DENONと書かれた入口を抜けるとき、得も言われぬ満足感にひたる。これは、今回の旅行記「2014北フランスの旅3」で記した、ルーブルならではの満足感である。今回ルーブルでまわるところを決めていた。ルーブルにはドゥノンのほか、リシュリューとシュリーの3翼あるが、やはりお目当てはドゥノンである。ナポレオンの時代に館長(美術担当相)であったドゥノンの名を冠したこのセクションはル-ブルの中でもっとも広く、モナ・リザ(後述)をはじめ、ミロのヴィーナスなど人気作品が目白押しである。
しかし筆者のお目当てはモナ・リザでもミロのヴィーナスでもない。ちなみにルーブルのモナ・リザに見えたのは数年ぶりであるが、観覧者向けの表示に「デル・ジョコンド(モナ・リザ)」となっていた。これは、ルーブルが長年論争になっていたモナ・リザのモデルをリザ・デル・ジョコンドと認定したからにほかならない。近年の研究でジョコンド説が確定的とされたためだと思うが、モナ・リザのモデルが誰であったかはルーブルの広大、莫大な展示・収集の中ではほんの一部をなすにすぎない。そして、モナ・リザと同室の反対側の壁にヴェロネーゼの「カナの婚礼」があり、モナ・リザの100何十倍?の大きさだが、こちらに見入る人は少ない。しかし、こちらの迫力も半端ではない。そして、この部屋に至るイタリア絵画の部屋がルネサンス前からはじまり、バロック期まで続き、きりがないのだ。
今回は、古代、中世のキリスト教美術もあるドゥノンを中心に回り、近代彫刻を贅沢に配したマルリーの中庭だけは見ておこうと、リシュリュー翼だけは訪れ、ルーブルをあとにした。
前回パリに来た際に行かなかったオルセーはルーブルからも歩ける。以前は撮影可だったが全面的に不可になっていた。フラッシュ禁止のサインを無視してバチバチと写す人も多かったので、美術館側がたまりかねて全面禁止したのかもしれない。また展示方法が大きく変わっていた。以前はモネの部屋、ルノワールの部屋と画家ごとに小さな部屋がいくつも区切られていたが、2階の広い空間に印象派前後の作品が作家、時代ごとに並べられており、まるでルーブル・ランスの展示方法の印象派版といった趣である。これはこれでよい。狭い部屋の人気作品になかなかたどり着けない以前と比べて、解放感が随分違う。印象派はもともと大きな作品は少ないので、マネのバルコニーやオランピアなど象徴的な作品にはじまり、モネ、ルノワール、ドガの彫刻、ピサロ、シスレー、そしてシニャックの新印象主義との配置は分かりやすいだろう。そして、ゴッホとゴーギャン、ドニなどのナビ派は別室が設えてある。ちょうど近代彫刻の雄ジャン=バティスト・カルポーの企画展が開催されており、うれしい限りだ。ロダンより少し前に活躍したカルポーだが、神話を題材にした作品が多く、理解に困難をきたすが(説明のフランス語は分からんし)、その躍動感はすばらしい。2階から見下ろせる1階フロアの眺望は相変わらずで、元駅舎の空間が楽しめる。
がんばって、夜遅くまで開館しているポンピドゥーセンターも訪れることにした。例のごとくフロア1は企画展、フロア2は常設展。いくつかの企画展が同時並催されており、現代美術の楽しさを満喫できる。それというのも広さが十分なこと、企画のコンセプトが野心的で斬新なことから生み出される余裕みたいなものを感じることができるからだ。日本の美術館ではなかなかこうはいかないのではないか。空間の制約も予算規模も違い、そもそも文化に対する考え方が違う。フランスには国立の美術館は数多ある。パリ市内だけでも10館以上あるのではないか。日本は国立美術館が東京に3館、東京を除く全国で2館、博物館も4館にすぎない。
中世の町ストラスブールやメス、地方に開館した新しい美術館、そしてパリで締め、フランスでの美術三昧は再訪の日を望んで今回はこれで終わりである。(レイモン・デュシャン・ヴィヨン「馬」シリーズ ポンピドゥーセンター)
しかし筆者のお目当てはモナ・リザでもミロのヴィーナスでもない。ちなみにルーブルのモナ・リザに見えたのは数年ぶりであるが、観覧者向けの表示に「デル・ジョコンド(モナ・リザ)」となっていた。これは、ルーブルが長年論争になっていたモナ・リザのモデルをリザ・デル・ジョコンドと認定したからにほかならない。近年の研究でジョコンド説が確定的とされたためだと思うが、モナ・リザのモデルが誰であったかはルーブルの広大、莫大な展示・収集の中ではほんの一部をなすにすぎない。そして、モナ・リザと同室の反対側の壁にヴェロネーゼの「カナの婚礼」があり、モナ・リザの100何十倍?の大きさだが、こちらに見入る人は少ない。しかし、こちらの迫力も半端ではない。そして、この部屋に至るイタリア絵画の部屋がルネサンス前からはじまり、バロック期まで続き、きりがないのだ。
今回は、古代、中世のキリスト教美術もあるドゥノンを中心に回り、近代彫刻を贅沢に配したマルリーの中庭だけは見ておこうと、リシュリュー翼だけは訪れ、ルーブルをあとにした。
前回パリに来た際に行かなかったオルセーはルーブルからも歩ける。以前は撮影可だったが全面的に不可になっていた。フラッシュ禁止のサインを無視してバチバチと写す人も多かったので、美術館側がたまりかねて全面禁止したのかもしれない。また展示方法が大きく変わっていた。以前はモネの部屋、ルノワールの部屋と画家ごとに小さな部屋がいくつも区切られていたが、2階の広い空間に印象派前後の作品が作家、時代ごとに並べられており、まるでルーブル・ランスの展示方法の印象派版といった趣である。これはこれでよい。狭い部屋の人気作品になかなかたどり着けない以前と比べて、解放感が随分違う。印象派はもともと大きな作品は少ないので、マネのバルコニーやオランピアなど象徴的な作品にはじまり、モネ、ルノワール、ドガの彫刻、ピサロ、シスレー、そしてシニャックの新印象主義との配置は分かりやすいだろう。そして、ゴッホとゴーギャン、ドニなどのナビ派は別室が設えてある。ちょうど近代彫刻の雄ジャン=バティスト・カルポーの企画展が開催されており、うれしい限りだ。ロダンより少し前に活躍したカルポーだが、神話を題材にした作品が多く、理解に困難をきたすが(説明のフランス語は分からんし)、その躍動感はすばらしい。2階から見下ろせる1階フロアの眺望は相変わらずで、元駅舎の空間が楽しめる。
がんばって、夜遅くまで開館しているポンピドゥーセンターも訪れることにした。例のごとくフロア1は企画展、フロア2は常設展。いくつかの企画展が同時並催されており、現代美術の楽しさを満喫できる。それというのも広さが十分なこと、企画のコンセプトが野心的で斬新なことから生み出される余裕みたいなものを感じることができるからだ。日本の美術館ではなかなかこうはいかないのではないか。空間の制約も予算規模も違い、そもそも文化に対する考え方が違う。フランスには国立の美術館は数多ある。パリ市内だけでも10館以上あるのではないか。日本は国立美術館が東京に3館、東京を除く全国で2館、博物館も4館にすぎない。
中世の町ストラスブールやメス、地方に開館した新しい美術館、そしてパリで締め、フランスでの美術三昧は再訪の日を望んで今回はこれで終わりである。(レイモン・デュシャン・ヴィヨン「馬」シリーズ ポンピドゥーセンター)