バロック絵画の先駆者カラヴァッジョは、放蕩な生活のあげくのはて、殺人を犯し、逃げ回った先でも迫力ある作品を残したことはよく知られている。時には自ら傷つけることも。美を生み出す者とは常に狂気と裏腹、あるいは紙一重であるというのは古くから言い習わされたことであるが、その美にはカラヴァッジョのような絵画はもちろんのこと、芸術の世界全般に通じることかもしれない。
白鳥の湖はクラシック・バレエの定番中の定番、最高峰。振付師、踊り子の創造力をかきたてる演目は、本来の4幕版から短いものは2幕版まであるとされるが、それくらい柔軟な解釈とダンサーの技量をはかるプログラムには違いない。振り付けはフレデリック・アシュトン。20世紀のイギリス・バレエに古典主義を確立させた立役者とされる(『バレエダンス事典』)。長野由紀によれば「白鳥の湖」は、大方はジークフリート王子が裏切った白鳥オデットの後を追って死に、来世で結ばれるという悲劇が主流だが、王子がロットバルトの策略に打ち勝ち、悪魔を倒したのち、現世で結ばれるという「ハッピーエンド」のパターンもあるという。いずれにしても、オデットと黒鳥オディールは同じダンサーが踊り分けるもので、清純、無垢なオデットと妖艶、奔放なオディールを如何に踊り分けるかがその実力を問われるというパターンはあまり変わらないらしい。
テクニックは完璧でも、今一つ主役を取れないポートマン演じるニナは、振付師のルロワからセクシャリティーが足りないとなかば挑発され、一踊り子に終わった彼女の母親のゆがんだ愛情、ルサンチマンに晒されながら、心を病んでいくが同時に危険な黒鳥も見事に演じ切るという物語。ニナをそこまで追い込んだのは、生来的に妖艶、危険なリリー。自信を失い、本番で踊れなくなる瀬戸際に立たされたニナは、代役の準備をしていたリリーを刺し殺し、その憎悪がニナをして見事黒鳥の踊りを成功させるが、実はニナはリリーを殺していなくて、自らを深く傷つけていて、プログラムの終焉と同時に息絶えていくニナという物語。
サイコスリラーと喧伝されるだけあり、ところどころ怖いシーンがあるが、それがニナにとって現実なのか妄想なのか定かでないところも観客の想像力を増す。結局、母親の夢を叶え、自身も難しい役をこなすまで飛躍するニナだが、役をもらうまで自傷行為は続いていた。カラヴァッジョのようにより高い美の到達点を目指せば目指すほど、自らの生涯を縮めるということか。もちろん、美を描く到達点がどこにあるのか、そもそも普遍的な到達点などあり得るのか、その答えを知らないからこそ、いや、認めないからこそ、新たな挑戦者が絶えないということなのだろう。
子どものとき、バレエを習っていたとはいえ、プロのダンサーではないポートマンが28歳になって本格的レッスンをはじめ、10か月間、毎日5時間のレッスンをこなし、プロのダンサーと見まがうほどの演技を見せたことが、作品の良し悪しはともかく、アカデミー主演女優賞にふさわしいと評価されたことはうなずける。
ただ、本作で振り付けを担当したベンジャミン・ミルピエとポートマンは婚約し、ポートマンは現在はあの特訓時のスレンダーなボディではなく、妊娠中であるというのを聞くにつけ、現実の甘さが美の頂点には勝てないことにむしろほっとしてしまうのである。
白鳥の湖はクラシック・バレエの定番中の定番、最高峰。振付師、踊り子の創造力をかきたてる演目は、本来の4幕版から短いものは2幕版まであるとされるが、それくらい柔軟な解釈とダンサーの技量をはかるプログラムには違いない。振り付けはフレデリック・アシュトン。20世紀のイギリス・バレエに古典主義を確立させた立役者とされる(『バレエダンス事典』)。長野由紀によれば「白鳥の湖」は、大方はジークフリート王子が裏切った白鳥オデットの後を追って死に、来世で結ばれるという悲劇が主流だが、王子がロットバルトの策略に打ち勝ち、悪魔を倒したのち、現世で結ばれるという「ハッピーエンド」のパターンもあるという。いずれにしても、オデットと黒鳥オディールは同じダンサーが踊り分けるもので、清純、無垢なオデットと妖艶、奔放なオディールを如何に踊り分けるかがその実力を問われるというパターンはあまり変わらないらしい。
テクニックは完璧でも、今一つ主役を取れないポートマン演じるニナは、振付師のルロワからセクシャリティーが足りないとなかば挑発され、一踊り子に終わった彼女の母親のゆがんだ愛情、ルサンチマンに晒されながら、心を病んでいくが同時に危険な黒鳥も見事に演じ切るという物語。ニナをそこまで追い込んだのは、生来的に妖艶、危険なリリー。自信を失い、本番で踊れなくなる瀬戸際に立たされたニナは、代役の準備をしていたリリーを刺し殺し、その憎悪がニナをして見事黒鳥の踊りを成功させるが、実はニナはリリーを殺していなくて、自らを深く傷つけていて、プログラムの終焉と同時に息絶えていくニナという物語。
サイコスリラーと喧伝されるだけあり、ところどころ怖いシーンがあるが、それがニナにとって現実なのか妄想なのか定かでないところも観客の想像力を増す。結局、母親の夢を叶え、自身も難しい役をこなすまで飛躍するニナだが、役をもらうまで自傷行為は続いていた。カラヴァッジョのようにより高い美の到達点を目指せば目指すほど、自らの生涯を縮めるということか。もちろん、美を描く到達点がどこにあるのか、そもそも普遍的な到達点などあり得るのか、その答えを知らないからこそ、いや、認めないからこそ、新たな挑戦者が絶えないということなのだろう。
子どものとき、バレエを習っていたとはいえ、プロのダンサーではないポートマンが28歳になって本格的レッスンをはじめ、10か月間、毎日5時間のレッスンをこなし、プロのダンサーと見まがうほどの演技を見せたことが、作品の良し悪しはともかく、アカデミー主演女優賞にふさわしいと評価されたことはうなずける。
ただ、本作で振り付けを担当したベンジャミン・ミルピエとポートマンは婚約し、ポートマンは現在はあの特訓時のスレンダーなボディではなく、妊娠中であるというのを聞くにつけ、現実の甘さが美の頂点には勝てないことにむしろほっとしてしまうのである。