kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

ドイツ中西部の旅 2017ドクメンタを中心に⑤

2017-09-22 | 美術

今回の最終目的地フランクフルトに着いた。ドイツ最大の金融の街というから高層ビルが林立するものと想像していたが、駅前からトラムが発着する親しみやすさ。ベルリンでも高層ビルがにょきにょき、ではないので東京やニューヨークがむしろ異常なのだろう。フランクフルト中央駅から大聖堂や美術館がある中心部までトラムが、街の主要交通手段なのだ。

街の中心を東西に流れるマイン川の両岸に美術館がいくつもある。南岸のリービクハウス。小さな美術館だが、リーメンシュナイダーには珍しく砂岩の聖母子像がある。ここで見つけたリーメンシュナイダーに関する新著が福田緑さん(kenroのミニコミ ドイツ中西部の旅 2017ドクメンタを中心に①参照)も入手していなかったもので新鮮かつ貴重な発見となった。リービクハウスは本当に小さく、リーメンシュナイダー以外には魅力的な作品は少ない。その隣にあるシュテーデル美術館の方が有名である。

フランクフルトの銀行家シュテーデルの寄付によって設立された街随一のコレクションを誇る。ホルバインやデューラー、クラーナハなど北方ルネサンスはもちろんのこと、バロックから近代にいたる蒐集はとくにすばらしく、レンブラントやフェルメール、フリードリヒ、そして印象派とドイツ表現主義の面々がそろう。とくにブリュッケのキルヒナーは1室があるほど。さらに広い構内には戦後美術、抽象表現主義やコンセプチュアル・アートまでありご満悦。そして、この美術館で人気なのが、併設レストラン「ホルバイン」。筆者はここで、珍しくお寿司をいただいたが、味はともかく、ツナとサーモンだけのネタの少なさが淋しかった。ただ、お寿司であるのにおいしいパンがついてくるのがドイツらしい?

シュテーデル美術館はショップも充実していて、いくつか物色した。ミュージアム・ショップは美術館好きを狙っているうまい品ぞろえで、デパートや専門店では探すのが下手な人間に思わず手に取りたくなるグッズや装飾品がある。ここでいくつかお土産を手にした。

マイン川の北岸には大聖堂近辺にモダンアート美術館、シルン美術館、歴史博物館が居て並ぶ。歴史博物館はリーメンシュナイダーの作品目当てだったのが見つけられず、係員も「知らない」という。残念。モダンアート美術館は、面白い作品もあるが全体にビデオ作品が多く、英語バージョンがないのもあり、見続けるのは難しい。しかし、CGで虚無な雰囲気の男性が自身の目玉をくりぬいたり、手首を切り落として、空港のターンテーブルに載せていく作品はグロテスクだったけれど、人間が現代社会の中ではパーツでしかないことを示していて興味深かった。一方シルン美術館は、企画展のみ。現代アートによくある体験型のもので子どもなら楽しめたのではないか。

ところで知らなかったのだが、フランクフルトはゲーテの故郷である。旧市街にあるゲーテハウスは日本語オーディオガイドもあり、結構オススメ。超裕福な家庭に生まれ育ったゲーテは、子どものころから普通の家庭では得られない人文、自然科学、芸術などあらゆる知識を培っていた。それらの中から後に文学の才を現したのは、やはり若い頃からの熱烈恋愛体験が関係ありそうだ。数か国語を操り、留学から帰国後は一応弁護士として執務していたゲーテは今でいうスーパーインテリであったろうが、いくどもの失恋、悲恋に悩まされたそうだ。そのあたりの人間臭さもいい。そして最愛の妹をはじめ兄弟姉妹を早くに失っている。ゲーテのことをほとんど知らなくても、楽しめるのは、ゲーテの生家がきちんと残っているからだろう。

フランクフルト最後の夜は、(多分)毎年マイン川両岸で開催される美術館コラボ(3日間美術館入場無料のフェスティバル協力券がある)の大屋台市。「大」と書いたのは、本当にすごい規模で2キロはあろう片岸にそれぞれ屋台がひしめき(それも両岸!)、川のすぐそばではロックなどの舞台もあちこちに。その規模と楽しさに圧倒された。そして驚いたのが、これほどの屋台の数、規模であっても、使い捨てのコップは一切使用しないことだ。筆者もビールやワインなど楽しんだがすべてグラス。頑固で環境問題に厳しいドイツを垣間見た楽しい夕餉でこのドイツ中西部の旅も終わった。(マイン川南岸の情報通信博物館で展示されていた電話コードでできた羊)

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドイツ中西部の旅 2017ドクメンタを中心に④

2017-09-17 | 美術

テレビやパンフレットなどでヨーロッパの街の風景が魅力的に紹介される際、路面電車がよく使われる。たいていはウィーンかチューリッヒと思われるが、ヨーロッパの主要都市は路面電車が市民の足であり、観光客の移動手段であることが多い。ドイツもそうである。さすがにベルリンは、街中から少し外れた旧東ベルリン地区を走っているが、路面電車が市民の足兼観光客の足であるのは大都市ミュンヘンもフランクフルトも、そしてカッセルもそうである。

カッセルで5年に一度だけ開催される現代アートの世界展ドクメンタ(今年はドクメンタ14)。今年はギリシアのアテネでも先行開催されたが、ギリシアとドイツでの開催自体が現在のヨーロッパが直面する問題を著し、そして向き合おうとしている。ギリシアは債務超過で、EU離脱(放逐)かとも危惧された。一方EUのけん引役であり最優等生国であるドイツは、あまりにも多い難民に、受け入れを表明したメルケル首相の支持率低下にさえ陥り、ナチスの悪夢を経験したにもかかわらず移民排撃の右翼政党の台頭さえゆるしている。

ドクメンタはまっこうからこれら政治的課題に向き合う。まるで社会的発言を包含しないアートは、アートではないというように。実はドクメンタはその発祥からアートにおける政治的立場を明らかにした企画ではある。1955年に第1回が開催されたわけは、ナチスドイツの時代、表現の自由が制限され、政権が好む芸術だけが認められたのに対し、アートがアート本来が持つ批評精神に特化したからであるという。第1回ではナチス政権の嫌った印象派の作品が多く展示されたが、次第に政治的メッセージの強いコンテンポラリー作品が中心になるようになった。言うまでもなく、ギリシアは中東やアフリカやからの難民受け入れの最前線であり、その後衛はドイツ。難民と債務問題。ヨーロッパが抱える2大課題である。そこで、ドクメンタの作家はどのようにそれを訴え、あるいは表現したか。

ビデオ作品に多いのが、難民の現実を想起させるものや、その難民と原住民との齟齬をあらわした作品。また、現代の細分化されたパーツ主義とも言える個の不在に疑問を投げかける作品など。

カッセル滞在最後の夜に、イタリアンのお店に行った。給仕の仕切り役とまみえたイタリア人(と本人が言っていた)と少し話せた。筆者の英語力では不正確な趣旨だけになるが、「今年のドクメンタは政治的メッセージが強く、批判も強い」「そうですか。アートは批判もあると思うけど」。しかし、ドクメンタがその出自ゆえ、「政治的」であることは避けられないし、そうあるべきであろう。アートはそもそも政治も含め、現状批判を表現する手段であるから。そういう意味では、ドクメンタを最左翼として、日本で本年さかんに開催された〇〇芸術祭の非政治性にはがっかりさせられる。むしろ、政治的メッセージを発する作家は排除したのではないかとも思えるくらい。日本の芸術祭は最右翼か。

言い過ぎたかもしれないが、ドクメンタの政治性は、芸術が弾圧されたアンチから出発したことを忘れてはならない。なぜ今回のドクメンタが「14」なのか。5年ごとに開催されるドクメンタはナチスの時代から70年を超えた。その戦後、5年ごと開催されたということは14で70年である。これは筆者の勝手な想像で正解ではないかもしれない。しかし、ホロコースト、第2次大戦を実際に経験した世代が亡くなっていく現在、アメリカ・トランプ政権をはじめ排外主義を煽る者たちの伸長は無視できない。ドイツでも簡単に「右翼」と言いきれないかもしれないが、AfD(ドイツのための選択肢)が支持を伸ばしている。そのような差異許容、寛容主義ゆえに存在価値のあるアートからの異議申し立てはむべなるかなとも思える。

ナチスの時代や、ヨーロッパが悲惨に見舞われた時代をいつまでも、しつこく直視する姿勢。それは、どこぞの国が戦争法(安保法制)をとおすため歪曲して持ち出してきた「積極的平和主義」(ヨハン・ガルトゥング博士)の理念からは遠いことは間違いない。ドクメンタに見られるアートの役割もそういうことであるのだろう。(The Parthenon of Books:Marta Minujin)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドイツ中西部の旅 2017ドクメンタを中心に③

2017-09-13 | 美術

ミュンスター彫刻プロジェクトは10年に一度の開催で、今回初めて訪れることができた。ミュンスターの街の中心部にあるノルトライン・ウエストファーレン美術館(LWL)は彫刻プロジェクトの本拠地。会期中は無休、午後8時まで開いていて、プロジェクトを回って疲れたらトイレ休憩などに使えるし、ロッカーも使いやすい便利な立地と施設。しかしLWLは単なる中継地ではない。そのコレクションたるや中世キリスト教美術から近代アートまで途切れない。しかも彫刻プロジェクト開催中は、現代アートのインスタレーションまである。まさにアートの至福である。

プロジェクトは、ミュンスター市街のいくつかの場所に作品がある。街中は歩いて回れるが、市街地の公園などにある作品は、自転車で回るしかない。ミュンスターはだいたい平地の街。レンタルバイスクルがあり、筆者も借りたが、一番低いサドルに合わせたのに足が着くかつかないか。それでも歩いて回るより多くの作品に見えたのはよかったが、本当に作品解説・理解としてよかったのはLWLから歩いて回れる範囲の作品をめぐるガイドツアー。ガイドのカレンさんは英・独・仏・西語ができてイタリア語はまだまだという。ドイツ語は全く不明、英語もおぼつかない身にとっては驚異の人だが、いろいろな参加者のレベルを察してか分かりやすい、聞き取りやすい英語で案内してくれたので助かった。むしろ現代アートは解説なしではよく分からないまま通り過ぎてしまうことが多いので、ガイドは有益だ。

LWLから出発するガイドツアーの最初の作品は、もともと美術館の敷地内にあったヘンリー・ムーアの彫刻がまるでトラックの荷台に乗せられ、いまにも運び出されそうな視覚の錯覚を企図した作品(Tom Burr)。カレンさんは、問う「作者は何を意図していると思うか」と。どんなに重く確固たるものに見えても容易に運び出され、そこの実像ははじめからなかったかのように思われてしまうこと。筆者は「Refugees(難民)」と答えたが、果たして作者の意図に合致していただろうか。いくつかの後に訪れたのは内部が空洞の大きな石柱(Lara Favaretto)。空洞なのが分かるのは、人間の目の高さに細い切れ目があるから。貯金箱?これもギリシアやイタリア、スペインなどEU内で債務超過・経済破たんが現実化、危惧される国に対し、EUや国家のヘルプが果たして、一国を助けることができるのか、いや、一人ひとりの「義援金」ではないか(それもふくめて無意味)とのアイロニーか。

Nairy Baghramianの鉄骨のチューブが3つに切断された作品には、思わず「Christianity world?」との頓珍漢な問いにカレンさんは即座にNo。もちろんキリスト教の三位一体を想起したのだが、筆者の考えすぎというより、そもそも西洋美術がキリスト教由来というずいぶん前の西洋美術理解に縛られていたということか。作品は、隣の場所で6つに切断されていた。かように可変的な固い物体は、実はどのようにも分断的で切断的である。それは変化も分散も許さないかに見えたスチール製の「紐」が実は、柔軟なのである。チューブか紐か?紐帯と言うことばがあるのか分からないが、結ぶものは、はずれ、解かれるもの。印象深い作品だ。

街を挙げての芸術祭は、いろいろ地域を回れて楽しい分、移動が結構大変だ。ミュンスターではレンタルバイスクルも利用したが、それもない場合はおよそすべての作品を回ることは出来ない。都会の芸術祭(次回紹介するドクメンタなど)は公共交通で回れるが、地方ではそうもいかない。たとえば瀬戸内国際芸術祭などは作品が島に点在していて、その島を巡る船も限られている。ミュンスターに3,4日滞在して、彫刻プロジェクトほかふらふらと過ごすのが理想なのだろうが。しかし、何らかの政治的発言も伴うコンセプチュアル・アートたる現代美術は、その意味をじっくりと考え、その作家の発言するその意図に諾か否かの姿勢を自問自答してみるいい機会と言う意味で、長い時間が必要だろう。(Nairy Baghramian)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドイツ中西部の旅 2017ドクメンタを中心に②

2017-09-04 | 美術

ドイツはビール大国であるが、キリンやアサヒのようなナショナルビールはない。すべて地ビールでその土地に根ざした地ビールである。ケルンではケルシュビール。200ccのグラスにピルスナータイプのビールを注いで、空いたら勝手に次のグラスを持ってくる。わんこそば方式なのだ。油断していると延々お代りすることになる。

ケルンの次に訪れたのはヴッパータール。世界で最も古い懸垂式モノレールがある。懸垂式モノレールって?鉄道オタクにしか分からない用語に思えるが、要するにぶら下がり方のモノレールである(ヴッパータール空中鉄道というらしい)。日本では千葉と神奈川にしかないそう。ヴッパータールのモノレールは景色がすこぶる良い。川の上をずっと走るのだ。ぶら下がり型ゆえ、茂る木々も美しい。それで、デュッセルドルフからバスで45分(鉄道駅が改修中で運休中だった。)かかるが、わざわざ行ってみた。ヴッパータールそのものは特に観光客が来そうにもない地方都市。しかしあのピナ・バウシュ舞踊団の本拠地であるというのだから、これも舞踊好きにはたまらない、がそれだけである。

駅前のショッピングモールといい、どこにでもある街。駅からも歩いてすぐのフォン・デア・ハイト美術館は規模はそれほどでもないが、ドイツ表現主義の作品がそろっていた。デュセルドルフに帰るバス乗り場が分からず、美術館の年配の係員は英語が通じず、インフォメーションセンターのお姉さんは、はっきりとは分からないという。列車運休の臨時バスだから仕方ないか。なんとか、探し当ててデュセルドルフまで戻った。

デュセルドルフにはK20州立美術館とK21があるのだが、駅から歩いていけると思い、K21だけ訪れた。ドイツはワイマールの時代まで統一国家がなく、フランスやイギリスのような国立大美術館(ルーブルやナショナル・ギャラリーみたいな)がない。それで州単位の美術館が発展し、これが巨大とは言えないけれど軽んじられない規模なのだ。K21もK20とともに十分な規模なのだが、疲れていて結局K21しか行けなかった。K21は現代アートである。面白かったのが体験型、金属製の巨大なトランポリンのような網。作業着に着替えて大人だけが許される不安定な網に体を委ねると、平衡感覚、腹筋、背筋いずれもない者はすぐに転んであたふた。どうにか立ち上がって進むが、下に落ちないとわかっていてもこれがスリル満点で、予想できない揺れにいい大人たちが歓喜をあげる。結局30分ほどの制限時間では、筋力、柔軟力のない者はいろいろとは歩きまわれなかった(つまり筆者のこと)。それでも十分楽しめたのが、体験型現代アートの妙。体験型というと結構子ども目当てのものも多いが、これは網目の大きさもあり、小さな子どもは参加できないよう。まあ、ドイツ人は大きいから子どもといえども小学生高学年くらいなら参加できるのだろう。

デュッセルドルフには近代までのK20美術館や近代絵画の収集で有名なクンストバラスト美術館もあったが、今回は時間的に訪れることができなかった。とても残念。

デュッセルドルフのビールはケルンと打って変わって、濃いめのアルトビール。これをケルシュのようにじゃんじゃん注がれたらかなわないが、幸い、注文してはじめておかわりを持ってくる。2杯目はヴァイツェンタイプをいただいた。まだ今回の目的ミュンスターにもカッセルにも辿りついていないのに、アートの旅かビールの旅かよく分からなくなってきた。(ヴッパータール「空中鉄道」)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドイツ中西部の旅 2017ドクメンタを中心に①

2017-09-01 | 美術

ケルン大聖堂は、完成まで600年かかった(資金難でおよそ200年の中断がある)。中世ゴシックの大聖堂はいくつか訪れているが、ケルンはすさまじい大きさだ。高さでいえばほかにもより高い大聖堂もあるようだが、その広さがはんぱでない。そして美しい。

大聖堂の要素は美さに尽きる。シャルトル大聖堂が高さでも建延でもなく、600年後の現代の私たちを惹きつけるのは、その美しさ故である。ケルンの美しさは大きさである。中世ゴシックの大聖堂の建築技術は、高さを求める過程で飛躍的に伸びた。高さを支えるため、聖堂の外側に補強の外枠を編み出した(フライングバットレス)。この言わば余計な補強材が美しい。そびえる聖堂に無数の骨組み。それは計算されつくした構造建築の粋を極めながら、まるで骨組み自体が現代の高度な、それでいて最先端のアートシーンになっているかのようだ。工場萌えの様相でさえある。ケルン大聖堂はその規模ゆえ周囲をぐるりと回るにも時間を要する。だから大きさに味があるのだ。

ケルンはドイツ中西部最大の観光地である。ベルギーからの訪問客も多い。しかしケルンは大聖堂だけではない。応用工芸博物館はデザインの歴史が時代を追って見られる。デザインというより工芸、オーナメンツの極致だろう。ドイツ手工芸の歴史をたどれば。その極致・巧緻を見せつけるのが「中世最後の彫刻家」リーメンシュナイダーである。

実は、応用工芸博物館という観光客はほとんど訪れないマイナーな場所にリーメンシュナイダーの作品があることを教えてくださったのは、日本でのリーメンシュナイダー紹介の第一人者である福田緑さんである。福田さんはリーメンシュナイダーの作品紹介の著書をすでに2冊出版されていらっしゃる(『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』2008.12『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』2013.1いずれも丸善プラネット)。著書ではおもに作品個々の紹介に重きをおかれていて、その画像、作品データともこれから訪れる者にとても貴重な情報源となっている。

応用工芸博物館にあるリーメンシュナイダーの「聖母子」は1495年頃の作品とあって、リーメンシュナイダーが比較的若い頃のもので、16世紀、円熟味が増したそれらの峻厳さには及ばない。しかし、リーメンシュナイダー特有の虚ろでいてしっかりした聖母の眼(まなこ)は健在である。「しっかりした」と記したが、リーメンシュナイダー作がすぐにわかるのはある意味、その彫像のまなざしである(と思う)。美術館に着く。中世彫刻の部屋にたどり着く。探す。すぐに分かる。リーメンシュナイダーの彫りは。あああれだと。それはその眼が示しているからだ。

ケルンはドイツ中西部随一の観光地で観光客も多い。駅前には警察車両が詰めていて、アジア系と分かる自分は申し訳ないが、アラブ系の人はしょっちゅう身分証明を求められている。駅前の大聖堂界隈では、警察官に出くわすが、ちょっと歩くとそうでもない。応用工芸博物館を出てコロンバ美術館、ヴァルラーフ・リヒャルツ美術館に向かう。WRは、中世から近代までそろう大きな美術館。印象派のカイユボットの作品が数点もあるのには驚いた。重いのに図録を購入してしまった。ケルン大聖堂の500段の塔に登ったこともあり、かなり疲れていたが、時間が許す限りと大聖堂裏手のルートヴィヒ美術館にもおじゃました。こちらはルイーズやロスコなど抽象表現主義が集まりうれしくなった。ケルンは、リーメンシュナイダーから戦後美術まで堪能できる。(リーメンシュナイダー「聖母子」部分)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする