安藤智重著『安積艮斎ー近代日本の源流ー(歴史春秋社)』の冒頭部分に次のような文章がある。
〈現在、儒学や朱子学は、正しい理解が無いままに徳川幕府を支えた封建思想、御用学問などと決めつけられ、否定的な評価を受けている。そのような状態なので、江戸時代後期の儒学者たちの歴史的役割については、本来の評価を得ていない。その部分は日本史から欠落し、次に来る福沢諭吉をはじめとした明治期の啓蒙思想家のみが、近代日本を作ったようなことになっている。〉
儒学というものが、いまどんなふうにイメージされているか、よくわかる文章である。
もとより儒学は徳川幕府を支えた御用学問という側面だけで語りつくせるものではない。維新の志士たちの教養の根底をなし、人格形成のための主要学問であったのも儒学であったからだ。
というより維新の思想、もっと砕けて言えば倒幕の思想は儒学そのもののなかに胚胎していた。幕府の採用した学問には、そういうアイロニーが存在していたのである。
明治維新をさかのぼること百年以上前に、そのことに気づき、維新を予言していた儒学者が朝鮮にいた。
ソンホ・イイク(星湖李瀷)である。彼は『星湖僿説(せいこさいせつ)』所収の「日本忠義」という短文で、概略こう述べている。(原文は漢文)
日本は西京に天皇がいる。しかし東にいる将軍に権力を奪われている。こういう二重構造の君主制度は儒学的に整合できない事態である。だから事態を憂うる人たちがいるが、じゅうぶんな政治勢力になっていない。だが時を待って、ゆくゆくは太守(諸大名)に声をかけて、西京にいる天皇が権力を取り戻すだろう。
見られるとおり、まさに王政復古と明治維新の筋道を予見しているのである。
イイクは1,681年生まれで、1,763年に没している。1,763年といえばまだ10代将軍家治の時代で、日本では宝暦年間である。つまり明治維新より百年以上前に死んだ外国の人物の予見であるということが重要である。なぜこのような予見ができたのか。
それは彼自らが記して、山崎闇斎や浅見絅斎らの日本の本を読んだからだとしている。つまり日本の儒学者の思想を研究すれば、そうならざるを得ないとしているのだ。
儒学に、維新の思想が胚胎していたと述べたゆえんである。
安藤智重の安積艮斎の入門書的な著作を読んで、儒学を見なおす必要性があると痛感していたとき、ソンホ・イイクのことを知った。吉田光男編『日韓中の交流』(山川出版社)所収「朝鮮後期の日本観」(ロナルド・トビ)の記述によってである。学恩に感謝し、私自身のメモとしてこれを書いた。
〈現在、儒学や朱子学は、正しい理解が無いままに徳川幕府を支えた封建思想、御用学問などと決めつけられ、否定的な評価を受けている。そのような状態なので、江戸時代後期の儒学者たちの歴史的役割については、本来の評価を得ていない。その部分は日本史から欠落し、次に来る福沢諭吉をはじめとした明治期の啓蒙思想家のみが、近代日本を作ったようなことになっている。〉
儒学というものが、いまどんなふうにイメージされているか、よくわかる文章である。
もとより儒学は徳川幕府を支えた御用学問という側面だけで語りつくせるものではない。維新の志士たちの教養の根底をなし、人格形成のための主要学問であったのも儒学であったからだ。
というより維新の思想、もっと砕けて言えば倒幕の思想は儒学そのもののなかに胚胎していた。幕府の採用した学問には、そういうアイロニーが存在していたのである。
明治維新をさかのぼること百年以上前に、そのことに気づき、維新を予言していた儒学者が朝鮮にいた。
ソンホ・イイク(星湖李瀷)である。彼は『星湖僿説(せいこさいせつ)』所収の「日本忠義」という短文で、概略こう述べている。(原文は漢文)
日本は西京に天皇がいる。しかし東にいる将軍に権力を奪われている。こういう二重構造の君主制度は儒学的に整合できない事態である。だから事態を憂うる人たちがいるが、じゅうぶんな政治勢力になっていない。だが時を待って、ゆくゆくは太守(諸大名)に声をかけて、西京にいる天皇が権力を取り戻すだろう。
見られるとおり、まさに王政復古と明治維新の筋道を予見しているのである。
イイクは1,681年生まれで、1,763年に没している。1,763年といえばまだ10代将軍家治の時代で、日本では宝暦年間である。つまり明治維新より百年以上前に死んだ外国の人物の予見であるということが重要である。なぜこのような予見ができたのか。
それは彼自らが記して、山崎闇斎や浅見絅斎らの日本の本を読んだからだとしている。つまり日本の儒学者の思想を研究すれば、そうならざるを得ないとしているのだ。
儒学に、維新の思想が胚胎していたと述べたゆえんである。
安藤智重の安積艮斎の入門書的な著作を読んで、儒学を見なおす必要性があると痛感していたとき、ソンホ・イイクのことを知った。吉田光男編『日韓中の交流』(山川出版社)所収「朝鮮後期の日本観」(ロナルド・トビ)の記述によってである。学恩に感謝し、私自身のメモとしてこれを書いた。