第62代村上天皇・后は藤原安子
2-2 また皇太子の生母としての彼女の影響力の大きさが伺える。
円融天皇も母親であった安子を死後も慕っていたことが知られる。
跡目相続で、生前に安子が書いた「関白は兄弟順に」という書付で、兼通を次の関白としたという故事(『大鏡』がある。
同母兄弟の資子内親王や為平親王が一品に叙せられた(ただし、為平叙任は円融退位後)のは、円融が亡き母に代わって同母兄弟を庇護しようとした意欲の現れと言われている。
安子自身は若くして亡くなったが、安子所生の冷泉天皇・円融天皇の即位は九条流摂関家発展の元となり、やがて安子の甥道長を頂点とする全盛期へ至ることになる。
藤原安子
第62代村上天皇の妻。 藤原師輔女 中宮
天徳2年10月27日-応和4年4月29日 (958年12月10日-964年6月11日)
この講座で、妃の生政治的役割の歴史を知りました。現在の妃を理解する上で、参考になりました。講師の方、有難うございました。
約6年間、受講した講座の内容を爺なりに纏めてアップしました。
今回で講座内容のアップは終わりです。
長い間、お読み頂き有難うございました。(1996)