小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

新選組・大石鍬次郎ミステリー  4

2007-12-04 11:58:13 | 小説
 ここで少し兵部省と刑部省という昔の官制について述べておこう。 
 旧名称は軍務官であった兵部省は、明治5年には廃止されて陸軍省と海軍省になっているが、警察管轄の権限もあった。ただし司法省の設置によって、その権限は失われている。その司法省の前身が刑部省であった。
 大石鍬次郎の取り調べに関しては、官制改正(前にも記したが明治2年7月)直前の刑法官や軍務官の段階から刑部省、兵部省の時代にまたがっている。けれども、ややこしくなるので刑部省と兵部省ということで統一して話をすすめることとする。
 兵部省では、大石鍬次郎の弁明にもとづき、箱館降伏人であった元新選組隊士の相馬主殿(かずえ)や横倉甚五郎からも事情聴取していた。
 相馬、横倉両人とも龍馬暗殺に新選組は関与していないと弁明し、とりわけ相馬は、犯行は見廻組と聞いていると話した。彼らもまた大石鍬次郎の証言を裏付けたのであった。
 今井信郎が兵部省の牢(江戸城和田倉門前)に入って来たのは明治2年11月18日である。そのことは先に同じ牢にいた大鳥圭介の日記によって確認できる。
 大鳥と今井はかなり親密な間柄になった(ならざるをえない状況ともいえる)ようで、大鳥は牢内で今井に英語を教えたという。今井もまた龍馬暗殺の一件で取り調べをうけたことや、暗殺時の状況を大鳥に逐一語ったのであろう。
 のちに宮内省の『殉難録稿』で龍馬暗殺について書かねばならず、取材に行き詰まっていた外崎覚は、大鳥圭介にたどりつき、彼から直接話を聞いている。
 大鳥は近江屋の二階に上がったのは、今井信郎ほか2人だと外崎に明かしている。今井は、自分がたんなる見張り役ではなかったことは、大鳥には打ち明けていたのであった。
 ちなみに外崎はもと軍務官の副知官事であった長岡護美にも取材しているが、「僕はよく知らん」と答えられ、いっこうに要領をえなかったと回顧している。長岡子爵にしてみれば、もともと龍馬の暗殺犯のことなど、どうでもいいことだったかもしれない。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。