小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

孝明天皇 その死の謎  9

2007-06-20 23:17:37 | 小説
 ところで、こんな主張がある。「岩倉犯人説であるが、証拠があっていっているのではない。岩倉ならば動機があると考えられる、という一点をその根拠とするものである。(略)岩倉が構想する『王政復古』は孝明天皇を抜きにして考えられないものであった。その岩倉が毒殺を企てることなどあり得るわけがないだろう。毒殺説は史実を丁寧に検討しないで、憶測だけで作られた妄説である」(『幕末の天皇・明治の天皇』講談社学術文庫)
 これが先に引用した「しかし、当時の政治情況を考えれば、自然と犯人の姿は浮びあがってくる」として岩倉黒幕説を示唆した佐々木克氏の文章である。まるで、同一人物の文章とは思えないのだが、これをもって論考の進化というべきか、あるいは後退というべきか、迷ってしまう。
 もとより佐々木氏は、自身の転向について、こう述べている。
「(孝明天皇の死因は)悪性の出血性痘瘡(天然痘)による病死だったことが、病理学の研究者の検証で明らかになった。1990年のことである。それまで、死因について、あれこれと論じられてきた。その一つが毒殺説で岩倉具視が計画したものだとする説である。かって、私も、これを信じたことがあるが間違っていた。自分で十分に検討することを怠り、他人の説を受け売りしていたのである」
 正直、おやおや病理学の研究者が1990年に明らかにしたことって何だろう、と皮肉でなく思う。その年に出血性痘瘡死因説を主張したのは歴史学者の原口清氏だった。岩倉には動機がないとも原口氏は書いた。佐々木氏はこんどは原口氏の受け売りではないのか。
 孝明天皇の死因が天然痘であって、毒殺ではないと明らかにされても、ではその死は謀殺ではなかった、という証明にはならないのである。岩倉を含む列参公卿たちには、天皇謀殺の動機はないと断言できないのである。毒殺説を引っ込めると、産湯を捨てるのに赤子も捨てるように「動機」や「当時の政治的状況」を捨ててしまうのは、なぜだろう。


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