小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

日食と卑弥呼

2009-07-23 22:58:21 | 小説
 日本では46年ぶりという皆既日食の日、南の島々での観測騒ぎをテレビの画面で見ながら、ふと卑弥呼の時代の日食に思いをはせていた。
 247年に日食があった。それは卑弥呼の死んだ年とされており、邪馬台国の女王の死は日食と関係があったする説がある。あるいはアマテラスの岩屋戸に隠れる事件は、日食を象徴する神話であり、アマテラスには卑弥呼が投影されているという説がある。
 だが、卑弥呼の死と日食を直接結びつける史料はない。まして日食に動揺した邪馬台国の人々によって殺されたなどというのは小説家的想像の産物でしかない。卑弥呼はおそろしく歳をとっていたから、老衰による自然死だったと思われる。
 魏志倭人伝は女王のことをこう記述している。
「年己長大 無夫婿」つまり年齢はすでに長大で、夫は無く、独り身だったのである。
 卑弥呼が死んだのは、魏の年号である正始8年のこととされているから247年とわかるのだが、さて何歳で死んだのか。
 あまり注目されていないのだが、古代朝鮮の史料である『三国史記・新羅本紀』に卑弥呼の記事がある。
「倭の女王卑弥乎、使いを遣わし来聘す」
 これが173年のことである。死ぬ74年前のことだ。すると彼女がかりに、このとき10歳の女王だとしても、84歳で死んだ勘定になる。
 倭人伝は邪馬台国の人の寿命を「その人寿考、あるいは百年、あるいは八、九十年」と書いているが、これは女王その人のことを意識しているのかもしれない。
 ともあれ、247年の日食の年は、たまたま卑弥呼の寿命尽きる年であったということだ。卑弥呼の名の意味が、日の御子あるいは日巫女であったとしても。 


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