kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

PRIDEとSOLIDARITYがキーワード 「パレードへようこそ」

2015-05-26 | 映画

Solidarity Forever, Solidarity Forever…

イギリス伝統の労働者が闘う物語と一言で言ってしまうのが惜しいほど面白い。古くは「フルモンティ」や「ブラス!」「リトル・ダンサー」など強面の労働者とは相いれないように思えるヌードダンス、ブラスバンドそしてバレエと、奇想天外な組み合わせで寂れ、弾圧される炭鉱の街を救う物語たち。そして今回はゲイ(とレズビアン LGSM)が炭鉱労働者を支援する!?

サッチャー政権下、炭鉱閉山・縮小と闘う労働者らを支援しようとマークがロンドンでLGSMの仲間と募金活動を始めた理由は、「サッチャー(の政策)から虐げられているマイノリティだから」。労働組合を敵視したサッチャーは、国鉄や炭鉱などを片っ端から縮小や民営化していく。首切りである。極端な市場主義者で、「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家を嫌ったサッチャーは、労働組合潰しを徹底した。国鉄を例にとってみれば、人減らしでメンテナンスもままならず、現場の労働者を死に追いやってしまうあり方は、ケン・ローチの「ナビゲイター」で描かれていたとおりである。

ケン・ローチでは救いがない話が多いが、「フルモンティ」や本作は、笑いをさそう明るい闘い方だ。でないとやってられないことも多いし、実際の闘いは笑いを内包した余裕も必要であろう。しかし結局炭鉱労働組合は負けてしまう。炭鉱が斜陽産業であったこと、イギリスも原子力発電への依存を高めていた現実がある上に、いくらLGSMのグループらの支援があっても、英国国民の大きな支持がなかったからと言えるだろう。そして、保守的、マッチョ、ホモフォビアの炭鉱労働者らが次第にLGSMの人たちを受け入れていく心境の変化こそ大きな宝物だ。炭鉱ストの敗北後、LGSMのグループらがロンドンでセクシャル・マイノリティの大きな集会とパレードを催したとき、今度は「ゲイを支援する炭鉱労働者の会」がバスを何台も連ねて応援に駆け付けたシーンには熱くなった。

欧米では同性婚を認める国や地域が増えている。カソリックの国アイルランドでさえ先ごろ同性婚を認める住民投票が勝利したばかりだ。ゲイをカミングアウトするルクセンブルク首相など、ヘテロカップルしか認めない価値観こそ頑迷に見える。翻って、トランス・セクシャルやトランス・ベスタイトの芸能人が一定人気を博しているが、「キワモノ」扱いでまだまだセクシャル・マイノリティの権利までは遠い日本。それでも、毎年開催されているLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)のパレードは参加者が倍々で増えているそうだ。

一方労働組合の力は弱まるばかりだ。非正規労働者が増える中で、ユニオンの活躍もあるが多くの労働者を救いきれていない現実。最大労組の連合体「連合」は政治発言さえしないし、民主党が譲る以上に政権に「譲り」まくっている。佐高信が「連合は民主党の下駄の雪」と喝破したのはもう大分前だ。

本作の感動的なシーンに炭鉱労働者がゲイグループの支援を受け入れ、ともに闘うことを確認しながら歌う「ブレッド・アンド・ローズ」。そう、労働者にはパンとともに(政治的)自由や理想も必要なのだ。本作の現題はPRIDE。「誇り」と訳すか「矜持」と訳すか。遠くから聞こえてくるSolidarity Forever, Solidarity Forever を忘れずに、圧倒的な権力に対して手をつなぐこと。個でできることは多くはない。

 

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誰でもモネの「眼」になれるわけではない でも「まなざしのレッスン」は積むことができる

2015-05-18 | 美術

 

「まなざしのレッスン」1が出て14年。前作では、西洋古典的絵画を中心にその明らかな場合もそうでない場合も含めた神話的、宗教的意味をまさに「目からうろこ」(これこそキリスト教的だ)で解説してもらった覚えがある。そして、続編の出るのを今か今かと待ち望んでいたのが本作だ。

筆者は今回19世紀から20世紀の近代・現代絵画をいくつかの視点で分析して俯瞰して見せる。項目は大きく分けて主題とテーマ、造形と技法、そして受容と枠組みである。どういうことか。西洋古典絵画の場合、主題はその細かな点はさておき、ほとんどが神話画か宗教画かによるものであるから推し量ることができた。しかし、近代絵画はどうか。19世紀フランスはサロンで圧倒的に好まれたのは宗教画と並んで物語画であった(ロマン主義)。ドラクロアの「民衆を導く〈自由〉」は我々のだれもが知る超有名作品だが、1830年の王政復古体制を打ち壊そうとパリで勃発した7月革命を題材としており、史実を物語的に表したものであり、ジェリコーの「メデューズ号の筏」(1819年)とともに、その劇的さが史実というレアリスムでありながら、宗教画に飽きた人々の心をとらえた。遅れてイギリスに勃興したラファエル前派はミレイの「オフィーリア」(1852年)など主題を史実にではなく、文学に求めたが、主題の選び方は前世の宗教画の解釈を超えて自由に広がって行ったと見るのが妥当だろう。これは市民社会の成熟ともちろん無縁ではないし、フランス革命やナポレオン戦争、そして普仏戦争などあいついで経験した近代戦争と無縁ではない。しかし、戦争の記憶は画家たちの観念をも時代によって厳しくさせ、ゴヤが「プリンシペ・ピオの丘での銃殺」(1814年)を描いたおよそ120年後、ピカソは「ゲルニカ」(1937年)で無差別空爆という近代いや現代型戦争を告発するまですすんだのだった。

近代絵画のもっとも時代を変革した動きはもちろん印象派。劇的な物語から日常の風景に画題を求めた印象派は、いわば主題を画家個人の視線に求めたと言える。それもルノワールやドガのように都会の風俗にこだわった画家、モネやピサロなど田園風景を多く描いた画家、いずれもすでにある物語ではなく徹底的に自分の「眼」にこだわったといえる。

言わば平面で終わっていた印象派の中から、塗り方によって革新を拓いたモネなどにはじまり、造形をより抽象化、立体化していった試みが厚塗りのゴッホ=後期印象派、色彩理論をとことんまでつきつめたスーラ=新印象派、具象から抽象への変換を成し遂げたピカソ=キュビズム、もはやアプリオリにはテーマが読めないカンディンスキー=シュルレアリスムなど、絵画は「造形と技法」をとてつもなく発展させた。

そして平面ではおさまらない西洋絵画の世界は、より立体感を増すとともに、アカデミズムの枠を取り払い、アジアやアフリカ美術を取り入れ、ジェンダー規範を超え、アウトサイダーアートへも拡大の一途をたどっている。まさに受容と枠組みに終わりはない。

「まなざしの『レッスン』」のためには、そのまなざしを鍛えるための膨大な経験と知識が必要だ。日本語でいうと「西洋美術」と一括りしてしまいがちだが、キリスト教以前ギリシア・ローマの地中海美術から、ホロコースト以降のコンセプチュアル・アートまでその守備範囲はとてつもなく広い。それらの連関性、発展性を素人アート好きが「レッスン」を踏むことによって、より楽しめるならこれ以上のことはない。『まなざしのレッスン』1,2はその基本書、入門書、“あんちょこ”として必携となっている。次のレッスンはまた14年後だろうか。アートを彩る必須の要素として、彫刻や工芸、建築のレッスンも施していただけたらと思う。(『まなざしのレッスン ①西洋伝統絵画』は2001年刊、『同 ②西洋近現代絵画』は2015年刊 いずれも三浦篤著  東京大学出版会)

 

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戦争の実相とは「殺す者」と「殺される者」の2種類 あの日の声を探して

2015-05-03 | 映画

イスラム国(ISISまたはISIL)やボコ・ハラムなど、世界各地での「イスラム過激派」の所業にたいする恐怖が広がっている。ボコ・ハラムは「西洋教育は悪」の意味だそうで、ほかにもケニアの「イスラム過激派」アルシャバブが、キリスト教徒だけ選んで殺戮したとの報道もある。

かようにイスラム教徒と考えられる者の一部が、西洋社会=キリスト教徒を排除すべき対象、時には憎悪する対象と見ているのは間違いがないのだろう。しかし、世界史的に見れば、十字軍を持ち出すまでもなく、キリスト教(徒)によるイスラム教(徒)迫害は、現代までずっと続いてきた歴史である。ただ、宗教的迫害は民族的迫害と同一かというとそうでもなく、複雑である。とまれ、宗教的迫害か、民族的迫害かの分類はさておき、1980年代以降チェチェンでおこったことは、少なくとも、ロシアによるチェチェン人迫害であることは間違いがない。

監督のミシェル・アザナヴィシウスは、ドキュメンタリー的な手法をとらず、フィクションで本作を撮ろうと考えたという。それはドキュメンタリーより長編映画の方が「パワフル」だからだという。これはドキュメンタリーでは難しい一人の子どもにすっと寄り添い、その視線から分かるものを描こうとしたとき、フィクションの方が描きやすく、よりダイナミックな展開に、要するに「パワフル」にできると考えたからであろう。

戦争には少なくとも二面がある。攻撃にさらされる側と攻撃する側と。その立場が入れ替わるときも多いが、非戦闘員である女性や子どもはさらされる側であることが圧倒的に多い。そして、そのどちらでもなかった人、層をそのどちらかに、より過酷な立場に置くのが戦争だ。それは殺す側と殺される側と言うことだ。

両親と姉をロシア兵に殺される場面を目撃した9歳のハジは、赤ん坊の弟を抱いて逃げる。しかし、自分では育てられないとチェチェン人の家先に赤ん坊を遺し、避難民であふれる街の難民キャンプにたどり着く。国連職員らに名前などを聞かれても、ショックで声が発せられなくなっていいたハジ。一方欧州人権委員会の職員キャロルは、国際社会の無力さに打ちのめされながら、自分に何ができるかと問い、ハジを育てていく決心をする。殺されていたと思われていた姉のライッサは弟らを探し続け、赤ん坊と出あえたもののハジを探し難民キャンプにたどり着く。

チェチェンの戦線から遠く離れたロシア人のごく普通の若者コーリャは、強制的に入隊させられ、軍隊のすさまじい暴力構造、差別構造を目の当たりにする。自身もひどい暴力、いじめに遭いながら次第に、人間の心を失っていく様は圧巻だ。新兵いじめにも加担し、前線に出て、初めて人を殺したコーリャは「筆下ろししました」と同僚たちと笑いあう。もう人の心ではなく、殺人兵器と化したのだ。

殺される側のハジやライッサと殺す側のコーリャ。普通に生活をしていれば、戦争がなければそのような位置に立たなかった人たちは、今どちらかである。しかし、戦争が長く続き、憎悪が継承されれば、やがてハジもコーリャを殺す側に回るかもしれぬ。そう、戦争とはそういうものなのだ。憎悪の継承こそが、戦争の「成果」だとするならば、そこに「赦し」が入り混む余地などない。プーチン政権の拡張主義を批判することはたやすい。しかし、ウクライナ情勢、クリミア半島「併合」を持ち出すまでもなく、プーチン政権の思惑をアメリカ、西側から描くときなんらかのバイアスがかかっているとの疑いが強いことも事実だ。ただ、そうであっても、第2次チェチェン「紛争」を作り出し、軍隊を派遣し、ハジらを生み出したのはプーチン=ロシア側であり、それらチェチェンの人をすぐに救えなかったのも、西側であることだ。

戦争の実相は、ハジやライッサ、を助けようと奔走しながら無力感に苛まされるキャロルのような存在を多く生み出すことであって、どこぞの首相のように「自国民を助けられなくていいのか」「切れ目ない安全保障」との絶叫とは無縁の世界が広がるだけなのだろう。

ロシア側から「イスラム過激派」とレッテルを張られたチェチェンに、いや、それ以外の多くの世界に多くのハジがいる。

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