kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

「愛国心」の本質が見えてくる    麦の穂をゆらす風  

2006-12-15 | 映画
暴力を憎む。眼前に展開される理不尽な暴力を憎む。
しかし、暴力に対して暴力しかその時点では有効であると思えないときはどうか。
「麦の穂をゆらす風」は、独立前のアイルランドを舞台に独立戦争に身を投げ、英から独立後、共和派と王制派の内戦で命を失う青年の物語である。ケン・ローチは「反英映画をつくった」と非難されながら本作でカンヌ映画祭でパルムドール賞を受けたのだ。
第1次大戦で大きな損害を受けたイギリスはアイルランドに駐留し、駐留軍はアイルランドで暴虐の限りを尽くす(ブラック・アンド・タンズ)。暴虐の中身は、何の理由もない虐殺、日々の暴力、アイルランド人財産の略奪、焼棄である。これは90年前の特殊な出来事か、いや、60年前日本がを中国や朝鮮、アジアに侵略した土地でなしたことであり、現在イスラエルがパレスチナ自治区で行っていることである。そしてアメリカがイラクで行っていることである。
暴力は怖い。剥き出しの暴力  主人公デミアンは目の前でお世話になっていた一家の少年を殺され、現実から逃避しようとロンドンに発つ日の列車で運転士らが暴行された様を見たからである  を押さえるためには剥き出しの暴力で今、そこで行われようとしている暴力を押さえ込むことだ。デミアンは銃を持つ。
密告者を処刑し、「敵」を殺すことに慣れたデミアンにはもう人の命を救う医者を志した姿はない。そして、イギリス軍が撤退した後、イギリスとの条約にアイルランドの未来を見た兄とも対立。その兄の号令で武器略奪の罪で銃殺。

アイルランドは旧い土地柄だ。イギリスへの帰属を求める王制派は、一方で近代社会を早く実現したイギリスへのあこがれのある「改革派(民主主義派)」でもある。そしてイギリス王制を拒否する共和派は、ナショナリストであり、「守旧派」でもある。旧い土地柄というのは男社会であることからも伺われる。そして反条約派、独立派、共和派を支えたのも名もない農民たち。近代社会は支えるものさえない。

ケン・ローチのフィルムはいつも希望がない。ように見える。底辺労働者を描いた秀作マイ・ネーム・イズ・ジョー、革命の国の厳しさを描いたカルラの歌、移民の明日のなさを描いたやさしくキスをして。あれだけ希望を奪っておいてなぜ、まだ、ローチは描くのか?彼がコミュニストであるからか、どうしようもない楽観主義者であるからか。

現実とは何か。現実主義であるとはどのようなことか。デミアンが相対したのも「現実」なら、彼がとった行動も「現実主義」だ。そしてデミアンのあこがれであった聖職者にして闘志の兄、テディも、デミアンの恋人シネードも。家を、家族を、土地を守るという単純にして簡明なことに対して一所懸命生きるということが許されない酷薄な時代に暴力がそのそばにあるということはどういうことか。

「非国民」の罵声とともに検挙、拉致され、リンチに晒された1920年代以降の日本。現在の日本でも、「君が代」斉唱に起立しなかっただけでクビになる時代だ。自由とは、同胞とは、国家とは、郷土とは。
教育基本法が「改正」され、愛国心が強要される時代を切り開いた今こそ「麦の穂をゆらす風」は見なければならない。

※ 「麦の穂をゆらす風」オフィシャルサイト(http://www.muginoho.jp/index.html)
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臨場感あふれる学芸員の活躍  ポンピドゥー・センター物語

2006-12-15 | 美術
以前書いたかもしれないが、私が海外の美術館に行くようになったのはポンピドゥー・センターに行きたかったのがきっかけである。当時は近・現代美術ばかり興味があり、ルネサンスやロココ、バロックなどにあまり興味がなかったので広大なルーブル美術館でも「モナリザ」や「ミロのヴィーナス」など超有名作品には見入ったが、他の珠玉の逸品の数々(今にして思えば)にはあまり関心を向けなかったのだ。
そのポンピドゥー・センターが開館したのが1977年。ポンピドゥーの名はもちろん時の大統領名。開館したときにはポンピドゥー大統領はすでに亡くなっていたがミッテラン大統領はその遺志を引き継ぐと開館挨拶をした。開館当初はもちろん非難、悪態も多かったらしい。何やら訳の分からない現代美術その他に多額の税金をつぎ込み、しかも由緒あるパリの街並みを壊す奇天烈な外観が登場したのであるから。その開館当時の雰囲気、そして文化の都と言ってもとっつきにくい現代美術にどれだけ人が来てくれるだろうか、あるいは来てほしいと思う企画の立案。フランス学芸員の登竜門、国立ルーヴル学院をそれこそ優秀な成績で卒業した(でないと進級、卒業そのものができない)筆者がポンピドゥー・センターの国立近代美術館の研修生となり、数々の展覧会開催に関わり過ごした激動の日々が綴られる。
 ポンピドゥー・センターは国立美術館のほか、図書館、映像センターなどをまさに現代文化の殿堂である。さすが文化保存には金に糸目をつけない(ルーヴル学院もその一環である)フランスの面目躍如といったところだ。ルーヴル美術館が印象派以前、オルセーが印象派、そしてそれ以降が近代美術館と時代ごとに明確に分かれているので訪れやすいのだが3カ所合わせるとそれだけ巨大な規模になるということだ。「近代」と区分された大規模美術館はテート・モダンとMoMAがあるが、ポンピドゥーはその独自の特別展で爾来世間を驚かせているという。筆者が関わり、あるいはそばで見てきた特別展はどれも意欲的、斬新な発想に裏打ちされたものばかりだ。それができるのは資金力というより豊富な人材である。筆者もその「人材」の一人であるが、その美術知識、創造性、好奇心、行動力はすさまじいばかりである。一度特別展にスタッフと関わることになれば、その前提としてフランスでは学芸員=ミュゼオロジーの地位が非常に高いことにある。フランスではミュゼオロジーは国家公務員なのでフランス国籍を持たない筆者はなれないのだが、その資質はミュゼオロジーそのものであって、非常にハイレベルな議論を前提としてイクスヒビションが構築されていく様は圧巻だ。本書の魅力は筆者がその一つ一つの出来事=それは、英知を集めたポンピドゥーの真骨頂なのだが  に冷静かつ熱く関わってきた様子がまるでサスペンス小説を読むように次々と展開される記述にある。
 筆者は近代以降の美術が専攻であるので現代の映像、インスタレーションにも力を割いているが、その取り上げ方の基本には美術に関する近代以前の驚くばかりの知識量にある。ルーヴル学院に学んだ後には遠くの作品を一瞥しただけで、その作品・画家名はもちろんのこと所蔵美術館、出自、由来を即座に諳んじた美術コンピューターであるからこそポンピドゥーに請われ、そして真っ先に写真展まで任されたのである。まだコンピューターのそれほど普及していなかった時代に図書館に通い、蓄積した美術に対する深い洞察は現在武蔵野美術大学の教壇で、あるいはメルシャン軽井沢美術館館長として生かされているのであろうが、日本で女性の地位が上がってきたのは85年の雇用均等法。それ以前、筆者が学んだ時代は女性の日本でも地位が低かったときでも、フランスではミュゼオロジーはすでにジェンダーバイアスがなかった、あるいは低かった証拠だ。
 フランス・パリでは、久しぶりに新設の国立美術館としてケ・ブランリー美術館が開館したばかりだが、文化保存にかける並々ならぬ意識(それが、王朝を長く戴き、その恩寵の歴史であったとしても)に改めて感嘆するとともに、東京に2月に開館する新国立美術館が先進国の中でも文化大国として問われる事象だが、そもそもジェンダーバイアスなど日本が超えられなければならない前近代的規範はまだまだ多いように思える。
 本書が出たのは1997年。現在も第一線で活躍する筆者の美への執着に喝采。

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