小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

藤村「近親相姦」事件 10

2007-09-06 22:46:05 | 小説
 長谷川が出獄し、こま子は夫と共に東京に移り住む。昭和7年(1932)である。翌年の9月に長女紅子を出産している。紅子は「こうこ」とよむ。地下にもぐり共産党の活動を続けた長谷川にちなんだ名であることは歴然としている。しかし、こま子は夫とはほとんど別居状態だった。
 おさなごを抱え、自分たちだけの生活でも大変なのに、社会主義活動を続けていた彼女も、ついに力尽きて健康を害したのであった。近所の人たちが見るに見かねて板橋の救貧院に収容させたのが、新聞記事になったというわけだ。
 略歴を続けよう。
 こま子が退院したのは4月14日だった。入院中、紅子は福島の篤志家の医師が引き取って世話をしていた。
 6月になって姉ひさ夫婦の世話で故郷である信州木曽妻籠に帰った。新聞記事のおかげかもしれない。
 妻籠で20年を過ごし、昭和32年の夏、東京中野区に移り住んだ。64才になっている。お茶の水女子大を卒業した紅子と一緒に暮らした。中野の住居を斡旋したのは、すでに別れていた長谷川だったらしい。彼も再婚していた。ちなみに、長谷川はのちに法政大学の教授となって定年を全うしている。たまたま長谷川博の人となりを知る文書をウエブ上で見つけた(下記)が、やはり、こま子を愛した男だと、なんとなく納得がいった。
 それはさておき、こま子はそれから22年生きた。昭和54年、中野の淨風園病院で心不全で死んだ。86才だった。
 死の前日、紅子が病院に立ち寄っていたが、朝、こま子は誰にもみとられることなく息をひきとっている。病院の医師も看護婦もこま子が島崎藤村の姪で『新生』の節子のモデルであることを知らなかった。
 
 http://nels.nii.ac.jp/els/contents_disp.php?id=ART0001213829&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=Z00000008813859&ppv_type=0&lang_sw=&no=1189113122&cp=


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