映画が中心のブログです!

中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映宣伝部・番外編の番外 (38) 南田洋子さん

2014年11月03日 | 日記

   

  

   

     南田洋子さん。私なりに少しばかり考えたのですが、やはりこの人はこのブログ
     に登場して貰わなければならない人だと思いました。
     洋子ちゃんが昭和30年(1955)に大映から日活に移籍するまで、大映で28本の映
     画に出ているのですから当然と考えますし、私は何回も彼女に会う機会がありま
     したが、きわめて庶民的で人懐っこく明るい性格の女性だったの印象が私の脳
     裏に残っています。

     彼女は昭和8年(1933)の生れで東京出身、手づるがあって最初は先代・水谷八
     重子に弟子入りします。その後、大映ニューフェースに応募して合格、第5期生で
     が若尾ちゃんや高松英郎と同期です。
     デビュー作は「美女と盗賊」(1952)でしたが、翌年に製作した「十代の性典」シリー
     ズに若尾ちゃんと共演し、俄然人気が出ました。

     大映はこれら性典ものを連続して製作しますが、会社の方針がどうしても若尾ち
     ゃんに片寄り勝ちであったことなどから、彼女なりに一大決心をして日活に移った
     と考えられます。この移籍を一番心配したのは、私のためにと思った若尾ちゃん
     だったのではと私は推測しています。
     結果的にこの移籍は成功で、彼女は主演女優としての確固たるポジションを確保
     し、長門裕之とも出会い結婚、映画・テレビでユニークな活躍したことは皆さんが
     ご存知の通りです。

     平成21年(2009)10月に、療養中だった彼女は遂に帰らぬ人となりましたが、平成
     16年(2004)ころから認知症の症状が現れて徐々に悪化して行く過程で、長門裕之
     が彼女の病状を公表して大きな反響を呼びました。
     この扱いや亭主の言動について世の中は賛否両論でしたが、私は長門裕之のや
     り方を大いに批判する一人です。その長門裕之も南田の死から一年後にこの世
     を去りました。

     
     ↑ 「共犯者」の博多ロケ時に旅館で撮ったスナップですが、
        どういう訳か、この映画に出ていない洋子ちゃん(左端)
        が一緒に写っているのです。なぜなのか、全然思い出
        せないままです。右から二番目が私。

コメント (10)
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