小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

曽我兄弟の仇討 完

2006-09-14 11:07:17 | 小説
 頼朝は兄弟の夢をよく見たという伝承がある。ときの権力者も兄弟の瞋恚執心には悩まされたものとみえる。悩まされたのは頼朝ばかりではない。仇討の現場となった冨士の裾野に兄弟の亡霊が出るという噂が立った。
 亡霊は、あるときは「十郎祐成」となのり、あるときは「五郎時致」となのった。ひと気のないはずの野原に昼間、あるいは夜、戦う音がきこえることがあった。そこにたまたま行き合わせた者は死ぬか気が狂うかした。
 噂を耳にした頼朝は「ようぎゃう」という上人から、兄弟を神としてまつり、怨念をしずめろとアドバイスをうける。現存する神社、静岡県吉原市今泉の曽我神社、あるいは富士市の曽我八幡宮はともに頼朝の命をうけて創建されたと伝えられているらしい。
 ところで上人の「ようぎゃう」という人物のことがよくわからない。固有名詞ではなく、「遊行」僧のことかもしれない。「ゆぎょう」と「ようぎゃう」は音がよく似ている。
 曽我物語の語り部は、遊行の者たちであったということは前にも記した。十郎の死後、尼になって各地を巡った遊女虎は西国にまで足を伸ばしていた。四国の土佐の片田舎にまで曽我神社のあるのは、彼女たちの影響であろう。
 晩年の虎も十郎の幻を見た。夕暮れだった。御堂の大門に立ってぼんやりしていたら、そこに十郎があらわれた。ああ、と心のうちで叫びながら駆け寄ったのだが、十郎は消えた。十郎と見えたのは斜めに下がった桜の小枝だった。虎は幻にしがみつこうとして倒れ、それがもとで死んだ。
『曽我物語』は十郎の恋人、虎の死で終るのである。


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