小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

藤村「近親相姦」事件 3

2007-08-29 22:21:48 | 小説
 大正2年(1913)4月、島崎藤村はフランスに渡った。
 渡仏に至るいきさつを詳述できないわけではないが、ただひとこと、逃避行だったと言えばよいだろう。藤村は逃げたのだった。むろん、こま子からである。なぜか。
 彼女に妊娠を告げられたからである。藤村は震えるほどにうろたえた。いたたまらない状態に追い詰められたあげくの渡仏だった。
 藤村のフランス行きに、こま子は驚きながらも、どこかで心に折り合いをつけたのだった。置き去りにされた彼女は、9月に男の子を生んだ。妊娠中、彼女が優生学的な懸念で、どれだけ神経を痛めていたか察するにあまりある。出産後、赤ん坊になんら異常がないとわかると、ひどく安堵している。しかし、その子は誕生後すぐに貰い子として他家に連れて行かれた。そうしなければ、彼女は生きていけなかったからである。さらに、藤村のスキャンダルを封印しなければならなかった。
 藤村は結局、フランスに3年余滞在した。
 永住すら考えていたらしいが、第一次大戦の勃発で、パリの状況が悪化、押し出されるようにして藤村は帰国した。大正5年7月4日のことだった。
 藤村は、こま子との愛欲生活を断ち切るため日本を脱出したはずだった。ところが、帰国後まもなく、藤村はまたも、こま子とよりを戻してしまうのである。

 二人して いとも静かに燃え居れば 世のものみなは なべて眼を過ぐ

 こま子が詠んだ歌である。もう、この男女には周りが見えなくなっている。
この歌を藤村は小説『新生』に、そのまま引用し、「彼女は岸本(藤村のこと)の一切を所有し、岸本はまた彼女の一切を所有した。しかし二人とも何物をも所有して居なかった」と書いた。
 さて小説『新生』である。藤村はこの小説で、自らスキャンダルを暴露することになった。ふたたび、なぜか。いずれにせよ、この小説を書くことによって、男と女は別れた。


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