kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

メディアよ,お前は戦っているのかと問われるのは私たち 「さよならテレビ」

2020-01-30 | 映画

実はニュースはNHKを一番よく見ていると思うが、安倍首相や菅官房長官、トランプ大統領が映ると素早くチャンネルを変えるのであんまり見ていないかもしれない。NHK地上波のニュースや解説番組で安倍首相の動向や安倍政権の狙い(なんてあるのか)で解説員として頻繁に登場するのが岩田明子記者。ひどい。もう官邸の広報担当である。岩田記者はウィキペディアでは「ジャーナリスト」とされているが、政権の広報しているのならそれは第4の権力を担うジャーナリストではない。(ちなみにウィキペディアでは「NHK記者」としての岩田記者という扱いで、安倍政権の政策などについて批判を行ったとの記述があるが、岩田記者が様々になした安倍政権ヨイショ報道(発言)についての記述はない。)

名張毒ぶどう酒事件や死刑弁護を引き受ける安田好弘弁護士などを取り上げてきた阿武野勝彦プロデュースにかかる「さよならテレビ」は東海テレビで放映された後、テレビ業界人に海賊版まで流布したという問題作である。その映画版が全国上映された。

若い世代はテレビをあまり見ないというし、テレビ自体を持たないともいう。テレビは「マスゴミ」の代表格とも思われ、バラエティ番組で刹那の消費だけが役割との冷めた評価もある。しかし、若い人ではない私たちの世代はやはりテレビに頼ってしまうし、速報性、同時性ではまだまだネットに劣っているということはないだろう。だからこそテレビは生き残るために切磋琢磨しないといけないのに現状は?まず現状を、報道の現場をありのまま映し出すのが「さよならテレビ」であって、少なくとも阿武野には「さよなら」の危機感がある。台本もなく、いくつかの約束事を決めて、カメラはまわり出す。視聴率の話ばかりして、報道の中身や質には触れない部長、「撮るな!」と怒るデスク、増員をとの現場の声に押されて採用したのは明らかに経験もスキルも足りない若い派遣社員。ジャーナリズムの使命に燃える正義派のベテランは契約社員。先の部長は、残業減らせという局長のお達しに「数字は上げろ、というのとどう両立するのだ」との現場の反発に「サラリーマンですから」と逃げるばかり。派遣社員の渡邉は案の定1年で首切りに。しかし部長は「卒業」と持ち上げ、契約社員の澤村は「卒業という綺麗な言葉ですり替えて」と怒りを露わにする。カメラはこの不安定雇用2人とメインニュースキャスターの福島の3人を主に捉える。編集のミスに無関係の福島は視聴者に謝罪しないといけないし、渡邊をロクな研鑽も施さずに現場取材に行かせてミスを引き起こす。「共謀罪」の問題点を追及していた澤村には、キー局(フジサンケイ系)が「テロ等準備罪」に統一しているからと書き換えさせられる。報道は戦っているのか、メディアは何をなすべきか、を熱血漢の澤村だけが問うが、どこかよそよしい正社員の部員たち。そして遊軍で仲間の懐に入ってカメラを据えることができた監督の圡方宏史も「(大手マスコミの正社員は)給料が高すぎるんだよ」という澤村の指摘に「(300万では)きついですね」と本音を漏らす。

さて、業界人が取り合うように見た「さよなら」は報道の現場、マスコミの現場に興味のない一般の人にはどう映るだろうか。もともと「さよなら」しているから重視しないかもしれないが、おそらくこれは「テレビ」だけの問題ではない。菅官房長官の天敵、東京新聞の望月衣塑子記者が官邸記者クラブの「前例」「習わし」にそぐわないからと、追い出さないまでもそれこそメディアスクラムで無視を決め込んだのは新聞をはじめとした「大手マスコミ」ではなかったか。しかし「モリカケ」も「桜」も追及が甘いとメディアを攻め立てて、長期政権の理由をマスコミのせいだけにしている、視聴者・読者の私たちの姿が背景にあることには自覚的ではない。

『メディア,お前は戦っているのか』(神保太郎 岩波書店)は私たちにも戦っているのか、と問われているのである。

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「大逆事件」は終わらない、終わらせない  『一粒の麦 死して 弁護士・森長英三郎の「大逆事件」』

2020-01-15 | 書籍

田中伸尚さんは大逆事件関係の著書をすでに3冊上梓されていて、4冊目にあたる。3冊は事件で検挙され、刑死した菅野須賀子や収監中病死した峯尾節堂、出獄し戦後再審請求をたたかった坂本清馬ら、事件の被害者の評伝であったが、「森長英三郎は、「大逆事件」の過去、現在、そしてこれからを語るに欠かせない人」であって、「捉えるには難き人」であった(あとがき)ので連載(「大逆事件 一○○年の道ゆき」『世界』(2009.1〜2010.3。その後『大逆事件 死と生の群像』(岩波書店 2010.5)にて加筆修正の上出版)では掘り進められなかったのでようやく事件の再審担当弁護士である森長を本格的に取り上げたものとなった。
1906(明治39)年生まれの森長は、故郷徳島県山間部での農家経験の後1935(昭和10)年に高等試験司法科試験に合格し、弁護士登録をしている。戦時体制でますます苛烈となる人権抑圧下、現在でいう人権派弁護士の筆頭であった布施辰治や鈴木義男の事務所にも入らず(鈴木には断られ、布施には「即独」を促される。)、開業する。「大きな圧迫の波が、自由主義とともに弁護士の上に漸次迫りつつある。」。治安維持法に引っかからないように慎重に言葉を選びながら、戦時下という最大の人権状況の危機を訴えた森長の言葉である。労農派・日本無産党弾圧事件や宮本顕治の弁護を引き受ける。
戦後、労働運動関係の弁護士として有名になる森長だが、その「自由」と「抵抗」の理念を顕現したのは「大逆事件」の再審に関わったことではなかったか。関わった、と安易に記したが、大逆事件被害者や遺族、そして、それらの「道ゆき」とともに生きた、と言うべきであろう。再審で負けても40年、その名誉回復の意義を訴え続けた。労働事件を中心にこなしていた弁護士稼業は豊かであるはずがない。しかし、その中にあって、被害者と遺族、その関係者などと連絡を密にし、同行者を増やしていく。そしてますます事件被害者の実像に惹かれていく様は、田中さん独特の抑えた筆致にも関わらず、引き込まれ、同時代を体験できるかのような錯覚にとらわれる。
「大逆事件」で辛酸を舐めた遺族、親族などを周り、支援していた堺利彦が一縷の光、であったとすれば、戦後その役割を、担ったのは森長だったかもしれない。いや、正確にいうと、例えば事件で21年獄につながれ、敗戦の直後に病死した小松丑松の妻はるが、遺族であることを伏し、京都の教会で働いていた件。はるの身上を知った上で面倒を見ていた洛西教会の田村貞一牧師。あるいは過去に一切蓋をしたはるに重い口を開かせたのが、森長が見込んだ大野みち代。事件で6名の被害者を出した和歌山、新宮の実地調査に奔走した伊串英治、中原清ら。はるら事件被害者を直接援けた人と、森長の探求にずっと寄り添った人と。事件そのものは26名の起訴、24名の死刑判決、12名の死刑執行という未曾有の権力犯罪で、被害者以外にもたくさん人生を突如暗転させられた人がいた。曹洞宗僧侶で刑死した内山愚童が名誉回復されたのが1993年。真宗大谷派の僧で死刑減刑後、秋田監獄で縊死した高木顕明が僧籍復帰と名誉回復されたのは1996年。新宮の医者だった大石誠之助(刑死)が「名誉市民」として復権したのが2018年。しかし、それら名誉回復がされるはるか以前から、被害者の雪冤に生涯をかけていた森長は、激する人でも、周りの人がパワーに気押されるような人でもなく、実務をこなし、時に諧謔(大石が情歌を好んでいたことを追求もしていた)に溢れた人であった。その人物像は、筆者は直接お話ししたことはないが、その凄さを田中さんの『反忠』で詳しく知ることとなった箕面忠魂碑違憲訴訟(忠魂碑とはムラの靖国。大阪府箕面市が碑を公費移設したことに対し政教分離原則に反するなどと住民訴訟を提起。大阪地裁で違憲判決。)の原告神坂哲(さとし)さんを彷彿させる。田中さんは理を尽くして、情を失わない、諦めない神坂さんや森長英三郎こそ、丹念に取り上げたい、いや「道ゆき」したかったに違いない。本書で紹介される金子武嗣弁護士が大逆事件の再審を準備しているという。「天皇の裁判官」から脱するために、権力犯罪と司法の解放は終わらない。(2019年 岩波書店刊)

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