アンゼルム・キーファーは、ナチス式の敬礼を自らなし、あちこちで撮った作品に批判が上がったという。表現方法自体がドイツでは禁止されているからだ。
実はこの「ナチス式敬礼」については筆者自身とても苦い思い出がある。中学生の時野球部に入っていた。県大会の市の開会式だったか、行進する際に誰かが、「指揮台の前を通る時、みんなで右手をあげたらカッコいいんやん」と言い出し、それに従ってしまったのだ。もちろん誰もそれがナチス式敬礼だとは知らなかったのだろう。引率の教員も。日本だから許されたようなものだが、「知らない」ことは罪ではないのか。
「知らない」ことと「知っている」のに触れないこととは違う。それがナチスドイツの蛮行を経験した戦後ドイツの姿だった。それをあからさまにしたのがキーファー。ナチスの首謀者は処刑などで罰せられた。国際手配されている者もいるが、もうその復活を企図する者はいないし、ドイツ国民もあの時代を悔いている。ナチスに加担した下々全てを罰するのは現実的ではないし、それでは国が復興することの妨げにもなる。だから、記憶を喚起する、見たくないものを再び芸術表現だからといって顕にすることに対する拒否感は大きかった。
しかし1945年生まれ、ナチスの時代を経験していないキーファーに遠慮はなかった。と言うべきか、隠されたものが隠されたままで良いのかを問いたかったのだろう。ナチス式敬礼だけではない、キーファーが取り上げたナチス時代の表象は、アウシュヴィッツ・ビルケナウの絶滅収容所への途を想起させる線路、雪原に無数に並ぶ名もなき墓標、さらには肉体のないのに膨らみのある白い衣服。そこには記憶と記録を呼び起こす仕掛けがある。キーファーが美術作品を発表し出した60年代はまだナチス時代を生きた世代が中心。そこに忘れたふり、なかったふりでいいのかと突きつけたのだ。
だが、おそらくクリスチャン・ボルタンスキー(※)のようにユダヤ人の出自ではないキーファーにとって戦争は、被害者の視線ではない。加害者の視点とともに傍観者の視点をも許されなかったのではないか。だからあえて物議を醸す表現を選択したのだ。
ドイツにいた頃から、大作を手がけるキーファーであったが、より広い制作環境、もうそれはアトリエというより巨大な工場と倉庫である、を求めてフランスの地方に拠点を移してますます巨大化していく。そして扱う画材!も金属やシダ類、それを燃やしたり、焦がしたり。しかし出来上がった画面は意外と重くには見えない。一昔前の絵画を評する際に使用する用語、マチエールの巧みさということになるのだろうか。スチールといった本来人工的・無機質な材料は、芸術家にとってミニマルアートやランドアートの時代、歴史とは無縁に表現を拡張するためのマテリアル(マチエールである)の一種で済んでいた。しかし、そういった無機質なオブジェクトに歴史を封入する試みは、見る者にその連関性を深く想像させる効果を持つ。もちろんハナから現代アート・マテリアルを強調した作品に興味を持てない人にとってはそうでもないだろう。しかし、先ごろ日本で個展が開催されたゲルハルト・リヒターが絶滅収容所での隠し撮りに拘ったように、何らかの歴史上の蹉跌に向き合おうとするドイツ出身の芸術家はある意味、作り出す表象の向こう側にその総括しきれない困難を込めようとしていることを考えても良いかもしれない。
映画は、終始かすかに聞こえる囁きや、ある意味壮麗な音楽に包まれている。キーファーは、ギリシアをはじめとするヨーロッパでのキリスト教以前の価値観、神話も題材にするという。人類が文明を持って、たかだか数千年。纏いきれない囁きはずっと流れていたのに気づかなっただけだ。(ヴィム・ベンダース監督「アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家」2023 ドイツ 公開中)※参考「圧倒的な生の不存在 クリスチャン・ボルタンスキー展」 https://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/62a13d12d634f777521410f82a0488c2