kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

戦争加害者は常にその加害に無自覚である  顔のないヒトラーたち

2015-11-23 | 映画

森達也さんが「多くの歴史的過ちは、こうして始まった」(『「開戦前夜」のファシズムに抗して』所収 2015.10 かもがわ出版)で、カンボジアを訪れた経験を語っている、プノンペンにあるトゥール・スレン虐殺犯罪博物館は、クメール・ルージュが支配していた(ポル・ポト派の)時代、学校の校舎で殺りくを繰り返していた現場。拘束器具はもちろん、血のりもふくめてすべてそのままに残してある。カンボジアの負の歴史を隠そうともしない。

森さんもだが、筆者はアウシュビッツを訪れたことがある。アウシュビッツはポーランドだが、ドイツが、その存在、世界遺産登録に反対したことはない。ドイツ最大の負の歴史の証拠であるのに。ドイツ国内にもダッハウやビルケナウなど強制収容所であった場所は、ナチスの蛮行と戦争を記憶する施設としてある。翻って森さんは言う。カンボジアやアウシュビッツをはじめとしてドイツの博物館を訪れて、カンボジアは野蛮な国、ドイツは尊敬するに値しないひどい国だと思うだろうかと。

「顔のないヒトラーたち」は、アウシュビッツでなされたことが、戦後ドイツ市民に知らされていなかったこと、歴史的記憶が共有されていなかったことを明らかにする。しかし、戦後13年、1958年、戦後復興にまい進するドイツでは、フランクフルトでアウシュビッツの実相、ナチスに加担した「普通」のドイツ市民の責任追及を明らかにしようとする正義感あふれる検察官ラドマンには壁の連続だった。

しかし、ユダヤ人で被収容経験のある検事総長バウアーの後ろ盾を得て、アウシュビッツを生き残った人たちの証言を得、アメリカ軍が保有している膨大な資料を精査、ナチスの先兵として加担した市民を逮捕、告発していく。ナチスの時代を隠そうとする政権や市民の思いは強く「父親を犯罪者として告発するのか」との攻撃、「傷が癒えている寝た子を起こすな」との批判に耐えて。そして、捜査に5年の歳月を要し、1963年に始まったアウシュビッツ裁判で、ドイツ人の市民が侵した罪を裁くことになった。ナチスに加担し、ユダヤ人らを殺りく、その末端を担ったのに、戦後は加害性を一切問われない普通の市民面していた人たちが裁かれたのだ。

このフランクフルトの検察官らの正義を求める意思が、ドイツで本当にナチス時代を清算することにつながったのだ。その後、賛否はあるがドイツでは「闘う民主主義」の伝統が根付く。民主主義のためには、自国民すべてに及ぶ過去の加害事実に目を向けないことはないと。

それは、いまだアウシュビッツ、ホロコーストに関する映画を制作し続けるドイツの姿に明らかである。冒頭の森さんの言説にかえれば、自国の負の歴史を描いたからといって、「ドイツは残虐でひどいから付き合わない」と思いますかと。「従軍慰安婦はなかった」「強制連行はなかった」「朝鮮半島、台湾、中国満州等で日本はいいことをした」。自己の負の歴史を否定し、それを後ろ押しする政権と、その政権を「支持」する世論。この国では1958年当時のドイツまでもたどり着いていない。

さらに、森さんは言う。日本で戦争を思い起こす「記念日」といえば、1945年8月15日である。ところが、ドイツではヒトラーが全権を握った日と、アウシュビッツ解放の日を戦争を記憶する日としていると。その違いはとてつもなく大きい。

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これは遠い日の出来事ではない 「自由」のために ヒトラー暗殺、13分の誤算

2015-11-03 | 映画

「ある部分が当時のドイツの空気と似ていなくもない今日の日本に暮らす私たちは、この物語を遠い他国の昔の話だと言ってはいられないと。」(きさらぎ尚)

 本作の主人公、実在する一介の家具職員ゲオルグ・エルザーがヒトラー暗殺に失敗したのが1939年11月8日。ヒトラーがドイツで全権掌握してから6年が経っていた。その頃日本は、1931年の柳条湖事件後、32年の満州国建国、そして37年の盧溝橋事件で中国大陸への侵略を本格化させていた。39年7月には国民徴用令を公布しており、40年の大政翼賛会設立、そして41年の日米開戦へと総力戦前夜であった。エルザーは早い段階から、ヒトラーの危険性に、ドイツが戦場になり、多くの犠牲が出ることを予感していたのだろう。そして、ヒトラーを暗殺しなければ、自己の自由が奪われると。

エルザーが守りたかったのは「自由」。イギリス諜報部の差し金でも、ロシアの陰謀でもなかった。だからむしろ、過酷な拷問を受けても、ナチス=ヒトラーが欲するような暗殺計画の背後、理由など自白しようがなかったのだ。さすがに恋人エルザに危険が及んだときに、黙秘を止め、自ら爆弾の製造方法などその綿密かつ大胆な計画を語ったが、「一人でやった」を押し通すことができたのだ。むしろ、エルザーを恐れていたのはヒトラーの方。だからありもしない「背後」を暴こうと、拷問ときに懐柔などあらゆる手を使って、「真実」をエルザーに吐かそうとするが、決して殺しはしなかったのだ。

エルザーの破壊工作でヒトラー以外の8名の市民らが亡くなった。だから、その「テロ行為」を賞賛する者もいなかったし、エルザーの名は長くドイツの歴史の中で黙殺されてきたという。逆に言えば、エルザーが「自由」ゆえにヒトラーを抹殺しようとした理由を理解、共感できなかったからかもしれない。

エルザーがかような思いに至ったのは、日々ナチスの勢力が強まり、ドイツ全体が生きにくい社会になりつつあることを実感していたからだ。共産主義運動に理解を示す友人は、捕えられ強制労働へ。ユダヤ人の知人も町でさらし者にさせられる。普通にお酒を飲んで、恋愛をおう歌できた時代は去り、ビアホールも「ハイル・ヒトラー」の挨拶ばかり。村の収穫祭はナチスのプロパガンダの場と化し、世の中がたった一色になっていく閉塞と恐怖。

有名なマルチン・ニーメラー牧師の手紙では、最初共産主義者だけが排除の対象と思っていたら、やがてナチスの「敵」は教会にまで及んだが、それまで無行動、自分とは関係ないと考えないようにしていたから、すでに遅かったと。フランスのレジスタンスから生まれた『茶色の朝』も、オーウェルの『1984年』もが描く全体主義の過程と実相は、一人ひとりの市民に対し、その速い流れの過酷さを示し、「自分には無関係」との思考停止を厳しく問うているが、エルザーもまた「自由」のために自らの自由を賭けたのだった。

2015年夏。この国では政権の無理くりな「安保法制」をそれこそ無理くりなやり方で成立させたが、明日自衛隊が世界に銃を向けるわけでも、日本が戦場になるわけでもない。しかし、自由と民主主義のための緊急行動(SEALDsなど)は、日々要請されているし、それに目を背けていては、『茶色の朝』や『1984年』の現実化であり、エルザー以前の私たちを追い込む世界となるだろう。あの侵略戦争の実相を描く映画がない日本に比して、ドイツはナチスの時代をそれこそしつこく描き続ける。その違いは大きい。

冒頭のきさらぎ尚の本作コラムを繰り返す。「この物語を遠い他国の昔の話だと言ってはいられないと。」

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