「具視坂本龍馬中岡慎太郎ノ変死ヲ聞キ慟哭ノ事
十一月十五日夜凶徒アリ坂本龍馬中岡慎太郎ヲ河原町ノ寓居ニ襲ヒ之ヲ刺ス。具視其報ヲ聞キ大ニ駭(おどろ)ク。即チ香川敬三ニ命ジテ之ヲ存問セシム。敬三馳テ至ル。龍馬既ニ命ヲ殞シ慎太郎創(きず)重ク流血淋漓タリ。同志ノ士変ヲ聞キ皆来リ集ル。慎太郎ハ敬三ニ遺嘱シテ曰ク、天下ノ大事ハ偏(ひとえ)ニ岩倉公之ヲ負荷セラレンコトヲ願フノミ、子之ヲ岩倉公ニ告ゲヨト言畢(いいおわり)テ絶息ス。敬三袖ヲ湿シテ帰リ以テ具視ニ白ス。具視曰ク、噫(ああ)何物ノ鬼恠(きかい)ガ予ノ一臂ヲ奪フ、之ヲ哭シテ慟ス」
慎太郎の最後の言葉、つまり遺言は「天下の大事はひとえに岩倉公にかかっていると、岩倉公に伝えてほしい」というものだったと書いている。そしてそれを聞いたのは香川敬三ということになっている。
うさんくさいというのは、まさにここなのである。あの日、慎太郎の臨終に立ち会った者たちが、誰もそんな内容を伝えていない。こんなことを書いているのは『岩倉公実記』(明治36年12月発行)だけであり、似たようなことを書いてある本は、なんの検証もなしに、『岩倉公実記』を引用しているに過ぎない。
だいたい香川敬三は、あの日、近江屋に駆けつけていたのかどうか、すこぶるあやしい。駆けつけた者から、その場にいた同志として名前が上がっていないのだ。そもそも誰が岩倉に悲報を伝えたのか。
ともあれ嶋岡晨氏の小説『中岡慎太郎』(光風社出版)では、慎太郎のセリフはこうなる。「岩倉公にお伝えしちょいてくれ。王政復古のことは、ひとえに、卿のお力にかかっている、と、のう……」
ただし耳をよせて聞いているのは田中顕助である。香川敬三ではない。嶋岡氏もおそらく香川敬三をその場に居合わせることに不安を感じたのだ。いっそのこと、岩倉公への伝言などなかったことにすれば、よほどすっきりしただろうにと思う。
十一月十五日夜凶徒アリ坂本龍馬中岡慎太郎ヲ河原町ノ寓居ニ襲ヒ之ヲ刺ス。具視其報ヲ聞キ大ニ駭(おどろ)ク。即チ香川敬三ニ命ジテ之ヲ存問セシム。敬三馳テ至ル。龍馬既ニ命ヲ殞シ慎太郎創(きず)重ク流血淋漓タリ。同志ノ士変ヲ聞キ皆来リ集ル。慎太郎ハ敬三ニ遺嘱シテ曰ク、天下ノ大事ハ偏(ひとえ)ニ岩倉公之ヲ負荷セラレンコトヲ願フノミ、子之ヲ岩倉公ニ告ゲヨト言畢(いいおわり)テ絶息ス。敬三袖ヲ湿シテ帰リ以テ具視ニ白ス。具視曰ク、噫(ああ)何物ノ鬼恠(きかい)ガ予ノ一臂ヲ奪フ、之ヲ哭シテ慟ス」
慎太郎の最後の言葉、つまり遺言は「天下の大事はひとえに岩倉公にかかっていると、岩倉公に伝えてほしい」というものだったと書いている。そしてそれを聞いたのは香川敬三ということになっている。
うさんくさいというのは、まさにここなのである。あの日、慎太郎の臨終に立ち会った者たちが、誰もそんな内容を伝えていない。こんなことを書いているのは『岩倉公実記』(明治36年12月発行)だけであり、似たようなことを書いてある本は、なんの検証もなしに、『岩倉公実記』を引用しているに過ぎない。
だいたい香川敬三は、あの日、近江屋に駆けつけていたのかどうか、すこぶるあやしい。駆けつけた者から、その場にいた同志として名前が上がっていないのだ。そもそも誰が岩倉に悲報を伝えたのか。
ともあれ嶋岡晨氏の小説『中岡慎太郎』(光風社出版)では、慎太郎のセリフはこうなる。「岩倉公にお伝えしちょいてくれ。王政復古のことは、ひとえに、卿のお力にかかっている、と、のう……」
ただし耳をよせて聞いているのは田中顕助である。香川敬三ではない。嶋岡氏もおそらく香川敬三をその場に居合わせることに不安を感じたのだ。いっそのこと、岩倉公への伝言などなかったことにすれば、よほどすっきりしただろうにと思う。