映画が中心のブログです!

中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映宣伝部・番外編の番外 (45) 京マチ子さん

2015年01月05日 | 日記

   

   

  

  

  

     

     どの世界でも先輩後輩の境界みたいなものがあります。私は仕事で撮影所に良
     く行っていたので、撮影所の皆さんには半ば仲間扱いにされていたこともあり、と
     ても有難いと思っています。
     そんな情況ですから長谷川一夫先生や京マチ子さんは大々先輩で、畏れ多くて
     中々近づけなかった思いが今でも残っていて、このブログでは最終回にお二人
     の事を書くつもりでした。

     去年で終わるつもりだった大映宣伝部・番外編でしたが、脇役の方々をもう少し
     取り上げて欲しい・・・の要望があり、もう少し書こうと思い直して延長戦に入らせ
     ていただきます。そうなると京さんをアップしないのは、却って失礼になるような
     気がして、新年第一弾としてアップさせていただいた次第です。

     実は私が高校生の時にOSK(大阪松竹歌劇団)で人気娘役として活躍していた
     京さんのお芝居と洋舞を観たことがあります。素敵な舞台でいっぺんに京さん
     のファンになった私ですが、その後いろいろあって、まさか同じ大映でご一緒さ
     せていただくとは夢にも思いませんでした。

     京さんは日本人ばなれした肢体の持ち主で、特に面高な顔立ちは、映画「テル
     マエ・ロマエ」で日本人を平たい顔族と言っていましたが、顔の中心部が高くな
     っている、つまり日本人離れした面高な顔つきの女性なのです。同じタイプで
     いうなら安田道代さんも同じような顔つきと言えましょう。

     京さんは昭和24年(1949)に大映に入社、デビュー作は「最後に笑う男」(1949.
     監督・安田公義)で、彼女の後輩にあたる若尾文子や山本富士子らとともに大
     映の看板女優として活躍しました。
     「雨月物語」「羅生門」「地獄門」など、主演作が海外賞を次々に獲得、「八月十
     五夜の茶屋」ではハリウッド進出も果たしています。
     京さんが出演した作品は、大映入社前に松竹で撮った2本、大映在籍中に東
     宝などで撮った作品や大映後に撮ったものを含めて約100本ありますが、大映
     での作品は87本で、舞台やテレビもそれほど多くはなかったし、大映にはじまり
     大映で終わった大女優と言っても過言ではないと思います。

     私が大映九州支社に赴任した時の支社長は、池広一夫監督の父君の利夫氏
     であり、支社長が上京する度に当時はそのお店にしかなかった「ふくやの辛子
     明太子」を買いに行かされことが何回かありましたが、京さんの好物で彼女へ
     のお土産でした。
     また私は撮影所で何回か京さんにお会いしています。最初に書いたように中々
     近づけない私なりのこだわりが会ったのですが、ある時、外部の人がいなかっ
     たせいか、京さんが笑いながらお付きの人に「私の鼻毛が出ていない?」と尋
     ねたのを、私はすぐ横で聞きました。なんか急に京さんが身近の人になったよ
     うな気になったのを思い出します。

     一昨年の大映会で、藤巻潤さんから京さんが結婚してアメリカに住んでいると
     聞きました。藤巻さんも私もまさかの思いで話し合ったのですが、結婚話は正
     直よく判らないものの、昨年日本に戻られ、東京の友人宅に身を寄せられてい
     るのは事実です。
     京さんは大正13年(1924)生れですから現在90歳、お気持ちとしてあまり外に出
     たくないのは判りますが、機会がありましたらお元気なあの笑顔に接したいと
     思うのは、私だけではない筈です。


 ↑「馬賊芸者」(1954)の博多ロケ時に大洋映劇で舞台挨拶。右から南田洋子、高松英郎、京マチ子

コメント (10)
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