「首相は「日本を取り戻す」とおっしゃいますが、その日本に沖縄は入っているのですか?」翁長雄志沖縄県知事が時の安倍晋三首相に問いかけた言葉だ。安倍首相は答えなかったという。
沖縄は日本なのか?そもそもの問いが発せられる背景は、沖縄が「別扱い」されてきたことによる。別扱いは特典ではない。差別である。1972年、日本に「復帰」した沖縄は、「核抜き本土並み」と約束したにも関わらず本土並みには程遠かった。県土の多くを占める米軍基地である。そして、土地を占有しているだけの意味ではない。地位協定という差別構造を国家が容認した制度のもと、沖縄の人民は被差別の立場を強制されてきた。米軍人の犯罪を告発し、日本の刑法制度のもとで審理できないのだ。1995年の少女暴行事件は、その不平等性に県民が怒り、米軍基地があるから、基地が集中しているから起こり得た許されざるべき犯罪と怒った。時の県知事は大田昌秀。
大田は1925年生まれ。戦時中「鉄血勤皇隊」動員の経験もある。研究者の道を歩んでいたが、90年に知事選に担がれた。任期中に起こったのが先の暴行事件であり、行政のトップとして謝罪した。しかし、駐留米軍の存在、しかも国内で74%もの基地が集中する実態は一人沖縄県知事の責任ではない。そして、在任中には軍用地の強制使用代理署名を拒否し、国から訴えられた。大田は言う。「憲法より地位協定が上位にある」。
大田知事を激しく攻撃したのが翁長雄志県議。その当時の翁長から見れば、政府との「交渉」をうまくこなせず、頑なな姿勢は沖縄の将来をきちんと考えていないと映ったのかもしれない。しかし、沖縄の将来をきちんと考えていないのは、いや現状を見ていないのは政府そのものと知ったのは翁長自身であった。
大田の後、稲嶺惠一、仲井眞弘多と自民・保守系の知事が続いたが、転換点は仲井眞の辺野古の埋め立て承認であった(2013.12)。公約を反故にした仲井眞に県民の怒りは高まり、同じ自民党が出自の翁長が辺野古阻止で知事となった。大田にあれだけ厳しく接していた翁長が大田と同じ立場と苦悩、そして県民の多くの付託を背負う立場となる。
大田、稲嶺、仲井眞そして翁長。立場の違いはあれど沖縄県知事として向かい合った難問の大部分が日米地位協定、日本政府との交渉である。他の都道府県首長には考えられない。
県外移設を公言した鳩山政権、そして再び自・公政権になり、地域協定は動いたであろうか?何も変わっていない。それどころか、マヨネーズ並みの地盤に途方も無い数の杭を打ち込むことで辺野古新基地に邁進する政権。さらには、中国の脅威との理由で、沖縄本島を含め南西諸島に大規模な自衛隊施設、要員を注ぎ込む。自衛隊が入り込めば地域振興になると倒錯した発想で受け入れる首長もいる中、沖縄の市民は再び戦争の最前線に立たされている。その既成事実、構造の前で「沖縄は日本に入っていない」。
大田や翁長が見せる苦悩は、県民全ての苦悩でもある。その苦悩を見ずして「寄り添う」と連発した首相もいた。その首相と沖縄以外の日本(人)も同じである。(太陽(ティダ)の運命 2024 監督:佐古忠彦)