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真実の追及に「黒塗り」で応える、アメリカ、日本  「モーリタニアン 黒塗りの記録」

2021-11-14 | 映画

本作の題名にある「黒塗りの記録」と言えば、この国では森友問題をめぐって財務省が公文書を改竄した際の文書や、名古屋入管で見殺しにされたウィシュマ・サンダマリさんの入管側の経過報告書が思い浮かぶ。しかし、本作の黒塗りはある意味もっと闇は深い。だからといって日本の黒塗りは軽いのか、そうではない。しかしそれは後述するとして、ここで問題なのは、アメリとかというもっと自由で、民主主義が保証され、かつ政府の透明性も「高い」とされている世界一の軍事大国の闇だ。

本作の問題提起は2点あると思う。一つは、政府が司法手続きの正当性=法的根拠を無視して、被疑者と見なした人間を長期間拘束する点、そして、その事実を国をあげて隠蔽しようとする点である。1点目はデュー・プロセスの本質から逸脱しているのは明らかだろう。そして世界一の民主主義大国を標榜するアメリカが、情報開示、市民の知る権利とは真逆の対応をした実態である。

9.11で国の威信を貶められたと考えたブッシュ政権は、「これは戦争だ」とアフガニスタンのタリバン政権を崩壊させ、テロの温床に資する大量破壊兵器を所持しているとしてイラクのフセイン政権も崩壊させた。しかしタリバンが9.11の首謀者とされるアルカイダ、その指導者であるとされるビン・ラディンが本当に9.11を指示、主導したのかも分からないのにパキスタンという独立した他国にいたビン・ラディンを米軍は家族とともに暗殺、イラクには大量破壊兵器などなかったことは周知のことである。

9.11の実行犯と繋がりが深い容疑者として浮かんだのが、ドイツの留学と実際アルカイダの軍事訓練も経験があるモハメド・ウルド・スラヒ。アメリカ政府に忖度!したモーリタニア政府はスラヒを拘束、そのままアフガニスタンを経て、グアンタナモに移送される。しかし解放されるまでスラヒに拘束の理由となる正式な司法手続きは一度も存在しなかった。ブッシュ政権、イラク侵攻を主導し、その理由に石油利権がウラにあるとされ、利権企業の取締役であったラムズフェルドは9.11の実行犯を1日も早く「吊るし」、国民の怨嗟を回収しようとした。スラヒを早く死刑にしろ、と命令され、起訴を担当するスチュアート中佐を演ずるベネディクト・カンバーバッチ、スラヒを弁護する人権派弁護士ナンシー・ホランダーにジョディー・フォスター。役者は豪華だ。そしてスラヒ役は実際にアラビア語などを操るフランス出身のタハール・ラヒム。15年近く裁判も受けられないのに拘束され続けたスラヒをラヒムが演じ切ったことで本作の成功は約束されていたと言える。それほどスラヒの経験は壮絶で、簡単には描写できないし、スラヒの人間的崇高さも魅力なのだ。スラヒに関する記録が黒塗りになったのは、彼の拘束に関する法的根拠がなかったためと、彼の自白が拷問によるものだったからだ。その事実が、スチュアート中佐側からは、絶対に機密であると公訴権を持つ検察官をもはねつける国家の強固な意思をなんとか崩そうとする姿勢と、ホランダー弁護人側からは、被疑者の秘密交通権をたてにスラヒから届く手記により次第に暴かれていく。その様はとてもスリリングで、権力による恣意的な裁判運営ではない、「法の支配」の原点に触れる気がするのだ。忘れてはならないのは拷問=「特殊取り調べ」と呼ばれる、を許可したのがラムズフェルドであったという事実。正式な裁判、司法手続きの管理下では拷問などできないのでこのような方法をとっていたことが分かる。心身に対する凄惨、卑劣な拷問や女性取調官による性暴力などの事実は、スラヒが手記を出版する際には多くが「黒塗り」された。しかし、出版社はその「黒塗り」のまま出版したのである。

森友事件をめぐり財務省の公文書改竄を強制された赤木俊夫さんが自死した。その実態の解明を求める妻雅子さんの要求に、この国はまだ「黒塗り」で応える。公文書改竄が赤木俊夫さんにとって「拷問」であったのは明らかで、その責任をとるべき人間がきちんと取ることなどこの国で想像できるのだろうか。

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