小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

刃傷松の廊下の「真相」  17

2006-11-16 20:27:55 | 小説
 当日の浅野屋敷の様子をもっと微細に見てみよう。
 浅野家の家中の者たちは、吉良に関する情報が錯綜とし、重体説、死亡説こもごも飛びかい、ともかく続々と上屋敷に終結したもののようだ。『堀部武庸筆記』によれば、「家中之者共屋敷に相詰」とある。以下の記述は同史料によるが、武庸とはむろん安兵衛のことである。
 まず屋敷に三河岡崎城主の水野監物が来た。「騒動をおこさないように」と伝えに来たのである。これが午後4時半頃のこと。入れ替わるようにして、戸田采女正と浅野美濃守が来る。戸田采女正は美濃大垣城主で内匠頭のいとこであった。浅野美濃守は内匠頭の叔父にあたる人物だ。内匠頭の親類ふたりは、家臣たちの暴発を懸念して、なだめに来たのである。
 次に室鳩巣の『赤穂義人録』を参照する。こちらの史料によれば、戸田采女正は「士卒をひきいて邸を環守す」とある。ものものしいのである。そして「安芸守浅野綱長、将卒二百人を遣はし、すみやかに邸内の人衆をを出だし、及び門巷屋舎を掃除せしむ。夜に至りて、邸を以って氏定(戸田采女正)に授け、すなはち去る」と書いている。
 つまり、主を失った浅野屋敷は、身内の戸田采女正の管理にゆだねられたということだ。
 いずれにせよ、夜になって邸内に人がいなくなったとしても、つい先ほどまではものものしく士卒が取囲んでいた大名屋敷なのである。すべてのタイミングを呑みこんでいなければ、当夜の浅野屋敷を襲うことは不可能ではないか。市井の泥棒集団であるわけがないと、くどいようだが念をおしておこう。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。