ふたつの故宮博物院 著:野嶋剛
台北と北京の二箇所にある
数奇な運命をたどった、いや、たどっている博物館
「故宮博物院」について、そのなりたちを政治的翻弄という観点から、
あれこれと説明されている、大変面白い本でありました
前々から、行くなら台湾などと思っておりまして、
行ったなら、故宮へとずっとずっと
かなわぬ願いのようにぶつぶつ続けておる私の人生ですが、
その故宮というのがなんなのか、
それを、所蔵している文物(所蔵品のことを記す単語だそうです)ではなく、
政治的な背景による、文物の移動、それによって生まれた、
二つの院という貯蔵施設という説明が
非常に興味深いというか、なるほどと勉強をさせてもらえたと
大変ありがたく読んだのでありました
すげぇ美術品があると、
ガキの頃から、なぜか知っていたのでありますが、
最近は、その美術品に目を奪われるような年齢にさしかかり、
いよいよもって、その文物を生で見たいとおさえられないと
そういう衝動のまま、この本を読んだのでありましたが、
内容は、その文物に一切というほど触れず、
それでも、より一層、それらの文物を見たいと思わされたと
そんなエッジをうめていくような知識補完ができまして、
メジャーなところでは、共産党と国民党の対立によりできた
台湾の故宮という姿について、実はその前から、
あれこれと文物移動がなされていて、
日中戦争下においても、その火の手から逃れるため、
様々に移動していた、しかも、その移動が頻繁に行われるから、
いつしか、故宮博物院のキュレーターたちは、
陶磁器運びにおいて、世界随一の技術を培っただとか、
なんというか面白い、きわめて興味深いと
その政治的なきな臭さはおいておいて、
文物というそれが、磨かれていくかのような歴史が
本当、かなり面白いのでありました
政治的な部分として、故宮の文物と故宮そのものが、
台湾と中国でそれぞれどう扱われてきたかというのも
非常に面白かったのですが、まぁ、それはおいておくにして、
最近では、何度か日本で故宮展をやろうという
とても魅力的な話があがっていたんだそうで、
このあたりが大変面白い
刊行が2011年3月ということもあって、
ほとんど直前までの情勢が、すごく機微というか、
変化に富んでいて、この文物たちの生き様みたいで
大変面白いと思えたのであります
最初の故宮展について、司馬遼太郎が影でささえて、
実現しそうになっただとか(この頓挫のあたりも面白い)、
その後は、平山郁夫も企画したんだが、
それも志半ばで日本の家騒動だとかでなくなったとか
大変に難儀で、何をしているのかと思わされるところが
すごいよかったのであります
最近、社会人を進めてきたおかげもあって、
国会で論議されていることは、プロレスではなく
ちゃんと通らないと困る法案だとかがあって、
それに少なからず自分も影響されるのだなぁと
ごく当たり前の政治を目の当たりにしておりまして、
そういうのとも、まぁ、リンクすると申しますか、
俺が日本にいながら故宮の文物を見られる日が
国会によって決まるのかと思うと
なかなかおもむき深いと、わけのわからない感慨にふけって
しずしず楽しんでしまうのでありました
が、この本を読んで一番思ったのは
やっぱり、今のうちにちゃんと台北に見に行っておかないと
今後どうなるか、さっぱりわからんのだなと
そんなことなのでありましたとさ
毎年通うくらいの気合があっても、いいのかもしれないと
そんなことを思うのであります
故宮友の会とかあるんじゃないかしらね
台北と北京の二箇所にある
数奇な運命をたどった、いや、たどっている博物館
「故宮博物院」について、そのなりたちを政治的翻弄という観点から、
あれこれと説明されている、大変面白い本でありました
前々から、行くなら台湾などと思っておりまして、
行ったなら、故宮へとずっとずっと
かなわぬ願いのようにぶつぶつ続けておる私の人生ですが、
その故宮というのがなんなのか、
それを、所蔵している文物(所蔵品のことを記す単語だそうです)ではなく、
政治的な背景による、文物の移動、それによって生まれた、
二つの院という貯蔵施設という説明が
非常に興味深いというか、なるほどと勉強をさせてもらえたと
大変ありがたく読んだのでありました
すげぇ美術品があると、
ガキの頃から、なぜか知っていたのでありますが、
最近は、その美術品に目を奪われるような年齢にさしかかり、
いよいよもって、その文物を生で見たいとおさえられないと
そういう衝動のまま、この本を読んだのでありましたが、
内容は、その文物に一切というほど触れず、
それでも、より一層、それらの文物を見たいと思わされたと
そんなエッジをうめていくような知識補完ができまして、
メジャーなところでは、共産党と国民党の対立によりできた
台湾の故宮という姿について、実はその前から、
あれこれと文物移動がなされていて、
日中戦争下においても、その火の手から逃れるため、
様々に移動していた、しかも、その移動が頻繁に行われるから、
いつしか、故宮博物院のキュレーターたちは、
陶磁器運びにおいて、世界随一の技術を培っただとか、
なんというか面白い、きわめて興味深いと
その政治的なきな臭さはおいておいて、
文物というそれが、磨かれていくかのような歴史が
本当、かなり面白いのでありました
政治的な部分として、故宮の文物と故宮そのものが、
台湾と中国でそれぞれどう扱われてきたかというのも
非常に面白かったのですが、まぁ、それはおいておくにして、
最近では、何度か日本で故宮展をやろうという
とても魅力的な話があがっていたんだそうで、
このあたりが大変面白い
刊行が2011年3月ということもあって、
ほとんど直前までの情勢が、すごく機微というか、
変化に富んでいて、この文物たちの生き様みたいで
大変面白いと思えたのであります
最初の故宮展について、司馬遼太郎が影でささえて、
実現しそうになっただとか(この頓挫のあたりも面白い)、
その後は、平山郁夫も企画したんだが、
それも志半ばで日本の家騒動だとかでなくなったとか
大変に難儀で、何をしているのかと思わされるところが
すごいよかったのであります
最近、社会人を進めてきたおかげもあって、
国会で論議されていることは、プロレスではなく
ちゃんと通らないと困る法案だとかがあって、
それに少なからず自分も影響されるのだなぁと
ごく当たり前の政治を目の当たりにしておりまして、
そういうのとも、まぁ、リンクすると申しますか、
俺が日本にいながら故宮の文物を見られる日が
国会によって決まるのかと思うと
なかなかおもむき深いと、わけのわからない感慨にふけって
しずしず楽しんでしまうのでありました
が、この本を読んで一番思ったのは
やっぱり、今のうちにちゃんと台北に見に行っておかないと
今後どうなるか、さっぱりわからんのだなと
そんなことなのでありましたとさ
毎年通うくらいの気合があっても、いいのかもしれないと
そんなことを思うのであります
故宮友の会とかあるんじゃないかしらね