小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

日本という国号のいわれ その1

2004-10-05 22:03:52 | 小説
 さて、話をはしょって日本という国号のいわれに移ろう。わが国が日本と呼ばれるようになってのはいつか、そして「日本」という呼称にどんな意味があるのか、こんな大切なことに実は定説がない。7世紀後半に遣唐使が「日本国使」を名のっているから、その頃には倭から日本にかわっていることはたしかだ。ところで、なぜ日本になったのか、平安時代の宮中で議論された記録が残っている。結論は「義理明らかならず」だ。この頃、この問題はすでにお手上げである。
 日本を「日の本」つまり東の国と考えるのは俗説である。本居宣長も「ひのもと」とは解釈しなかった。自称の国名に、「中国からみて東の国」という意味をもたせるほど、中国を意識する必要はなかった。自国が観測地点である。日出づるところは、自分の観測地点より、いつも東である。
 さて、熊本県は明治の廃藩置県で出来た県名だが、本はクマ地方という意味だ。韓国から帰化された人で岸本姓を名のる方がある。本は木子(きし)つまり李姓という意味がこめられている。張さんが張本姓とするのと同じだ。であるならば、日本は、本は日と解釈し、「日」一文字で意味を探って見るべきではないか。
 日下と書いてクサカと読むのだから、「日」は「クサ」という場所(地名か国名)のことに違いない。それはどこだろう、私はおよそ半年ばかり探しあぐねたが、なんのことはない、その国名は、あの魏志倭人伝の中にあった。

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