kenroのミニコミ

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屹立の個人はいつの時代も美しい  東ベルリンから来た女

2013-02-26 | 映画
ベルリンの壁が崩れて早24年。東西ドイツが統一したのが1990年。ベルリンの壁崩壊に伴うドラマを描いた作品は多い。そして壁崩壊前の東ドイツの日常を描いた作品も出てきている。特に東ドイツで人民支配のため密告・監視システムを担った秘密警察シュタージの一人に焦点を当てた「善き人のためのソナタ」はアカデミー賞を受賞した秀作だ。そして問題の本作。
ベルリンの大病院から、北方の海岸近くの町の病院に左遷されたバルバラ。同僚と打ち解けようとしないバルバラには西側へ逃げようとするかもしれないと監視がつく。少しでも帰宅が遅くなると家宅捜索、そして屈辱の身体検査。上司のアンドレ医師がなにかと声をかけ、アンドレ自身も医療事故で飛ばされたことが分かり、心を開きかけたかに見えたバルバラだが。他の医師を嫌い、バルバラの診察だけを望む少女ステラは、集団作業所から逃げ出してきた身だが、妊娠していることが分かり、作業所で何が行われていることを悟ったバルバラは、西側に住む恋人ヨルクの手引きでいよいよ西側へ亡命しようとする。
スリリングである。もちろん、MIとか007などのスパイ物でもないし、他に数多あるアクションでもスリラーでもない。そこにあるのは、現実の人間が実際になしたリアルなドラマなのだ。
バルバラがアンドレを探しまわって、彼が往診している家にたどり着いた時、彼女を執拗に監視するシュタージのシュッツがうなだれているシーン。往診の相手は、末期がんのシュッツの妻だったのだ。シュタージとて人の子、そして家族や人生がある。「善き人のためのソナタ」では、自由を求める人たちの生き方に感化されたシュタージが、組織を裏切るが、本作でも人間を一面側から描くことをよしとしない。アンドレを「ゲスの手先」と非難するバルバラに、「医師だから助ける」と一言。大事な手術がある日、いよいよ逃亡決行の夜だがバルバラを訪ねてきたのは、流産して弱り切ったステラ。医師として、人としてステラを置いて自分だけ逃げ出すわけにはいかない。最後にバルバラがした決断とは。
バルバラ役のニーナ・ホスがかっこいい。医者がそんなにヘビースモーカーでいいのか?と突っ込みたくもなるが、内に秘めた思いをみじんも魅せない立ち振る舞いは、冷たくそして気高くもある。組織のしきたりや、それまでの慣れに甘んじた医療関係者を拒否するステラは、不思議とバルバラだけを頼りとしている。当時の東ドイツの非人間性によって、心も体も蔑ろにされたステラは、尊厳を持った一個人として屹立するバルバラ、長いものに決して巻かれない、そして負けないバルバラの本性を嗅ぎ取っていたのだろう。
本作の原題は「Barbara」。「東ベルリンから来た女」のほうが、ずっとホスと合っているような気もするし、このような人は本当にいたのではないかと思わされる。「善き人のためのソナタ」でも描かれたように、監視・密告の恐怖政治にいろどられた東ドイツ、血も涙もないシュタージが個を抑圧する日常とともに、人間くさいシュタージがいたのも事実だろう。そして、時にシュタージより冷酷無比な一般市民、そしてそのどちらからも放逐された弱き人々がグラデーションのように生きているのが現実の世界に違いない。
人間を描くと言うことは、ただ一種類の人間を描くと言うことではない。そして一人ひとりの中に多面性がある。しかし、バルバラのように揺るぎない魂を持つ者は多くはない。ステラを西側へ逃し、自身は東に残ったバルバラ。また執拗な監視と嫌がらせに遭うだろう。しかし、あと9年でベルリンの壁は崩壊するのだ。それまで、長いのか短いのか、架空のヒロインに思わず感情移入してしまうほど迫力ある静けさにあふれた作品であった。
コメント
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