第108号 議長レポート
平成27年1月29日
去る1月23日(金)宝塚市議会60周年記念シンポジウムが宝塚ホテルで開かれ、案内をいただき参加してきました。
シンポジウムテーマは「市民と共に歩む市議会をめざして」。
自治体行政学・地方自治論で著名な東京大学名誉教授・大森彌先生の基調講演を拝聴しました。
著書の中で「地方議会は、市長と共に地域住民の代表機関として自治体運営に責任を持っている。その活動の量と質は、地域の幸・不幸に大きな影響を及ぼす」という提言をされています。
地方議員にとって極めて大切な示唆を与えていただいています。当日の基調講演の一端のレポートです。
結論は一つ。日本の地方自治を良くするためには、地方議会が良くならなければならない。
今日のシンポジウムテーマは「市民と共にあゆむ議会」。市民の為に、でなく、市民と共に歩む議会とはどういう議会なのか。私の考えていることを話したい。
私の演題は「地方議会―住民自治の根幹」。2000年4月から地方分権一括法が施行。それまでは地方議会は無視され、ほとんど行政体制の一環であった。その10月に地方制度調査会から答申が出て、地方議会は住民自治の根幹であるとされた。
これは憲法93条に由来している。「地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する」。これと同一の規定は首長について憲法には無い。憲法は議会を必置している。従って、地方公共団体たるものは地方議会なしでは存在できない、地方議会は地方自治の根源であるということが言える。
しかし、明治以来、国は首長を使って政策を動かしてきた長い歴史がある。だからどうしても首長を重視する考え方が制度に介入している。けれど基本は憲法をもってして地方議会は必置である。どんなに世間が議会をパッシングしても、議会は要らないといっても、議会は存在することに意義がある。議会は憲法に保障されている。
問題は、保障されている議会があぐらをかいてしまうかどうか、ここがポイントになる。
最も、憲法は違う条文で「地方公共団体の長、その議会の議員は、その地方公共団体の住民が直接これを選挙する」とあり公選の首長を置くことになっているので、事実上必置ではないかという解釈が成り立つ。
この制度はもともと不安定である。首長を選んだ民意と、議員を選んだ民意がズレルことが在り得ることが前提になっている。だから首長と議会の間にある種の緊張関係が生まれることが有り、きちっと調整が行われないとこの制度は不安定になりやすい。大阪方面の例のように、首長の言ったこと以外は承認しないということになる。
代表機関の二つを比べるということになり、住民は圧倒的に首長の方を向く。何故か。首長は頻繁にマスコミ等に登場するが議長は登場しない。何故なのか、それは権限問題にある。
国は議会を強化せず、首長の権限を強化する意思が明治以来一貫して働いてきた。何故かというと国が考えた政策は国が着手せず、ほとんど都道府県や市区町村を使って仕事をする。国の考えが浸透していくには誰を掌握しておくのがいいのかを考えたとき、複数の議会は掌握できないから一人の首長を掴んでおけば浸透しやすくなるではないか。
首長のことを執行機関と呼んでいる。普通、執行機関というと誰かが決めたことを忠実に実施するところと考える。
ところが我が国の執行機関は自らしたい事案の企画立案を全部やる。世間はこれをお手盛り機関という。自分がやりたくない事案を企画立案する訳がない。その権限が地方自治法で確保されている。
大きな権限が三つある。一つは予算編成権。住民は作っていくそのプロセスにものを言わなければ予算は付かないから、議会には来ない、必ず首長に行く。
二つ目は、その予算を使うための条例提案権を持たせている。そうすると、これを議会で通してもらえるかが気になる。用意周到にどんな質問にも答えられる準備をしてくるから執行機関は議会審議に行って答えていきたいという気分になるが、国は一貫して執行機関は議会の審議に行くなとしている。行くと、議会の審議が執行機関の執行に影響を及ぼすから出来るだけ呼ぶなと法律の立て方はそう考えている、呼ばれたら行けと。でも議会は執行機関が来ないと審議できないから、あらかじめ呼んでいる。執行機関の首長が答えるので審議に参加していることになる。
大きくこの三つ(予算編成、条例提案、審議参加)の権限を持っている。この企画して、審議して、執行してのプロセスでどこが肝心かというと企画立案である。その企画立案の中に住民参加も入れている。この企画立案を議会がひっくり返すのは至難の業である。
ということは次はどうなるかというと、良く説明してもらって分かった、納得、ということでほとんど全会一致、多数決で通ることになる。
反対に、議員は楽である。企画立案しないから。企画立案すると自分で説明しなければならないし政策の効果を出さなければいけない。議会報告会に行くと住民から質問がでる。しっかり勉強して答える準備をしなくてはいけない。あれが肝心なのである。もっぱら聞くなんて、楽な稼業だ。
現在の仕組みのままでいくと執行機関の方にどんどん知恵が蓄えられて、そのことが住民に分ればわかるほど議会でなく執行機関の方に行く。
ということは、この関心をどうやったら議会の方に向けてもらえるかということを考えていくことだ。
元々、制度上は議決権こそあるが議会はそんなに強くない、弱めに作った制度になっている。議会は鬱陶しいと思っているのではないか、そうではなくて議会は考え方を変えるべきだ。
執行機関との緊張関係も当然だし、せめて大変さを解るためにも、可能であれば一本でも二本でもいいから自分たちの手で条例案をつくり住民の中に入って説明していく。このことが何よりも大事である。
やれば、議会もただ在るだけでなくよくやっているじゃないかと。それならば議会に働きかけて議会を出発点にして新しくこれをやってもらおうとなる。
議会は住民の信頼関係なしには成り立たない。自治体を誤った方向に向かわせないためには、一人の意見でなく複数の人の意見が良い。議会は複数の意見、会派があり、それを一つの意思にまとめ上げていくことが難しいが、それこそが政治の原点である。元々同じ意見をまとめるのは簡単だけど、違った意見を一本化するために話し合い妥協し合いながらまとめあげていく。ここに議員としての政治家がある。会派が分れることは仕方のないこと。
会派間のしがらみを乗り越えて、議会意見を一つにまとめる。できればそのプロセスの中に住民参加を必ず保証する。
一般的に地方議会は、内うちだけで議論すれば良いと思い易い。この議会は良くなったと思うのは、目に見えるインターネットの情報公開と住民参加をやり始めたところ。目に見えないところの政治もあることは承知している、そういう世界もしかるべきだと思っているが、出来るだけ住民には見える形で伝える。
議会で一番大事なのは住民参加。自分たちで集まって執行部とやり取りすれば済んでしまうと考えている、これは議会を舐めている。必ず住民とつながる機会をたくさん持つこと。
日本の議会の制度の中で、参考人制度、公聴会をほとんど使っていない。首長が相当慎重に作ってきた議案に対して公聴会が開けるか。開けという人はいるが開けないだろう多分。でも、参考人制度はもっと使っていいと思う。
議会に出てきた議案に対して住民の中には相当な知識をもってる人がいる、ものを知ってて勉強している人がいる。参考人制度を頻繁に使って、必ず全ての議案の審議の中に住民参加のプロセスを入れることである。
もう一言いわせてもらうと、議会の議員は普段着の姿で議会をやってもらいたい。作業着を払って着てもいい。どうして議会を神聖視するのか。普段着の活動で住民と共に歩むことが大事なのだ。
議員バッジを付けた途端に偉くなるものでも何でもない。住民と同じところを腕を組んで一緒に歩きたいというのはとてもいい発想だと思う。そうやってこそ議会は信頼に値するに変わる。
最後に一言だけ、この中に何期もやってる議員に言いたいことがある。最近は1~2期の議員が増えているが、何期もやってるベテラン議員は何をすべきか。
一番せつないのは、何期もやってるといろんなことが分かるようになりボス化するような議員がでてくる。この議員は一年間一回も議会で発言しなくなる。俺はいいからお前がやれと。この議員の報酬は全額返させるべきだ。
議会の命は言論だ。何期もやってる議員こそ若い議員に質問とはこういうもんだ、こうやって問題提起する、こうやって政策提起するというお手本を示すべきだ。ベテラン議員はこの任務を持っており、その任務を通じて若い議員を育ててもらいたい。(完)
話変わって
地区ふるさと祭りの反省慰労会が今終わったところです。作品展示、農産物展示、フリマ、舞台演芸、餅配布などなど、半年にわたる準備含めてご苦労様、お疲れ様でした。