小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

新選組・大石鍬次郎ミステリー  2

2007-12-01 12:43:09 | 小説
 阿部の発言からわかることは、この明治33年という時点で、元御陵衛士たちは龍馬暗殺犯は大石ら新選組によるものと、まだ思い込んでいたということだ。
 それにしても、阿部らは執拗に大石を捜索し捕縛しようとしたことがわかるが、もとより彼ら御陵衛士たちに龍馬暗殺犯を追う義務はないし、龍馬に義理立てするいわれもない。ひとえに新選組によって惨殺された伊東甲子太郎と油小路事件で死んだ仲間たちの報復というのが内なる動機である。
 もっとも阿部が、大石のことを「前に坂本龍馬を撃った者」と断定して語っているのは、いったんは大石自身がそう自供したからであった。
 大石自供の事情をうかがえる史料は、兵部省口書つまり大石の調書である。大石はこう述べている。
 
 …せんだって薩藩加納伊豆太郎(道之助)に召し捕られ候節、私ども暗殺に及び候段、申し立て候えども、これはまったく、かの薩の拷問を逃れ候ためにて、実は前に申し上げ候とおりに御座候。…

 大石は「薩の拷問」を逃れるために、いったんは龍馬暗殺を自供し、あとでひるがえしたのであった。
 加納らは大石を捕縛し、大石の罪状を重くするためにも龍馬暗殺という余罪を付加し、刑法局(官)に突き出したわけであるが、明治2年7月8日、刑法官は官制改革によって刑部省になった。
 その刑部省で、大石は龍馬暗殺に関しては無実であり、龍馬暗殺に関与したのは見廻組の今井信郎らと聞いていると弁明したのである。
 ここで新政府の司直は、はじめて龍馬暗殺の関与者として今井信郎の名を知るのあった。
 大石は、刑部省および兵部省でそれぞれ取り調べを受けているが、兵部省口書の「実は前に申し上げ候」という弁明は、刑部省での方が詳しい。
 次に刑部省口書における大石の口上を見てみよう。

(追記)兵部省と刑部省の取り調べの前後関係に思い違いがあったので、初出の文章を訂正した。


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