NIESやBRICsなど、新興国を指す用語が生まれた後の新興国をグループとして指す用語はない。それだけグループというより一つひとつの国が、様々な試練の後で復興してきたということなのだろう。
それら今、外貨債を売り物にしている(た)南アフリカ(BRICsのs)やブラジル(同B)など経済発展著しい国ではなく、現在も著しい発展とは言い難いが、政情が安定したため先進国企業が投資する国の筆頭がミャンマー(ビルマ)そしてルワンダである。
ルワンダの虐殺については映画で描かれているので(「ホテルルワンダ」(http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/43bf244d1a2e571005f1e02d57474579)、「ルワンダの涙」(http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/dbd629392f555a209549a4892a455410))で紹介したが、
書籍は多くはない。唯一ルワンダ現代史の「体系的」な物語となっているのが『ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実』(フィリップ・ゴーレヴィッチ著 2003年WAVE出版)である。ルワンダ虐殺から9年、早い段階!でのこの好著は新装版や文庫版も出ているようでルワンダ虐殺を知る手掛かりとなっている。そして、今回『隣人が殺人者に変わる時 ルワンダ・ジェノサイド 生存者たちの証言』として、まさしく傍観者、研究者の立場ではなくてサバイバーたち一人ひとりに語ってもらった、あの虐殺の瞬間が生々しく再現されることとなった。証言者は14人。ここまで詳しく語ってもらうために著者のジャン・ハッツフェルドは信頼関係ができるまで粘り強くニャマタ(虐殺犠牲者の多い地域)を訪れ、何回も何回も話しかけたのだ。
証言者の性別、年齢、境遇はさまざま。農民もいれば教師などの知識層、比較的裕福な大家族から、シングルマザーもいる。それら証言者の語るところはフツ族に対する空気として―それはおそらくフツ族によるくり返されたツチ族攻撃・虐殺の長い歴史がある―違和感とフツの友人に対する親和感、殺人者となったフツに対する拭いきれない恐怖感がないまぜになった感情である。付き合いのあったフツの知人がマチェーテ(農具であるナタ)を手に殺人者となる様は、理解の範疇を超えているが、ここに「理解」は存在しない。あるのは理屈や背景説明はなにもない、ただ、まるで業務のように(朝9時からツチを殺し始め、4時にはきっかり終えて帰る。そのために昼間は泥沼に身をひそめ、夜に食糧を調達し生き延びた生存者のツチたちの姿がある)殺人をするフツのインテラハムエ(フツ族の民兵集団)とその暴力性、狂暴性にしたがった普通のフツの人たちである。
ルワンダはキリスト教信仰が篤く、これまでの虐殺の歴史の中でも教会はツチの避難場所として安全であった。しかし、94年の虐殺では、ニャマタの教会に逃げ込んだ5000人ものツチの人々を、フツは教会を攻撃してまで殺戮したのである。むしろ、一か所に集まっていたツチを「まとめて」殺すことができる地獄と化したのである。「ホテル・ルワンダ」では、教会は神聖な場所、侵してはならない場所としてあるのに、同じキリスト教徒であった(はずの)フツが押し入り、あろうことかシスターをレイプし、殺戮するシーンがある。しかし、生き残ったツチの人々は信仰に救いを求めているように見える。教会ボランティアとなったり、朝夕の祈りを欠かさないと。
ルワンダでここまで広がった大殺戮を防げなかったのは西側諸国(特に旧宗主国として逃げ出したフランスなど)が見て見ぬふりをして、国連の介入が大きく遅れたからと言われる。見て見ぬふりはヨーロッパ諸国に限らず日本も同じだろう。そして、安定したルワンダに投資するハゲタカ資本たち。
繁栄を謳歌し、発展した市街地に続く道にはまだ頭蓋骨が見つかるルワンダ。生存者の証言を大事にすること、そして、忘れてはならないことが絶対にあるということ。ルワンダ・ジェノサイドの実相解明はまだ端緒にさえ着いていない。
それら今、外貨債を売り物にしている(た)南アフリカ(BRICsのs)やブラジル(同B)など経済発展著しい国ではなく、現在も著しい発展とは言い難いが、政情が安定したため先進国企業が投資する国の筆頭がミャンマー(ビルマ)そしてルワンダである。
ルワンダの虐殺については映画で描かれているので(「ホテルルワンダ」(http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/43bf244d1a2e571005f1e02d57474579)、「ルワンダの涙」(http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/dbd629392f555a209549a4892a455410))で紹介したが、
書籍は多くはない。唯一ルワンダ現代史の「体系的」な物語となっているのが『ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実』(フィリップ・ゴーレヴィッチ著 2003年WAVE出版)である。ルワンダ虐殺から9年、早い段階!でのこの好著は新装版や文庫版も出ているようでルワンダ虐殺を知る手掛かりとなっている。そして、今回『隣人が殺人者に変わる時 ルワンダ・ジェノサイド 生存者たちの証言』として、まさしく傍観者、研究者の立場ではなくてサバイバーたち一人ひとりに語ってもらった、あの虐殺の瞬間が生々しく再現されることとなった。証言者は14人。ここまで詳しく語ってもらうために著者のジャン・ハッツフェルドは信頼関係ができるまで粘り強くニャマタ(虐殺犠牲者の多い地域)を訪れ、何回も何回も話しかけたのだ。
証言者の性別、年齢、境遇はさまざま。農民もいれば教師などの知識層、比較的裕福な大家族から、シングルマザーもいる。それら証言者の語るところはフツ族に対する空気として―それはおそらくフツ族によるくり返されたツチ族攻撃・虐殺の長い歴史がある―違和感とフツの友人に対する親和感、殺人者となったフツに対する拭いきれない恐怖感がないまぜになった感情である。付き合いのあったフツの知人がマチェーテ(農具であるナタ)を手に殺人者となる様は、理解の範疇を超えているが、ここに「理解」は存在しない。あるのは理屈や背景説明はなにもない、ただ、まるで業務のように(朝9時からツチを殺し始め、4時にはきっかり終えて帰る。そのために昼間は泥沼に身をひそめ、夜に食糧を調達し生き延びた生存者のツチたちの姿がある)殺人をするフツのインテラハムエ(フツ族の民兵集団)とその暴力性、狂暴性にしたがった普通のフツの人たちである。
ルワンダはキリスト教信仰が篤く、これまでの虐殺の歴史の中でも教会はツチの避難場所として安全であった。しかし、94年の虐殺では、ニャマタの教会に逃げ込んだ5000人ものツチの人々を、フツは教会を攻撃してまで殺戮したのである。むしろ、一か所に集まっていたツチを「まとめて」殺すことができる地獄と化したのである。「ホテル・ルワンダ」では、教会は神聖な場所、侵してはならない場所としてあるのに、同じキリスト教徒であった(はずの)フツが押し入り、あろうことかシスターをレイプし、殺戮するシーンがある。しかし、生き残ったツチの人々は信仰に救いを求めているように見える。教会ボランティアとなったり、朝夕の祈りを欠かさないと。
ルワンダでここまで広がった大殺戮を防げなかったのは西側諸国(特に旧宗主国として逃げ出したフランスなど)が見て見ぬふりをして、国連の介入が大きく遅れたからと言われる。見て見ぬふりはヨーロッパ諸国に限らず日本も同じだろう。そして、安定したルワンダに投資するハゲタカ資本たち。
繁栄を謳歌し、発展した市街地に続く道にはまだ頭蓋骨が見つかるルワンダ。生存者の証言を大事にすること、そして、忘れてはならないことが絶対にあるということ。ルワンダ・ジェノサイドの実相解明はまだ端緒にさえ着いていない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます