンツェの教会の多くはゴシック期に建築が始まったものや、ルネサンス期に改築、あるいは後世に再建されたものなど、築造年や現在の姿がいつの時代に建てられたものか一様ではないが、ルネサンス美術の精神をどれもが伝えている。というのは、ルネサンスの精神とは、それまでの考え方やモデルを刷新しつつ、多様な考え方を認め、包摂し、かつ全体として均整を求めたものと言えるからである。本稿①で紹介したヤマザキマリさんは、ルネサンスの魅力を寛容性に求める。それは、ヤマザキさんが愛してやまない「変人」たちを受け入れる社会の度量、それら「変人」たちが創作活動を続けられた社会の余裕みたいなものが感じられるというのだ。ゴシックの時代の荘厳、静謐であるが、ある意味堅苦しく見えるデザインに自由で明るい雰囲気を醸し出したルネサンス美術は、中世の強大な権力=教会と渡り合った、いや、それ以上の財力を持った商人・市民層の芸術への投資を爆発させた時代なのだ。だから、ルネサンスの教会をはじめ建物は明るく前向きに見える。ルネサンス様式の完成である。

フィレンツェの教会は、外見、建物がどれも清廉で優美だ。それは中世の静謐と後のバロックの豪華さにはさまれた美術史の中の必然段階であるのかもしれない。一方で、現代人から見れば怖いくらいに神秘的な中世ゴシックの聖堂内部ほどの威圧感はない。神が中心から、人間中心へ。フィレンツェは紛れもなく、街全体が美術史の図録、そして美術館なのである。(サンタ・マリア・ノヴェッラ教会)

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