小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

中山忠光暗殺事件 8

2008-02-21 00:10:53 | 小説
 綾羅木村で忠光の遺骸が埋められている頃、むろんトミたちはそんなことは知るよしもないが、忠光の遭難そのものは悟っていた。
 朝、国司直記はトミに言う。「ここにいては危険だ。早く立ち退きましょう」
 トミを長府藩士の江尻半右衛門宅まで送るというのである。
 早々と駕籠が用意されていた。山奥の村落にいつ駕籠が運ばれたのか。さすがにトミは不審に思い、駕籠かきに聞くと前夜から用意されているという。その用意周到さにトミは疑惑の念を深めた。
 長府藩は、トミを見くびっていたことになる。藩の命令で、生贄のようにして忠光のもとにおくった娘という認識しかない。「狂乱の人」から解放してやったから、娘もむしろ安堵しているぐらいにしか思っていなかったのであろう。若い男女が一つ屋根の下に暮らし、情愛をはぐくんできた機微を察していなかった。トミはすでに身ごもっていた。お腹の中で日々育ってゆく胎児の父親である忠光を、彼女は愛しはじめていた。
 よもや長府藩に不利な証言が彼女の口から語られることはあるまいと、江尻らは判断したのであろう。やがて実家の恩地家に帰される。
 事件の翌年は元冶2年であるけれど、この年は4月8日から慶応元年となる。
 その年の春、トミを訪ねた志士たちがいた。
 池内蔵太、小川佐吉、上田宗児、伊吹周吉(石田英吉)らである。彼らは吉野山中から忠光を擁して脱出した天誅組のいわば残党である。長州に逃れ来た文久3年の10月末には、忠光と別れて別行動をとっていた。しかし、たえず忠光の消息は気にかけていたのである。その消息が奇妙にとだえていたので、トミに聞けばなにかわかると思い、赤間町を訪ねたのであった。
 トミの話を聞き、忠光は暗殺されたと気づき、その真相を探ろうとした最初のメンバーは彼らであった。 


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