kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

天皇の后(きさき)たち(最後の講義)  その1

2014-04-04 11:08:28 | 柏シルバー大学院
この講座が、爺のブログでアップする最後になりました。18年通った柏シルバー大学院も3月で修了するからです。爺が静聴した多くの講座をネタにブログにアップしました。読んで下さった皆様に感謝すると共に、講座で講義して下さった先生方に心よりお礼を申し上げます


1 后妃

1-1 奈良時代  後宮職員令 養老律令 718年制定
○ 后 1名 皇親以外の出自規定がない。 天皇の嫡妻
  后は、天皇と並び政治担当する公的・政治的地位
  光明皇后(聖武天皇后)は、悲田院(興福寺に生活困窮者や孤児の救済施設として設置)・施薬院新設するなど積極的政治活動をした。

○ 妃(ヒ)2名。四品以上の皇親から。
○ 夫人  3名。三位以下の臣下より。
○ 嬪(ヒン) 4名。五位以下の臣下より


1-2 平安時代  

○ 后・中宮 醍醐天皇の皇后藤原穏子が、923年に初めて中宮と称した。以後、皇后の別称として一般化した。
○ 女御(ニョウゴ)。嵯峨天皇の815年以降、天皇の遊猟・遊幸の行在所などで、天皇の御眼に止まった場合、天皇の自由意志と便宜的手続きで選考する。御息所と同じ。
  藤原穏子が女御から立后したことにより、女御の地位向上した
○ 更衣(コウイ)は、天皇の衣装を調進する、小規模官庁の(みくしげどの)に奉仕する。家柄・身分の低い女官から選考した。(1993)