シリアで内戦状態が始まってもう9年。しかし2020年は新型コロナウイルス禍が世界中を席巻し、もう忘れられたかのようだ。まだ国内外避難民は1000万人を超えるというのに。
「娘は戦場で生まれた」は、主人公ワアドがアレッポで過ごした2011年から2016年までを描く。特に見る者を圧倒するのが、2016年1月に娘サマを授かり、政府軍やロシア軍の攻撃に晒され、孤立無援となったアレッポ最後の病院を明け渡し、アレッポから退避する12月までを映す映像だ。命がいとも簡単に奪われ、さっきまで一緒にいた友人らが倒れていく。病院に運ばれる遺体、血まみれの人、人、人。始終病院を揺らす爆撃。小さな子どもは保育園や学校に通えないが「クラスター爆弾」や「たる爆弾」という言葉は知っている。兄弟を殺され泣きじゃくる子ども、我が子を失った母親は正気ではない。閉鎖されたアレッポに医療は追いつかない。なぜそのような時期、場所で子を産み育てようと思うのか。なぜ、早い段階でアレッポを出ようとはしなかったのか。それはアレッポがシリアにおけるアラブの春の象徴であり、アレッポこそが「私の街」であるからとワアド。
シリア情勢に限らず、諸外国の「内戦」は複雑で理解できないから知ろうとしない。知らないからといって日々の日常生活が影響を受けるわけでもない。筆者も含めて、そう知らずにいることを正当化し続けてきたのではないか。しかしシリアでの諍いは、「アラブの春」の民主化運動が2011年の春にもシリアにおよび、アレッポ市民も平和的な反政府デモを行っていたことに始まる。しかし、シリア政権は市民に銃を向け、市民やその家族を拘束、拷問した。平和的デモを続ける市民とは別に、シリア政権軍から離反した司令官が「自由シリア軍」を作り、武力で政権と対峙するようになる。そして、自己の勢力を拡大したいイスラム原理主義の武装勢力、ヌスラ戦線やイスラム国もシリアに入り込んで「内戦」になってしまったというのが経過らしい。
言うまでもなくイスラム国(IS、ISISまたはISIL)は、ありもしない大量破壊兵器の追及を理由にイラクに侵攻し、フセイン政権を無理やり倒したことで、シーア派が政権を獲り、スンニ派の武装勢力が過激化したのがその誕生の発端で、また、ヌスラ戦線はもともとアルカイーダ系で、アルカイーダはアフガニスタンに侵攻したソ連に対抗するため、アフガン政権軍に対抗する北部武装勢力が過激化したグループだ。いずれもアメリカが作り出した鬼っ子といって差し支えない。しかし、「子」ではない。
さらに、アレッポの市民にはシリア政権に肩入れするロシア(ソ連だ)がイスラム原理主義武装勢力を掃討するという理屈で空爆を繰り返す。空から爆弾を降らせて、武装勢力だけを掃討できるとは誰も思わないだろう。しかし、それが許されるのが現在の国際社会だ。そして国際社社会の説明には、トルコとの関係が、トルコ政権と対峙するクルド勢力が、ロシアに対抗したいアメリカがクルド勢力に肩入れをと、どんどん「知らない」で済む要素が増えていってしまう。複雑だからと知らないままでいるのは無責任だろう。それはフォトジャーナリストの安田菜津紀さんが、戦地で誘拐された記者や旅行者らに「自己責任」というレッテルを貼り攻撃する日本の心性に危惧を抱き、「知る責任」に向き合うべきと訴える視点に繋がる。
なんとかアレッポを脱出したワアドは、医者で夫のハムザ、逃避行中にお腹にいた子、そしてサマと現在イギリスで暮らす。「娘は戦場で生まれた」は分かりやすい邦題だが、原作は「For Sama」。ワアドの撮影と語りは全てサマのためだったのである。