kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

解剖と変容 アール・ブリュットの極北へ 兵庫県立美術館

2012-03-13 | 美術
「理解する」とはどういうことだろうか。たとえば日本では印象派以降の絵画や、それより古いフェルメールなどは描いている対象などが「理解できる」が、西洋絵画の本流、キリスト教絵画は理解できないからそれほど人気はない。あるいは、近代以降の抽象芸術は同じく「理解できない」から受け入れられない。もちろんダ・ヴィンチの「聖アンナと聖母子」であるとか、ピカソの「アヴィニョンの娘たち」であるとかはあまりにも有名なので、キリスト教や抽象芸術に造詣がなくともありたがって鑑賞するが、それとて「理解している」とは言い難い。そしてそもそも芸術、特に美術に「理解」は必要なのか。
アール・ブリュットとはフランスのジャン・デュビュッフェが命名した主に知的障がい者や精神障がい者など正規の美術教育を受けたことがない人たちの創作活動を指す。そこには「作り手が鑑賞者を意識することなく、自らのためだけに制作したのであるから、それを展示する行為には矛盾があるのではないかとの批判が一部にはある」。(本展図録より 兵庫県立美術館学芸員服部正氏の「はじめに」)しかし、根本的に見られることを欲しない表現活動(美術)に一度触れた者は、商業ベースに乗るかどうかは人によるとしても、放ってはおかないだろう、アール・ブリュットを。
アール・ブリュットは「生の芸術」と訳される。「生」を「せい」と読むか、「なま」と読むか、はたまた「き」と読むか。「き」と読むのが、一般的ともされるが「せい」ではだめなのか、「なま」ではだめなのか。要するに、正式な美術教育を受けていない、ことを指すために「き」と呼び、いわば手垢のついていない、処女地のような芸術と言い表したいのだろう。
ルボシュ・プルニーもアンナ・ゼマーンコヴァーもそういった意味では「き」を十分に感じさせる。プルニーは人体解剖に異様なまでと思えるほど興味をもち、自身の像もカップルも、ファミリーもすべて細かな血管で結ばれている。ときに性器を強調したそのさまは、「き」ではなく「せい」にとてつもなく興味があるようにさえ思える。ただ、性器を強調しようが、自らの肉体に縫い針を打とうが、人体に興味があったことの結晶であり、血管を紡いでいるよう見えて、そこにはあたたかなつながりさえ感じられる。カラフルさも含めてそこにはグロテスクさはない。それは、アール・ブリュットの本質、見せるためのドローイングではなく、自分ための歴史記述であるからなのだろう。ゼマーンコヴァーの画業はうって変わって、大地に根付く植物など、生き物への畏敬にあふれている。それは時に植物を超えて、おどろおどろした妖怪、奇怪な食虫植物とも見え、ジョージア・オキーフのエネルギー倍加した絢爛豪華な造形にあふれている。そして、プルニーにしてもゼマーンコヴァーにしても、ヒンズーやチベットの細密画も違う意味で脱帽の人間技とは思えない細かな筆さばきに驚嘆するばかりだ。
展覧会と同時開催(上映)の映画「天空の赤―アール・ブリュット試論」は、アール・ブリュットのコレクター、ブリュノ・ドゥシャルムがアール・ブリュットの作家たち、それらを評する人たちを描いたドキュメンタリーだが、そこに出演するのはおよそ常人の想像の域を超えている。しかし、精神障がいや知的障がい、発達障がいなどと「障がい」ひとくくりでアール・ブリュットが語り尽くせるほど、その奥が浅くはないことを思い知らされる。
スイスはローザンヌのアール・ブリュット美術館はジャン・デュビュッフェが母国フランスでのアール・ブリュットに対する理解のなさやごたごたですべてを寄付した曰くあり、興味深い美術館だが、規模は小さい。しかし、先述の細密画や大胆な造形など、それがアール・ブリュットとは分からないほど「美術」世界に溶け込んだ作品の数々で日本人作家のものも多い。美術を評価するのはだれか、理解するのはだれか。それは作り手を高みで見ているあいだは正当な立ち位置にはなり得ないことを示しているのが、今回の「解剖と変容」展の感想である。(ルボシュ・プルニー「無題」)
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スペイン・ポルトガル美術紀行2012(5)

2012-03-08 | 美術
今回、スペインに再び行こうと思ったのはここに来たかったから。バルセロナからフランス国境近くまで2時間半。思ったより都会だったが、帰りの道は迷ってしまい地元の人が行き交う青空市場は周れず仕舞。それでもここまで来てよかったと思わせる何かがある。カタルーニャが生んだ奇才ダリの劇場美術館があるからである。
サルバドール・ダリ。シュルレアリズムの巨匠と呼ぶか、近代絵画のディスコンストラクションかの評価はさておき、ダリの絵は、発想は人を惹きつける。別にダリにとても興味があったわけではないし、ダリの一つひとつの作品が好きであった訳ではない。ぐにゃりとした時計とか、なんなのかよく分からない物体の連続とか、ダリの絵は別に美しくはない。美しいとはきわめて主観的感想なので、絵画に限らずダリの作業そのものが美しいか、そうでないかと問われると難しいが、少なくともダリの作品群たる劇場は面白い。
劇場というくらいであるからここは美術館ではなくダリの劇場である。ダリが愛した一番は妻であるガラ。そして奇妙に思えるかもしれないがキリスト教。当時パリの画壇を詩人の妻でありながらエルンストと愛人関係をつくっていたガラが10歳年下のダリを夢中にさせる。そして、ダリと結婚し、若い愛人を渡り歩いたのにガラは生涯ダリのもとを去らなかった。ダリにとってインスピレーションの源であったガラは、言わばダリにとってのミューズであり、聖母。マリアに模した肖像画や昇天するさまを描いた絵も多い。興味深いのは、ダリがガラを聖母視していたためかどうかは分からないが、あれだけ猥雑な作品を遺したのに、性器をフィーチャーしたり、あからさまにセックスを想起させるようなものは少ないということだ。もちろん、人間とも実際には存在しない怪物とも見える異形の生き物が自らを引き延ばし、苦痛にもだえるあの有名な作品(たしかポンピドゥーセンター蔵)は性衝動の快感とも解釈できるが、ピカソなどキュビズム(期)の画家が、ときに性器を誇張したのに比べ、ずいぶん保守的である。とはいえ、ダリのディスコンストラクションは自らが持っていた信仰キリスト教にも及ぶ。繰り返し描かれるガラは聖母、磔刑像に違いないと思える彫刻、最後の審判で阿鼻叫喚を示すさまざまな群像(彫刻あるいはレリーフ)。ダリ自身は自分の信仰について詳しく語ったとことはないとされる割には戦後カソリックに帰依し、シュルレアリズムの激烈な紹介者アンドレ・ブルトンと袂を分かったあとは、フィゲラスの地でガラが中心の生活を静かに過ごしたことからも分かるように、表現の珍奇さとは裏腹にある意味保守的な人であったのかもしれない。
ダリの画業は「劇場」である。その劇場を構成する要素と、アイデアにあふれていたからこそ劇場が完成したのであり、ときに、唯我独尊、独りよがりとまみえるダリの世界は、ここフィゲラスでこの美術館まで来なければ味わえない代物でもある。筆者が訪れた際には、結構高校生くらいの若い人たちが学習のために?来ていた。超現実主義とは「現実」があってこそ理解できる「主義」であるならば、ダリを見据えて「超」が以外に身近に感じられるダリ劇場美術館なのである。(卵でおなじみのダリ劇場美術館) この項おわり






コメント (2)
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