かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

熊野古道の旅その4 阿須賀神社

2015年08月01日 | Other Western Japan
先週のゴルフは、ちゃんとアンダーシャツを着てやったのだが、皮が剥けてきた。
下瞼も、日焼けで、皮が剥けるし、かなり強烈。
今日のゴルフは、キャンセルになったが、明日は、予定あり。
どうなることか。

今日は、ALFA MUSIC LIVEの発売日。
珍しく、最速予約二回はずれて、今日ほんちゃん。
10分後につながって、ラッキーと思ったら、もう売り切れ。
いったい、今日、何枚売ったのだろう?
まぁ、行かなきゃ、行かないで、いいんだけど。



速玉神社の後、熊野川沿いに、河口に向かった。
上流はこんな感じ。
新宮自体も、熊野川の氾濫で何度も被害を受けている。



河口方向。
鉄道と、国道の橋が、並行して走っている。



新宮城跡。今は、丹鶴公園として、公開されているが、天守閣は、残っていない。



阿須賀神社。
神社というよりは、阿須賀王子のところに作られた神社ということか。
王子というのは、熊野古道沿いに設置された社で、全部で、99あるらしい。



脇に、神武天皇上陸の地の碑があるが、建立の時期を見ると、九州で、見たように、戦時色が強まった時に、建てられたようだ。



後ろの山が、蓬莱山と呼ばれ、徐福ゆかりの山とされる。
始皇帝の時代に、ここまでたどり着いた中国人がいるとも思えないのだが。



鎌倉時代に、建長寺を建立した無学祖元が、徐福に香を献じたとする石碑。
当時、宋は、元に責められ、祖元は、来日していた訳だが、遠い昔に来日したと伝えられる徐福を讃えたということだろう。



綺麗に整備されている拝殿。



王子は、かなり寂れたものもあるが、この看板が、由来を説明してくれる。
阿須賀王子は、記録としては、鎌倉時代が、最古であるとしている。
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