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僕のお母さん その2

僕の母が今日亡くなりました。
亡くなったのだし遺影でもないので写真を載せさせていただきました。
僕の母は初期の肺がんで手術してから闘病生活が始まりました。
そして今日終わりました。
これから少しずつ書いていこうと思います。

まず今日は闘病生活の最後、ホスピスに入って最後の4日間を書きます。
看護婦さんから、いよいよお迎えが来そうと言われたので僕はホスピスに泊まることにしました。
いきなり言われて決めたので僕の飲んでいる薬も無くてその日はほとんど眠れませんでした。
それでもお母さんの隣に簡易ベッドを置いて一緒に寝て何か楽しかったです。
翌日ふらふらで部屋に戻りあわてて薬にひげそりシェーバー、下着を持ってすぐに病室に帰りました。
仕事は2日間休みをもらい1日は公休日で3日間休めました。
もう起きているのがつらいので昼間から母と一緒に寝ていました。
でも母は無事でした。

3日目の夜はまた今日もかと開き直りの気持ちになり楽しくなりました。
母は昏睡状態が10分位続き、30秒ほど僕の話が分かり反応してくれるという奇妙な状態でした。
それが日にちが経つにつれ30分の昏睡状態に30秒の覚醒となり、だんだん眠っている時間がほとんどになりました。
そこで僕は母の寝息や昼間は母の目が光った時を探して話しかけました。

初めは話して応えてくれたのがうなずくになり最後は目の動きで反応してくれました。
僕はそんな母にお母さんありがとう。お母さんよくやったよ。
そしてお母さんは笑ったんだよと言い続けました。

今回母の遺影を作ろうと思い、以前言われていた父の仏壇の引き出しを開けて入っていた母の写真、若い頃から結婚式の、親戚の人たちとの写真、どれも母はきつい顔をして笑っていませんでした。
そんな中で母が2,3年前遺影用の写真を撮りたがっていたので僕もお母さんをよく写しました。
でもお母さんはいつも構えてしまっていい写真が撮れませんでした。
そんな中で引き出しに入っていたのがこの写真。
僕が撮ったのだけど横に怪しげなヘルストロンとかいう健康器具が写っているし横向きなので使えないなと当時の僕は思いボツにした写真でした。
僕はこれはいいと思い部屋に戻ってデータを探したのだけど見つけられないので写真を写真屋さんに持って行ってデータを作ってもらいました。
そしてそれを加工してもらい遺影にしました。
最終的には母が自分で用意したようなものです。

僕はお母さんに最後に笑ったのだよ。勝ったのだよと、何度も何度も繰り返し言いました。
お母さんは目で反応してくれました。
3日目は反応出来なかったけど僕の言った後に涙を流していました。きっと僕の言葉が伝わったのだと思います。
今日は疲れたのでここまでにします。また次回。
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