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ETVワイド 障害者差別を無くす条例を観て

私も障害者と一般的には言われています。でも、番組内で一部の人が話していたのと同じに障害に対しての差別を感じたことはほとんどありません。
あるいは感じそうになっても、見ないようにしているのかもしれません。

今日、自分と同じ障害を持った人と、自分達と伴に歩いてくれている人の集まりに参加してきました。この集まりは今年で6回目で自分は過去2度実行委員で参加しました。毎年半年位前から準備をして月に1,2回実行委員会を開きました。

でも今年は実行委員会には参加せず、当日だけ出席しました。
私がこの集まりから帰ってきて、テレビのETVワイドを観ていて思い出したことがありました。

私が3年前に初めて実行委員会に参加した時のことです。
一人の方が、今の差別のある世の中を変えていかなければいけないと発言されました。その発言の後、私が発言する順番になった時に私はこう発言しました。
「私は差別をされたと感じることはほとんどないです」
実際のところ私はなぜその方がそんなに怒っているのか理解できなかったです。
結局、その後も実行委員会に毎回参加してもその差別に対する怒りは自分の怒りにはなりませんでした。
そして、私にとっては同じ障害を持っている人達全員の底上げをするよりも、自分と自分と親しい人達のことのほうが大事だという考え方になり、徐々にその実行委員会から離れていってしまいました。

今の私を考えると、私は番組内で少し出た、差別に対する危機感が少ない。実行委員会に参加して世の中を動かすよりも自分の日々の生活の方が大事。になっています。

自分がやらなくても誰かがやってくれる。自分が苦労しても恩をあだで返した人の為にやってやるのでは馬鹿らしい。自分の中で、その実行委員会への参加意義は薄いままとなっています。

でも、番組内の発言にあった「ぶつかり合って初めて認め合える」という言葉に「はっ」としました。自分はそれを実行委員会で求めていたのではないか、自分の思っていることを素直に話して、「安心して、けんかをしたい」と思っているのではないかと考えました。


まとまりの無い文章になってしまいましたが、私の今のもやもやとした気持ちです。
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コメント
 
 
 
多種多様 (まつうら)
2007-12-05 13:39:56
kantenbouさん、こんにちは。
私は差別や偏見は、人の心の中から生まれる個人的な見解であり、同じ状況下に置かれている人たちが必ずしも同じ思いであるはずは無いと考えています。
同じ考え方の人たちが集まれば、集団になるし、それが各種の運動につながる気がします。
一番大切なのは、どんなに考え方が異なっても、それを受入れ、客観的に判断し、自分の価値観に反映していくことだと思います。
同じ信念を持って集まった集団が、価値観の違いで分裂することもありますね。
偉そうなことを述べた私自信も、そうはなれないのが
恥ずかしいですが、いつかは誰でも受け入れられる自分になりたいです。
ジョンレノンのイマジンが、まさに「国境のない世界を想像してごらん」と歌っていますよね~
そろそろ命日なので、ジョンの歌を聴きかえしたいです。
 
 
 
価値観 (kantenbou)
2007-12-05 20:25:45
まつうらさん、コメントありがとうございます。
自分の場合、考えの違う人を受け入れるのは苦手です。考えの合う人は全面的に受け入れ、違う人は拒否してしまいます。その間を取って自分の価値観に反映出来れば良いのでしょうが。

ある部分では自分を守る為にそのやり方が今までは必要だったと僕は思っています。でも、これからは自分の世界を拡げるには自分と異なることも受け入れるのも必要なのでしょう。

この場面で僕は今戸惑い、立ち止まってしまっているのだと思います。自分の居場所作りでも同じだと思います。周りに合わせているだけでは相槌をうってるだけで、家に帰ってきて振り返っても何も思い出せません。

ここをクリアできるともっと楽に楽しく人付き合いができるのでしょう。これからの課題です。

ジョンレノンは狂信的なファンに殺されてしまったのかもしれませんが、ジョンレノンのように僕も夢を見続ける人であり続けたいです。
 
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