小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

唐人お吉と呼ばれた女 9

2007-03-18 14:11:03 | 小説
 お吉の姉婿惣五郎の受領印のある受取書の文言の一部を引用しておこう。
「きち儀先達暇相候に付き右為手当書面の金子(注:30両)御下渡相成候に付き、則私共へ御渡被下 慥に受取申候」
 暇(いとま)に相成り、とあるとおり、解雇手当であって、以後、再雇用されたはずはない、と私は思う。
 ところがハリスが江戸に出て、麻布の善福寺を仮の米国公使館ととしたときも、善福寺にお吉がいたという証言がある。以下は竹岡範男『唐人お吉物語』の「あとがきに代えてー愛は海鳴りの如く」の一節である。
〈お吉が善福寺で奉仕していたことを、(善福寺の)住職の麻布照海氏も認めており、その件につき、氏は私(竹岡氏)に「お吉が私の寺にハリスと一緒に住んでいたことは内密にしてください」と懇願した。私は「内密にする必要はない」と主張して彼が対米感情を恐れること無用なゆえんを話したのだが、彼が私に同意したかどうかだまっていたからわからない〉
 事実が秘匿されていたような印象を与える文章であるが、麻布住職の思い違いと竹岡氏の思い込みが合致しているに過ぎない。
 麻布にいた女性は、名をつるという横浜表にいた遊女だった。ヒュースケンの月雇いの囲妾とされる女性だ。
 善福寺に詰めていた外国係下役が山門をくぐる女性はチェックし、かつ素性を調べ上げていた。外国奉行にヒュースケンの妾と報告された女性つるの存在はあきらかだが、善福寺の住職は、おそらくこのつるをお吉と思い違えたのであろう。
 ちなみに、つるはヒュースケンの子を産んでいた。
 


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