小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

日本という国号のいわれ その2

2004-10-06 22:13:05 | 小説
 魏志倭人伝で、最初にあげられている倭人の国は「狗邪韓国」であった。ふつう、クヤと読まれているから、うっかりと見過ごしていたのであった。狗邪はクサなのだ。ところで、邪馬台国の「邪」はヤであり、狗邪の場合はサと解釈するのは少々勝手すぎると思われるに違いない。しかし、古代においては、ヤとサは通音した証拠がある。「矢」の上代語はサなのである。万葉集の長歌の中に「投ぐるサの遠ざかりいて思うそら・・・」というのがある。このサは矢のことである。ヤとサは古代では同じだったのだ。だから、クヤとクサの違いは、たとえばメキシコとメヒコの違いより、もっと近い。
 狗邪韓国は朝鮮半島南部にあって、のちに金官国となり、さらにはカヤあるいは任那などと呼ばれた。新羅と百済にはさまれて、両国からの圧力をたえず受けていた国だ。5世紀前葉にこの地の支配者集団は墳墓の築造を突然中断して、行方不明になったと韓国の考古学者はいう。いったい、彼らはどこへ行ったのか。日本列島に来たのである。
『日本書紀』の欽明紀に2回目の任那復興会議に参加したカヤ連合諸国の国々の名が書かれている。次の順である。
 アラ、カラ、ソチマ、シニキ、サンハンゲ、タラ、シタ、そしてクサ。はっきりとクサという国があった。狗邪にゆかりの国名とみて間違いはない。
 そして、日本という国号は、本は狗邪という意味だと私は確信したけれど、ではなぜ、クサに「日」という字を当てたのか。これは難問であって、論証不能だとほとんど諦めかけたとき、ふと思いついて諸橋轍次の「大漢和辞典」で「辰」という文字に当たってみた。答はそこにあった。
 朝鮮半島には三つの韓があった。馬韓、弁韓、辰韓である。馬韓はのちに百済となり、辰韓からは新羅が巨大化するが、弁韓のみはカヤ小国家群のまま、統一の動きがなかった。『後漢書』韓伝によれば、三つの韓はいにしえの辰国で、辰王が三韓を支配していたとある。その辰国の「辰」という字に狙いをつけたのである。辰は十二支でタツ、方位では東東南。ほかに意味はないのか。辞典には「辰光」という熟語があった。意味は日光だった。すると辰は日と同義ではないか。クサに日を当てたのは辰王朝の系列をひくという意味が隠されていたのだ。
 日本、本はクサ(日)は辰の血統の狗邪が原郷ということなのだ。この結論には私自身が驚いた。あまり賛成でなかった江上波夫の騎馬民族征服王朝説に、部分的にせよぴったり重なったからである。「流移の人」辰王が半島から押し出されるようにして筑紫(九州)に来て崇神天皇になったというのが、思えば江上説のハイライトであった。

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