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kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

DIC川村記念美術館とお別れは本当に悲しい ー 首都圏美術館訪問記 ー

2025-03-19 | 美術

2025年の3月末で千葉県佐倉市のDIC川村記念美術館が休館するので、足を伸ばしてきた。京成佐倉からバスに揺られ、あの素敵な空間へ。休館というが、この地で見えることができるのはこれが最後。実質閉館と言っていい。であるからかたくさんの人出だ。

人の波を抜けてロスコ・ルームに至る。静謐な空間とはこの部屋のためにある表現である。ロスコの作品を前にすると自身が吸い込まれていくような感覚になる。赤茶けた四角の画面が7点からなる〈シーグラム壁画〉は、世界で3カ所かしか臨めないという。7点の「赤茶けた」は同じではない。そこにリズムもある。さらに吸い込まれるのは自分の時間もだ。一体、このペインティングにしか見えない画面になぜそのような力があるのか。ロスコは作品展示の仕方にとてもこだわり、いったん契約したこれらを飾る予定であったレストランとの契約を解除した。空間そのものを手に入れたいとしたロスコらしい。今、その眼福に与れるのは至福の極みだ。2階にはフランク・ステラが贅沢な距離で観る者を囲み、順路の最後に位置するホールは昔モーリス・ルイスの1点のみがあった。今回は、残念ながら展示されていなかったが、窓の外に広がる木々はマグリットの絵のようだ。この空間に二度と身を置けないのかと思うと自然に涙が出てくる。さようなら、川村美術館。

都内に出て、東京国立近代美術館へ。企画展はスウェーデンが生んだ抽象絵画の先駆者ヒルマ・アフ・クリント。若い頃にキリスト教神秘主義に触れ、以後キリスト教の世界とスピリチュアルを混合、融合した作品を編み出した。20世紀抽象芸術を代表するカンディンスキーやモンドリアンも一時神智主義に傾倒していた。クリントの図案もカンディンスキーを彷彿させると見ていたら、クリントの時代が先である。彼らより「先駆けた」意味が納得できた。

東京近美はコレクションが素晴らしい。今期(2025.2.11-6.15)でも、美術書で会ったことのある名品が居並ぶ。いや、美術史を学ぶために必須のラインアップと言えるだろう。美術史や作者・作品の背景を知るだけなら、書籍やネットに頼ればよい。しかし、美術館に来る意味は、知識として得ていたものが実作と相対することによって、言うならば理論と実際が合体する、できるということである。そして、これら作品群に触れることにより、美術史が腑に落ちる。それは、日本と海外の作品が綿密に考えられた上に配置され、その連関性が推し測ることができるからだ。開国、明治以降怒涛のように持たらされた西洋文化(美術)は、それを受容、模倣するのに躍起だった時代①を経て、明治中期には東京美術学校油画科の設立など、自前の洋画を確立②、20世紀に入ると留学する者も増え、また西洋の前衛にどんどん触れた③。大正期には、日本自らで前衛を模索、構築する。同時に日本的な西洋画を追求する者も出た④。しかし、昭和期には自由な表現活動はどんどん圧殺され、やがて実績、腕のある画家ほど「彩管報国」に加担し、従軍画家も数多く出た⑤。そして戦後。占領期、アメリカ一辺倒の時代、さらにヨーロッパの息吹を得て、独自の前衛を生み出していった。そして現在に至る。展示に沿って言えば、①は浅井忠《山村風景》(1887)、②は原田直次郎《騎龍観音》(1890)、③は恩地孝四郎《抒情『あかるい時』》(1915)、④は飯田操《風景》(1935)や靉光《眼のある風景》(1938)、⑤は藤田嗣治《血戦ガダルカナル》(1944)などにその一端を見ることができるだろう。これらを補強する時代時代の西洋の作家、エルンストやロベール・ドローネー、ジャン・アルプなども展覧される。

東京近美のコレクションは美術史のコレクションである。

アーティゾン美術館の「ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ」展を帰阪前に見た。アルプといえば多分ジャンだけが想起されてきたように、妻ゾフィー・トイバーの名は置き去りにされてきた。確かにゾフィーは1943年不幸な事故で早逝したため、その画業に注目されてこなかったのは事実であろう。しかし、ゾフィーはジャンの付属物でも、その芸術的功績はジャンの模倣やトレースでもない。ジャンと出会う以前からスイスで自己の地歩を固めていたゾフィーは、早くから構成主義的デザインに才をなし、その発想はマレーヴィチなどより早くに実現していた。それは絵画にとどまらず、建築やポスターデザインなど驚くほど多岐にわたる。リンダ・ノックリンの『なぜ偉大な女性芸術家はいなかったのか?』を引くまでもなく、芸術家イコール男性というウルトラ・ジェンダー・バイアスの元に女性芸術家に光が当てられず、言及もなかった。それが変わりつつある。

首都圏への遠出は色々負担も多い。しかし、川村美術館、東京近美に行って本当に良かった。川村美術館は、六本木に国際文化会館の別館として再出発するという。だが、コレクションの4分の3は売却する。

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痛い、苦しい、でも直視すべき子どもの世界  Playground/校庭

2025-03-18 | 映画

2024年の日本の小中高生の自殺は527人で過去最多という。子どもの数がどんどん減っていて、全体の自殺者は減っているのにこの数値だ。G7の中で10〜19歳の死因で自殺が1位なのも日本のみだという。自殺の原因は「学校関係」とあり、当然いじめが想定される。1994年に起きた愛知県西尾市の中学生自殺事件は、同級生からによる壮絶な暴力と恐喝が原因であったことが、少年の遺書から判明している。苦しくなる。

小学校に入学したばかりの7歳のノラ。友だちもできず、3つ上の兄が頼りだ。でも、お弁当の時間は勝手に移動して兄アベルの元に行ってはいけないし、その兄がトイレの便器に突っ込まれるなどいじめられているのを目撃してしまう。アベルに誰にも言うなと口止めされるが、お父さんに伝えてしまう。するとアベルの予想通りにいじめはひどくなるのだ。友だちもできつつあり、今度は見て見ぬふりをして、過ごそうとするノラ。一応、いじめる側の保護者と和解し、アベルへのいじめは止んだが。今度は、アベルが体格のより小さな子をいじめている現場に出くわす。ノラのとった行動は。

目線と視界がすばらしい。カメラはノラの目の高さだ。そして、被写界深度の浅い視界で、すぐ近くにしか焦点が合っていない。そう、子どもの視界は大人よりずっと狭いのだ。それは子どもの社会自体が狭いことの現れだ。そう、子ども、ノラにとっては「校庭」が世界のすべてなのだ。しかし、社会が狭いことと、意識や思索の範囲、可能性といった大人にとっては当たり前の抽象的観念が狭いことと同一ではない。それを論理的、説得的に表現する語彙、伝え方を持たないだけで、表せない、的確に訴えられないことも考えていないことと同義ではない。

これほどまでに子どもの視点に立った演出、カメラワークに驚嘆する。余計なBGMもない。子どもをめぐる問題は、大人が介入して解決しようとするが、そもそも大人は気づいていない。それが痛いほどよく分かる。そしてまだ小さく、非力なノラに何ができるのか。何をしなくてはならないのか。もどかしいが、子どもをめぐる真実でもある。この痛みを誰に、どのようにして、なぜ伝えればいいのか。伝えれば、自分もアベルも楽になるのだろうか。見ていてとても、とても痛い。

愛知県西尾市の事件当時より現在では不登校という選択はしやすくなった(ただし、同事件ではいじめる同級生が被害者を毎朝家まで迎えに来ていたという。)。だから大人は、社会は、学に行けないなら行かなくていいよとのコースを提示はする。しかし、基本的に学校は行くものと大人も子どももその規範を内面化していて、不登校の子どももその状態ゆえに自分を責め、時に自ら命を断つ子もいる。不登校が必ずしも安心できるアジールにはならないのだ。

舞台のベルギーでは、学校には肌の色の違いなどいろいろな子もいるようだ。だが、いじめの背景は人種や障がいなどを理由にする差別と原因がはっきりするものばかりでない。むしろ、人種や障がいなどによる差別は大人社会の反映であって、子どもの間に起こるのは体格の違いや、「いじめやすい」からといった、まさに「視界の狭い」理由によるものも多いだろう。こう書く私自身、子どもの頃、体が小さく、気が弱く泣き虫で「男らしくない」ことでよくいじめられた。苦しかった。

カメラワークといい、進行、アンチエンディングの手法は、ベルギー映画で子どもの世界を描いたら随一のダルデンヌ兄弟の作風と酷似している。脚本も書いた新鋭のローラ・ワンデル監督はダルデンヌ兄弟から多くのことを学んだと語っている。納得した。(Playground/校庭(英題) 2021ベルギー映画)

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建築はブルータルに、そのほかはそうではなく。アメリカの夢 ー ブルータリスト

2025-03-06 | 映画

「美は細部に宿る」としたのは、バウハウスの最後の校長で渡米後、近代建築の3巨匠とまで言われたミース・ファン・デル・ローエである。デザインにおいて近代合理主義精神を体現したバウハウスの教員、学んだ者らがナチス政権下で追われ、アメリカなどに逃れた例は多い。ローエのほか、本作のモデルの一要素となったであろうモホリ=ナジ・ラースローはバウハウスで写真や舞台芸術など幅広い分野で教鞭をとった。ハンガリー出身のモホリ=ナジは、ナチスが政権を取った際オランダに逃れたが、やがてアメリカに亡命している。

「ブルータリスト」の主人公ラースロー・トートは架空の人物であるが、デッサウのバウハウスに学び、収容所に囚われたが生き延び、戦後なんとかアメリカに渡ることができる。愛する妻エルジェベートと姪ジョーフィアを残して。二人の生死は定かでなかったが、やがて富豪のハリソン・ヴァン・ビューレンに見出され、大きな礼拝堂建築を任される。そして二人をアメリカに呼び寄せることもできた。酒とドラッグに頼りながらも仕事をこなすが、戦時中の栄養不足で車椅子生活となったエルジェベートとの関係もギクシャクし、ハリソンとも対立する。トートはアメリカでの成功物語の主役となれたであろうか。

215分、間に休憩が入る長尺の大作でトートを演じたエイドリアン・ブロディは二度目のオスカーを獲得した。迫害されたユダヤ人ら移民がアメリカンドリームを成し遂げる直裁的な作品に見えるが、同時にユダヤ人差別もあり、さらにはハリソン自身が名前からオランダ系と思われる。成功した者とそうでない者の陰翳、決して多くはない登場人物の格差が微妙に描かれ、20世紀のアメリカを象徴する物語となっている。トートと長い付き合いがある友人は黒人のシングルファザー、渡米後すぐのトートの面倒をみたいとこはユダヤ人だがプロテスタントに改宗している。生き抜くために、いや、生き抜かなければならないために皆「アメリカ」に適応しようともがく様がリアルに響く物語、歴史大作なのである。

ところで「ブルータリスト」は日本語にはなかなか訳しくい。英語のbrutalは荒々しい、粗野などの意味であるが、ブルータリズム、ブルータリストは50〜70年代のアメリカ、そして日本や世界に広まったコンクリート打ちっぱなしの建築様式を指す。現在第一線で活躍する安藤忠雄の建築を想起すればいいかもしれない。もちろん、安藤は流行からだいぶ後の時代なのでより洗練されていると評さる。あの装飾性を拒否するかのようなブルータルな出立は、50年代の美術動向であるミニマリズムや、60年代の日本の「もの派」の流れが建築の世界でも実践されていたのだ。

建築に限らず流行には当然栄枯盛衰があるが、ブルータリスト(リズム)は、コンクリートに装飾を施さない分、普遍的とも言える。しかし、装飾に頼らないということは建物そのものだけが勝負ということだ。建ち上がった際、人工的な光源に頼らない灯りの取り込み、その自然光の入り方など設計段階の準備はその点について、より複雑、緻密になる。それを成し遂げた感動は大きいに違いない。安藤忠雄の光の教会などの人気を見ればそれがよく分かるだろう。

教会建築の最高峰と言われるゴシックの大聖堂は全て西向きで、聖堂の最奥部にして最重要部の祭壇のあるアプスに東から陽光が指す構造となっている。ユダヤ教徒であったトートは未知のキリスト教会の構造、建築に格闘した。コンクリートの隙間から光がさし、祭壇にクロスを映し出す。彼のデザインは宗教的神秘さとともにアメリカの成功をも映し出したのかもしれない。(ブルータリスト。2024/アメリカ、イギリス、ハンガリー)

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パレスチナ人とユダヤ人の「友情」で描いたドキュメンタリーの傑作 「ノー・アザー・ランド」

2025-03-04 | 映画

ちょうどジェニン難民キャンプで支援活動を続ける写真家の高橋美香さんからの窮状を訴える声に呼応して、友人が日本でカンパ活動を始めた。筆者も高橋さんの報告を読むなどして僅かばかりの支援をした。パレスチナ・ガザや西岸の状況に陰鬱な思いを抱えていたし、私たちの支援金ほどではどれくらい現地の改善につながるのか心許ないが、自己満足も含めてのことだ。

イスラエルによるガザ攻撃の説明記事では、よくパレスチナ自治区の(支配)地域が映し出される。南西のガザ地区と北東のヨルダン川西岸地区である。しかし、この地図の示し方は誤解を招くと本作のパンフレットに寄稿する高橋和夫放送大学名誉教授は指摘する。イスラエルにより80〜90%も破壊されたというガザ地区で、地元住民が確保できる区域は地図よりとてつもなく小さい、狭いのは明らかだが、西岸はそれよりかなり広く、十分に居住地域が保障されているではないかと見てしまいがちだからだ。しかし、高橋教授は西岸地区で、パレスチナ人が行政も治安維持も担っているのは半分ほどである事実をイスラエル側による入植地を示すことによって明らかにする。本当に虫喰い状態で、パレスチナ人が互いに行き来することを困難にするよう企図しているからだ。

「入植」とは実は字面ほど穏やかな実態ではない。バーセル・アドラーは西岸のマサーフェル・ヤッタ出身のパレスチナ人ジャーナリスト、活動家。ユヴァル・アブラハームはイスラエル出身の調査ジャーナリストである。この2人に加え4人組で本作の監督・制作・編集をこなす。画面に登場するのはほとんどがアドラーとアブラハームで、目の前でアドラーの故郷がどんどんイスラエル軍の重機で押し潰されていく。住民を銃で追い立て、時に抵抗する者を撃つ。軍と一体化した入植者は違法建築で裁判所の執行命令もあるとする。しかし、そもそもパレスチナ人の土地に暴力的に「入植」し、治安維持を名目にパレスチナ人を追い出しているのはイスラエルの方なのだ。これは、紛れもない侵略・占領と侵略者による「平定」である。しかし、住む場所を破壊された一家は洞窟に一時避難するが、「一時」ではないのが明らかだ。そして、イスラエル軍が破壊するのは住居にとどまらない、学校も公共の建物も。

パレスチナの苦境を描く映画はさまざまに制作されてきた。移動を妨げる「分離壁」をめぐる苦難と友との葛藤、そして命を賭した反抗を描く「オマールの壁」https://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/a8a94075cb3d609f57aa59cc991273d8)など優れた作品も多い。しかしそれらは劇映画で、本作がドキュメンタリーであることの意味は大きい。ブルドーザーがついさっきまでパレスチナ人が住んでいた建物を押し潰し、撃たれる。全て生身の映像なのだ。カメラを向けるアブラハームらを軍が銃で威嚇し、追い払おうとする。逃げ惑い、揺れる映像もそのままだ。映されたくない、広められたくない悪行を自白しているようなものだ。ところが、入植者=イスラエルの狙いは確実に奏功している。故郷に戻ることを諦め、都市に出ていくマサーフェル・ヤッタ住民も少ないからだ。しかし、だからこそ、アドラーらは撮り続ける。

本作は2024年度のアカデミー賞ドキュメンタリー部門で作品賞を受賞した。ベルリン国際映画祭に続く快挙ではある。パレスチナに対するイスラエルの暴虐を絶対認めないドイツとアメリカでの受賞。現地で映像で、抵抗は続き、また支援を止めるわけにはいかない。(「ノー・アザー・ランド 故郷は他にない」2024ノルウェー・パレスチナ)

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