自分の周りの空を写します
北東気流の街に生まれて
教会での母の葬儀への言葉
母が通っていた教会で告別式を行ってもらいました。
僕が喪主で最後にお礼の言葉を伝えました。
兄と私2人それぞれ話させてください。
本日は母のために集まってくださり本当にありがとうございました。
母も喜んでいると思います。
僕の母は3,4年前から終活を始めて、いい遺影用の写真が撮れないとずっと言っていました。
そこで僕も母の写真を撮り始めたのですが、なかなかいい写真が撮れませんでした。
僕が母にカメラを向けると、母は構えてしまい固い表情になってしまいました。
そんなことをしているうちに母が入院して写真が現実のものとなって来ました。
母がホスピスに入って、僕は母がしまってあると言っていた父の仏壇の引き出しを開けました。
そこには母の若い頃の写真、結婚式の時の写真、親戚の人との写真などがありました。
でもどれも母はきつい表情をしていて笑っていませんでした。
そんな中で僕が以前撮って忘れていた写真が出て来ました。
この写真は笑っています。
僕はこの写真を大きくプリントアウトして病室に貼って母に見せました。
「お母さん、最後は笑ったんだよ。勝ったのだよ」と僕は繰り返し言いました。
そうしたら母はうなずいて、その写真を10秒ぐらいじっと見ていました。
母はここの教会に来て変われたのだと僕は思います。
母の罪もゆるしてもらえたのだと思います。
そして母自身が自分をゆるせたのだと僕は思います。
今日の式、お母さんが本当に望んでいたことだと思います。
お母さん、よかったね。
みなさん、本当にありがとうございました。
僕もお母さんにいい親孝行が出来たかなと思えて来ました。
考えてみれば僕はお母さんが喜ぶからと思い、洗礼を受けた。
それはこの日のためだったのかなとも思います。
お母さんの願い通りに出来たかなと思います。
でもそれだけでなく、僕はこれからもお母さんのたどった信仰の道を追って歩いてみようかなとも思います。
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