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「沈黙」遠藤周作の書評を読んでの感想

「沈黙」遠藤周作を読みました。書評が本に留めてありました。さすが浦河図書館です。
小説発表当時の1966年に書かれた書評を読んで「沈黙」への僕の感じ方が変わって来ました。
僕はロドリゴ神父は完全に敗北した。救われる所は何も無いと小説を読み終わって感じました。
でもその後に書評を読んで僕も考えを整理していたら感想が変わって来ました。
ロドリゴ神父が踏み絵を踏むかという瞬間にそれまでずっと沈黙していたイエスさまがロドリゴの所に現れた。
イエスさまはずっとロドリゴの側に居たのだ。

僕は江戸時代に踏み絵を踏めなくて処刑された信者も多かっただろうけれど、敢えて踏み絵を踏んでそして密かにキリスト教信仰を守った人もいたのではと思うようになりました。
どちらが尊いかでは無くてそういう道を歩んだ人もいたのではないかと思います。
僕のお母さんはしきりに僕に「沈黙」を読むように勧めていた。僕は読まないでお母さんはもう亡くなってしまったけれど、お母さんは踏み絵を踏んで信仰を守る方法を話したかったのかもしれないと僕は今思いました。
お母さんは強制的では無いだろうけれど結婚後キリスト教とは離れた。でもお父さんの死後イエスさまに赦しを求めた。お母さんの側にもイエスさまがずっと居たのかもしれないなと思います。僕はそんな話をお母さんとしたかったです。

それとこの小説が書かれてその直後に書評が書かれた1966年の当時、日本は良くも悪くもあいまいさを好む多様性を認める寛容な国だったのではと僕は思います。
それがここ最近10年で日本はすっかり冷たい国に成ってしまったと僕は感じます。
武士のように切腹しなくても、踏み絵を踏まなくても許される、そんな時代が昭和だったのではと僕は思ったりしました。
僕も踏み絵を踏まずに、でもそれでも信念を持って生きて行く生き方をしてみたいなと思いました。
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